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メディアの「おっさんバッシング」が、おっさん差別ではなく、実はおっさん支配の反映だった件

はじめに

 前回の記事では、いわゆる「かわいそうランキング」または「かわいそうリスト」で「おっさん」が(若い)「女性」に比べて低い位置づけにあるという問題について検討しました。

 そのうえで、いろいろな事件・事故の報道で「若い女性」が「おっさん」よりも同情され派手に取扱われているのは、「おっさん」が差別されているからではなく、逆に他ならぬ「おっさん」自身が、「おっさん」よりも「若い女性」の報道の方に興味があるからだろうという結論を示したところです。

 これは事件や事故の報道の話でしたが、それはそれとして一般論として、「現代の社会では、全体的にいって『おっさん』に対する不当な差別が行われている」という意見も最近は有力になっています。

 結論からいうと、私はこれも極めて疑わしいと思っているのですが、まずは手順を踏んで考えてみましょう。

「おっさん」に対する否定的な評価

 「おっさん差別がある」と主張する人々は、いろいろなメディアで「おっさん」(≒中高年男性)が否定的な評価を受け、偏見で見られ、不当なレッテルを貼られているとして問題視しています。

 確かに一般論としていえば、人間は一人一人違うものであって、「おっさん」に当たる人間すべて一概に否定的な評価を下すのは、望ましいことではないと言えますが、具体的な例を個別に確認してみる必要がありそうです。

「おっさん」バッシングの事例2つ

 最近のあちこちの議論でよく「おっさん差別」として引用されている具体的な例があるので、2つあげてみましょう。

 一つは、経営評論で知られる山口周氏「おっさんの4大特徴」として挙げたものです。

 これは山口氏が『劣化するオッサン社会の処方箋』(光文社新書)という本に書いた文章の抜粋であり、さらにはNews Picksに掲載された記事をもとにしているようです。

 もう一つは、奇しくもそのNews Picksの役員の佐々木紀彦氏が企画して日本経済新聞に掲載したという「さよなら、おっさん」という広告です。

 ここでは、「おっさん」とは「この国の凝り固まった価値観やルール」そのものの象徴のように扱われています。

 このようにしてみると、いかにも「おっさん」が不当に差別されバッシングを受けているように思えてきますが、果たしてそうなのか、もう少し掘り下げてみましょう。

「おっさん」バッシングの文章を作ったのは誰なのか?

 そもそも、これらの「おっさん」への否定的な評価を書いた文章や広告を作った人は、どのような人たちなのでしょうか。若者や女性が、「おっさん」への差別意識をあらわにして書いたものなのでしょうか。

 まず最初の例の山口周氏について確認すると、1970年生まれのようです。ということは今年49歳。49歳なら、山口周氏自身が「おっさん」と呼ばれても不思議はない年齢ということになります。

 二番目の例の佐々木紀彦氏は、1979年生まれ。今年は40歳です。今どきの40歳はかなり若いイメージもありますが、やはり「おっさん」でしょう。

 こうなると、どちらも書いた人、または企画をした人自身が「おっさん」ということになります。

「おっさん」バッシングの文章を読むのは誰か?

 次に、これらの「おっさん」叩きの文章の読者としては、どういう読者層が想定されているのでしょうか。若者や女性が「おっさん」に対する差別意識(?)を満たす目的で読むためのものなのでしょうか。

 今回挙げた2つの例は、たまたまどちらもNews Picksに関連するものでした。News Picksと言えば、企業や経済情報を中心にしたネットメディアですから、ビジネスパーソンが読者層ということになるでしょう。年齢もいろいろあるでしょうが、企業の経営者や管理職を重視していると考えるなら、相対的には読者は中高年男性、つまり「おっさん」が多いと考えられます。さらに「さよなら、おっさん」の広告を掲載したのは日本経済新聞ですが、これもまさに「おっさん」層がメイン読者であることは言うまでもありません。

「おっさんバッシング」を考えたのはおっさん、読むのもおっさん

 つまり、「さよならおっさん」等の「おっさん」を否定的に扱った文章は、考えたのも「おっさん」であり、また読むのも「おっさん」だということになります。

 「おっさん」に読ませるために「おっさん」が考えた「おっさん」批判の文章は、果たして「おっさん差別」と呼ぶに値するのでしょうか。

 これを「差別」と呼ぶなら、これも前回の記事と同様に、「おっさんがおっさんを差別し、偏見で見ている」ということになってしまいます。

(これは、女性イラストレーターが女性キャラを性の対象として誇張した作品を作るような例とは構造が違うことに注意して下さい。後者は、対象とされる読者としては男性を想定し、男性の視点から見て喜ばれるような作品を作っているのです。)

なぜ「おっさん」が「おっさん」に「おっさん批判」を読ませるのか?

 このように、「おっさん」自身が「おっさん」に否定的な評価を与えるような文章を作って「おっさん」に読ませようとするのは、一体どうしてなのでしょうか。

 答えは簡単で、それはいろいろな企業の経営者や管理職など、責任ある立場にいる人には「おっさん」が多いからです。(もちろん女性や若い男性もいるにはいるでしょうが、やはり少数派でしょう。)

結局、組織の主な支配者が「おっさん」だということ

 そういう管理者の立場にいる人たちの圧倒的多数は「おっさん」だから、事業の停滞を防いだり、社員の意識の刷新を図るため、組織を管理する立場にいる自分たちを戒めようという問題意識が働いたときも、このように「おっさんは考え方が古い」「おっさんであってはいけない」的な表現になるわけです。 企業の経営者や管理者が男女半々くらいだったら、もっと別な表現になっていたはずでしょう。

 結局のところ、「おっさん」が組織を停滞させたりする元凶であるかのような扱いの言葉が世に流行するのは、「おっさん」が差別され卑しめられた階層だからではなく、まさに正反対で、「おっさん」が組織の支配的立場にあり、しかもその組織を停滞させないように改善することまでも、「おっさん」の仕事のうちに含まれているからです。

 おっさんの著者たちが、組織を支配するおっさんに対して、「おっさんではダメだ」等という文章を書いて与える。この現象こそ、おっさんが世の中で支配的な立場にいるということを証明しているのです。

 だって、すべて「おっさん」の世界の中で話が自己完結してしまって、「おばさん」たちが入り込む余地がろくにないのですから。

最後に残された問題 - なぜ「おっさん差別論」が最近出てきたのか?

 以上でおおむね話は終わりなのですが、実は最後に残された問題が一つあります。それは「なぜ近年になって、「おっさん」への批判的表現を『おっさん差別』だと解釈する意見が目立つようになったのか」ということです。

 「改革をせず古いやり方にしがみつくおっさんが、組織をダメにする」という類の言説は、それこそ何十年も昔からありました。というより、人類の文明が始まってから限りなく繰り返されてきた議論かも知れません。

 しかし、これを「おっさん差別だ」などという意見は(どこかにあったのかも知れませんが)近年になるまでは、まったくと言って良いほど知られていませんでした。

 なぜ最近になって、「おっさんバッシングの表現は、おっさん差別だ」という意見が広く知られ、共感をもって受け止められるようになってきたのでしょうか。

 これはこれで、社会の構造変化にともなう別な問題があるのですが、改めて後日考察することにします。


 










 

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