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『囚われてない観衆 考察レインボーパレード緊縛ショー事件(後編)』2024-04-29

 ここからは法的な観点をまじえ、もう少し細かくこの事件を論じていきたい。
 というのも前回の最後の方でご紹介した、「事前説明がないのは表現者として卑怯」という、叙述トリックもどんでん返しも否定することになるトンデモ意見の人物による、鼻息の荒いポストが流れてきたのである。

https://twitter.com/hiroko_TB/status/1782723899840774460

 ムンフーッ。
 なお「月島さん」とはこの緊縛ショーを擁護していた、セクシー女優の月島さくら氏のことである。
 そこで私がお相手をしましょうか? と尋ねてみた

 ……のだが、残念ながら、お嫌いな表現の自由戦士と同じくこの人物もスルーして逃げてしまったので、私が考察することにしよう。

 さて。
「見たくない権利」についてエポックとなる判例として著名なものに、ポストでも紹介した商業宣伝放送差止等請求事件がある。俗に「囚われの聴衆」事件とも呼ばれているものだ。
 この事件は、市営地下鉄で流れる音声CMの放送を強制的に聞かされるのが人格権の侵害であるとして、放送の差し止めと損害賠償を求めて大阪市を提訴した事件である。
 まあ、見たくないというか「聞きたくない」権利なのだが、そこはあまり本質ではない。

 確かにこの判決でも、「聞きたくない」という権利を全面的に否定しているわけではない。
 しかしざっくり素っ飛ばして言えば、電車の中で聞きたくないCMを無理やり聞かされる程度では、その表現の自由に優越するほどの人権侵害があるとは言えないというものである。

 では「代々木公園の東京レインボープライド内で開催される、ふんどし姿の男性の緊縛ショー」は、それを見た人に対して「電車の中で強制的に聞かされるCM」よりも過酷な人権侵害をもたらしていると言えるだろうか。

 彼らの主張は「代々木公園で!子どもも来るのに!だまし討ちで見せられる!」であった。

1.強制的であるか

 電車に乗るというのは、通勤通学はもちろん、それ以外の人々も大抵の場合、用事のため必要に迫られて乗っているわけだ。出発地と目的地が決まっている以上、どの電車でもいいというわけにはいかない。
 しかし公園はそうではない。
 公園ですることは主に散歩したり、くつろいだり、子どもたちを遊ばせたりすることだ。もちろん、それこそレインボープライドや水着撮影会、地域のお祭りのような特別なイベントに使われることもあるが、おおむねどこの公園に行っても代用できるようなことであるし、公園は遠くない場所に幾つもある。
 そもそも、実は他の公園に行く必要さえない。
 私も行ったことがあるが、レインボープライド会場は公園の全区域を占拠しているわけではないからだ。開催スペースは人でごった返しており、普通の公園として使用する人は他のエリアに行くだけだろう。

 つまり、市営地下鉄を利用する人が商業宣伝放送を避けて電車を選ぶことは現実的ではないが、公園を普通に使いたい人は緊縛ショーはもちろん、レインボープライドそのものを避けることさえ普通に容易だということだ。

2.容易に遮断可能か

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