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「否定的な意見」もプロセスを考えてみたら、とんでもなく「特大の好意的な意見」にも思えるかもって話

これは『「気にしすぎな人クラブ」へようこそ』「自分の考えや仕事を否定されて…クヨクヨ」(p.86)を経て、今ぼくがどう変わったか…という漫画です

否定されたくない〜〜〜〜〜〜
できたら全部褒めてほしい〜〜〜〜〜〜

なんか色々とスムーズにいい感じに楽しく嬉しくハッピーで進めたいじゃないですか。
あっ、でもでも「いい感じです!すごいです!」ってスムーズに通ったら通ったで
「ほんまかいな…適当に言ってんじゃないの…」って思ってしまうのが、自分のほんとにめんどくさいところだなって思っています(胸を張って)。

じゃあどうすればいいんだ〜って感じなんですけど。
思い返してみると、否定的な意見をもらって

「ほんまや!教えてくれて、ありがとう!」
「たしかに圧倒的に良くなった!」
「自分では納得いってないけど、明らかに数字が伸びた」

みたいなことも、たくさん経験してきてるんですよね。悔しいけど。
そうなんです、そう思うと、否定的な意見って「良くなる可能性を秘めた意見」でもあるかも。可能性を秘めたってのがポイントです。全部全部いいわけじゃないですからね。

それに、「良くなる可能性を秘めた意見」を出してくれたってことを、冷静に考えてみたら、その意見を出すまでに

こんなプロセスがあるな〜思ったんです。
もしかしたら、寝転びながらかもしれないし、お酒飲みながらかもしれないけど。

そう思うと、意見を言ってくれるってだけでも、めちゃくちゃありがてぇことだなぁって思えてきて(…きません?)。
そしたら、相手は僕を落ち込ませる為に言ってきた意見じゃないよなって思えるし(そういう場合もある時もある)、むしろとんでもなく「特大の好意的な意見」として受け取ってもいいんじゃないかって。今は思えるようになりました。

そういえば、前に商業誌ですっごい活躍されてる漫画家の先生が
「まいにちSNSでエゴサして、否定的な感想を見るのが好き!アンチ大歓迎!」って言ってて、お豆腐メンタルな僕は「ドMかよ…」って思ってたんですけど、そういうことですよね。

否定的な感想を書いてるけど、それ以前に「読んでくれて」「感想を書いてくれた」ってとこに好意を感じて喜んでるんだなって今わかってきました。だとしても、アンチはやっぱりイヤですけどね。


この本では、こんな日常の中にあるモヤモヤについて、公認心理師 中山さんと雑談しながら、ぼくの心が軽くなった考え方が40載っています。
よかったら試し読みでもいいので、覗いてみてください↓



【募集】「こんなnoteが読みたい」ください

本を発売してから、ありがたいことにたくさんのメディアでトークイベントに出してもらったり、インタビューしてもらう機会が増えてきて気づいたことがありました。

それは、自分から「あれ話したい・これ話したい」ってことがあんまりないのかも(別に言うほどでもないか…って思ってしまう)。
でも、質問をいただくとものすごい勢いで話せる(話しすぎる)なとも思いました。

ーなので「こんな話書いてほしい!読みたい!聞きたい!」って感じでリクエストをいただけないかなと思っています! ここのコメント欄でも下のマシュマロからでも、TwitterのDMでも。全部にお答えはできないですが「これ書きたい!」と思ったら、書かせてもらいます。よろしくお願いしますー!


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