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父親の誕生日に思うこと

8/13は父親の誕生日である。思春期を迎えたぐらいから、自分が父親を尊敬していることを強く認識するようになった気がする。

父ちゃんは偉大で、いつでも背中を追ってる。

高校を卒業してすぐに働きはじめて、おそらく今の自分と同じぐらいの歳で”父親”になったと思う。正直、想像もできない。

僕の性格は、結構父ちゃんに似てる気がする。

父ちゃんは、

手先がすごく器用。
力持ち。
スポーツもだいたいうまくこなせる。

自分の時間は大事。
飲んだらよく喋る。
めんどくさいことは嫌い。

でも家族や他の人のための苦労は惜しまない。

よくよく考えると、
毎朝誰よりも早く起きて洗濯機回してるし、
祖母(父ちゃんにとっては義理の母)の畑仕事もよく手伝ってたし、
学生時代の習い事の時にはほぼ確実に送り向かいしてくれてた。

思い出すとまだまだあると思う。

僕が一人暮らしを始めてから、一度だけベロベロに酔って帰ってきたことがあるらしい。でも職場の方々に家まで送ってもらったみたいで、おそらく結構な信頼関係を築いているんだと思う。

こういったエピソードとは別に、今でもはっきりと覚えてる父ちゃんとの思い出がある。

確か、あれは小学生の夏に、家族全員(5人)でディズニーランドに行ったときの話。

朝から永遠とテーマパーク内の乗り物で遊んでた。アメイジング・スパイダーマンをよく覚えている。あれはよくできていた。

逆にいうと、乗り物の記憶はそれぐらいしかない。夜も遅くなって、辺りは暗くなって、最後にスプラッシュマウンテンに乗るか乗らないかで、僕と姉と兄が争っていた。

僕はただただ眠かったのである。もう早く帰りたい。こうなると、結構何があっても動かない。

それに、並ぶのがなかなか苦手な人種である。だって確か1時間以上も待ち時間があったのだもの。

「眠いからホテルに帰ろう」
「並ぶのが嫌だから乗らない」

とグダっていたが、平野家には同じような人物がもう1人いる。そう、父ちゃんである。

「そうそう、そこまで並んでまで乗らなくていい」

と言っていたので、平野家は、父親・賢正と、母親・姉・兄で別れることになった。

ここから、すごく記憶に残ってる。
超絶眠かった僕は、ほぼ寝かかっていたので、父親の背中におぶられて、ディズニーランドを後にした。この背中におぶられてる感じを今でも覚えてる。

父ちゃんの背中を覚えてる。

ホテルに帰る前に夕飯を父ちゃんと食べた。確かココスに行った。

何で覚えてるかというと、それぐらい嬉しかったのである。父ちゃんと2人で過ごす時間がすごく嬉しかった。

姉と兄がホテルに帰ってきてから、「意外と並ばずに乗れて、2回も乗れた!」と自慢してきたが、全然羨ましくなかった。

何てったって、僕は父ちゃんの背中におぶられて、2人で夕飯も食べたのである。

僕にとっては、みんなにとって楽しく見えるスプラッシュマウンテンに乗るより、父ちゃんの背中を感じる方が嬉しかった。

たぶんおそらく、父ちゃんはこの出来事を覚えてないと思う。でもずっと記憶に残ってる、父親との楽しい・嬉しい・幸せな思い出の一つである。

父ちゃんは、僕が休学する時も背中を押してくれた。自分が決めたことだったら、チャレンジしてみなさいと、心強く送り出してくれた。

他にも父ちゃんとの思い出や尊敬できるところもたくさんある。

僕に「賢正」と名付けてくれたのも父ちゃんである。自分にもついている「正」の字を授けてくれた。

単純に「賢く正しく生きてほしい」という意味以外にも、「間違ってることには間違ってるとはっきり言える人になってほしい」という想いもあったそうだ。

名前というのは、想いである。と強く思う。
(だから僕が人の名前は絶対に間違えないようにしてる話はまた今度)

長々と書いたが、僕は父ちゃんが好きだし、尊敬してる。そんな父親がいることを誇りに思う。

なんでわざわざこんなことを書くかというと、自分と同じ気持ちの息子・娘はたくさんいるはずだ!ということを、父親の皆さんに知ってほしいからです!父親の皆さん、ありがとう!

(父の日にした方がよい投稿だったのであった)
(あ、もちろん、母親も大好きです!)
(ちなみにアイキャッチの写真に写るのは4歳ぐらいの平野少年である。)

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