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優しい人が優しいままでいられる社会をつくりたい

僕は
ほとんどの人たちの中に
大きな優しさや良心がある
思っています。

でも
実際の社会は
どうでしょう?

優しさを感じられる
社会でしょうか?

最初に言ったもの勝ち、
やったもの勝ちの
風潮がある中で、

今は、
本当に優しい人ほど、
生きづらい世の中ではないか
感じています。

優しい人は
相手のことを大切に考える
思いやりのある人。

優しい人=思いやりのある人たちが
のびのびと生きられる社会になれば、

お互いがお互いを助け合える、
競争や奪い合いのない世界に
なるのではないかと思います。

僕は
そんな優しい人たちが
そのまま生きられる社会を
作りたいと思うようになりました。

* * *

僕は
小さい時から
優しいと言われ続けてきました。

別に褒められようとか、
いいふうに思われたい、
なんて下心があって
優しくしたことはない。

当たり前に
思ってやっていることでも、
「優しいねえ」なんて言われ、

「なんでこれが優しいんやろ?」
と不思議に思うことが多かったです。

好きな異性のトップ3には、
必ず優しい人というのが
ランクインするほど、

一般的に
優しい人はいい人の
代名詞みたいなものです。

でも一方で
優しい人は大変。

しんどいことや
損に思える役回りなどを
引き受けたり、

心外な事を言われても
争うのがイヤだから
言い返すこともしない。

平気で
マウントされたりもする。

胸の内を打ち明けたら
あの人は苦しい思いをするだろうなあ、
と思うから、

自分が苦しくても
相談ができなくて、
一人で苦しむばかり…

そんなことが続いた結果、
優しい人は壊れ、
ふたつのタイプに変身します。

ひとつめのタイプは、
自分の内に籠ってしまう人

本音を隠し、
嵐が過ぎ去るのを待つ人のように、
ひたすら身を縮め、

自分が傷つかないように
ひっそりと生きる覚悟をします。

表面的な社交性を
使うこともしますが、
本心は決してあかしません。

ふたつめのタイプは、
武器を持ち、
鎧を身にまとう人

人よりいい地位についたり、
良いものを持ったりして
外面を必要以上に整えます。

そして
人を低く評価することで
自分の価値を高め、

いかに自分が優れているかを
周りに印象づけようとします。

どうしようもない時は
怒りを出して、
周りを押さえ込むことも。

今の社会を見ていると
ふたつめのタイプの人の方が
多いかな?

優しい人が陥る
もうひとつの落とし穴は、

他人軸の考え方になって
しまいやすくなることです。

優しい人は、
相手のことを思いやることが
強くなりすぎると、

自分の本心より
相手の気持ちを
優先させてしまいます

その結果、
他人に認められることが
自分の価値基準になってしまい、

自分の本心が
わからなくなってしまいます。

* * *

偉そうに分析してみましたが、
実はこれらは過去の僕の姿なんです。

今の社会で
優しい人が健康に
生きていくためには、

強さを身につける
必要があります。

自分を大切にするために、

時には本音を言ったり断ったり、

真剣に相手と向き合う強さを
発揮しなければいけない時もある。

自分を大切にするために、
時には相手の落胆する姿や
機嫌を悪くする態度を
取られたとしても、

平然と自分を通す強さを
発揮しなければいけない時もある。

自分を大切にするために、
自分が困ったときは
思い切って相談したり
甘えたりする勇気を
発揮しなければいけない時もある。

いずれにしても、

優しい人は
自分の本心が
見えにくくなっていることが
多いから、

まずは
自分の本心は何かを
はっきりと知る必要がある
と思います。

僕は最近、
優しくて苦しんでいる人が再び、
のびのびと生きられるような
お手伝いがしたいと
思うようになりました。

自分の本心を知り、
他人の本心を知り、
どちらも尊重できる
本当に優しい人が増えれば、

争いや奪い合いのない、
とても過ごしやすい社会になると
思いませんか?

僕は
そんな世界をつくりたいと
思っています。


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