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春の中の春

春に思うことは、年齢とともに変わる。

子供のころは新学期、新入学など文字通り「新しい」季節だった。しかし、大人になるにつれて、それはただの季節になった。もちろん仲間と花見をしたり、親しい人の人事異動があったり、ご近所さんが引っ越しをしたり、春らしいことはある。しかしそれは毎年似たようなことを繰り返すという意味ではやはりただの季節だった。

自分が変わることで、春は新しい季節になるのだ。

一年生になった。中学生になった。それは自ら望んだかどうかは別にして自分は変わった。この国ではそのタイミングがたまたま春に設定されていただけなのだ。だから春を新しい季節と呼んでいただけなのだ。もちろん気候や桜がその設定を後押ししてはいたが、大人になると気候や桜だけが残り、自分は変わることがなくても「新しさ」の匂いを嗅ぐことができた。

もちろん、毎年自分が変わるなんてできないし、必ずしもそれが良いことではない。変わらないことの大切さや、大変さがある。そんな大変さの中で、少しでも春の新しい匂いを嗅ぐことでリセットはできないけどアロマのようにリラックスはできる季節。大人になってからの春はそんな季節なのだと思う。少なくとも俺にとっては。

でも時には大人だって自分を変えるときがくる。仕事かプライベートかそれは分からないけど、ある。数年に一度、数十年に一度、人によって頻度は違うけれど必ずくる。

そして俺はいま「かなり」久しぶりに新しい季節としての春を迎えている。
なぜか。18年勤めた会社を辞めたからだ。

狙って春に辞めたわけではない。夏でも、秋でも、冬でも、会社を辞めることはできた。しかし春に辞めてよかった。子供のころに感じていた「新しい季節」としての春に少し救われるからだ。辞めたことへの罪悪感やこれからへの不安、そんなものも桜色に塗れば少しは楽しそうなものに見えるのだ。気休めではあるが、たとえば「不安」と桜色で書けば何かそこまでの事ではないような気もする。

そろそろ上から散ってくる桜の花びら。何かを隠すように春は終わる。


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