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特別なことは望まない。

「大阪西成のホームレスとデートした」という内容のエッセイが炎上中、という投稿を読み、もとのエッセイや関連記事に目を通していて、思い出したこと。

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2010年4月、夕方のニュースで「ポーラのクリニック」院長の山中修医師を知った。横浜のドヤ街で独居高齢者に寄り添い、訪問診療や看取りに尽力してきたという。番組中の山中医師のこんな言葉が心に残った。

「人は死ぬときに饒舌になる。どんな人生だったかを、誰かに伝えたくなる」
  
いつかこの人に話を聞きたいという願いが叶い、2019年12月、Yahoo!ニュース特集の取材で横浜市中区の寿地区を訪れた。かつて「日雇い労働者の街」として賑わったその地域は、取材当時、住民の約半数が65歳以上、その大多数が生活保護受給者という状況にあった。

私は山中医師を取材し、紹介していただいた患者数名(もちろん取材・撮影のOKをいただいた方のみ)や、訪問看護師、ケアマネ、介護福祉士、簡易宿所帳場にもそれぞれ話を聞いた。つまりは医療の現場だから、どの立場の方にとってもある種のドラマ──喜びや悲しみ、発見や諦観、出会いや別れがある。

その中で非常に印象に残ったのが、簡易宿泊所の「帳場(ホテルのフロントにあたる)」に勤める女性のお話だった。

彼女は20代〜80代後半までの男性約100人(本館・別館合わせて約100室あり、基本的にいつでも全室満室)の、薬やタバコを朝に手渡すことから、掃除や声がけ、月イチ支給される年金の手渡しなど、日常的なケアをしていた。4年以上働いているが、住人との信頼関係を築くには長い方(かた)で1年かかる、3人の男性の看取りも経験している、とのことだった。

山中医師を筆頭とするチームは、亡くなる前に何をしたいか、本人から希望を聞く。そして(チームで)やれることはやる。その際に、医療以外のリクエストに応えるのは、帳場に務める彼女だ。

たとえば、肝臓がんを患っていた男性。危篤の際、歌が好きな方だったので、彼女は「聞こえるかわからないけど」歌ったのだという。男性は一時的に回復し、数日後に「あの歌、歌ってくれていたよね。聞こえていたよ」と言った。「本当にダメだと思ったときに、何の歌を歌ってほしい?」と彼女が尋ねると、彼は「ふるさと」と「トトロのさんぽ」をリクエストした。そして、次の危篤時に先生たちが到着するまで、枕元でそれらを歌ったら、反応してくれたという。

たとえば、宣告余命を過ぎた64歳の男性。「最後になるだろうから、花見がしたい」というので、医師の許可を取り、タクシー+車椅子で桜木町の大岡川に(みんなで)連れていった。男性は「自分は食べられないから、俺の代わりに食べて欲しい」と言い、彼女は言われたものを彼の目の前で食べてあげたそうだ。

まだ40代の彼女のことを「かあちゃん」と呼ぶ人もいた。「ここ(簡易宿泊所)で死にたい」と願う人もいた。逆に「さんざん世話になったから、俺が死ぬときは病院に入れてくれ」という人もいた。

彼女の「みんなが最期にしてほしいこと? 特別なことを望んでいないから、逆に難しいんです」という言葉が、ずっと心に残っている。

この話はYahoo!の記事の本筋とははずれてしまうので、記事には書いていない。いつかどこかでタイミングがあったら書きたいと思っていた。今日なんだろう、たぶん。

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