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「万引き家族」で気になった3つのポイント(と自分なりの解釈)

久しぶりに是枝裕和監督の代表作「万引き家族」を鑑賞した。

作品の素晴らしさは言うに及ばずなのだが、再鑑賞にあたって細部3点ほど「よく分からなかった」ことがあった。

決して揚げ足取りしたいわけではない。作品全体の演出において、どんな効果を与えるものなのかイマイチ判断がつかなかったのだ。自分なりの解釈も言語化しつつ、次回鑑賞時の参照点として残しておきたい。

「万引き家族」
(監督:是枝裕和、2018年)


──

不明点①:亜紀はなぜ家出することができたのか

本作で最も存在感を放った役者のひとりが、松岡茉優だ。しかし、亜紀というキャラクターには、どこか“とってつけた”感があるような気がしてならない。

万引き家族の“長女”である亜紀は、両親の元を離れ、血の繋がりがないが遠縁である初枝(演:樹木希林)を頼った。

作中で、初枝が両親のもとを、元夫の月命日に訪ねたシーンが描かれている。そこで両親は「(亜紀は)海外留学中で元気にしている」と嘘をつき、そして初枝に対して「母が迷惑をかけたから」と言って3万円を手渡していた。金銭授受はこれが初めてではなく、初枝がたびたび両親から金銭を受け取っていたことが後半で明らかになっていった。

亜紀に限らず、未成年の家出が成立するためには、

・当事者が家出を望むこと
・保護者が了解していること
・当事者を(それなりに安全に)受け入れる先があること

という3つの条件が必須だ。ひとつでも満たしていないと、たちまち警察や福祉の「網」に引っ掛かってしまう。

僕なりの解釈①:実は、合意があった

分かりやすいのは、「両親と初枝の間に、何らかの『合意』が結ばれていたこと」である。全てが明らかにされていないものの、少なくとも父だけは「亜紀が初枝のところで暮らしている」と知っていた可能性はある。(父と初枝のやり取りは、母や娘に対する演技だったのではないか)

とはいえ、それぞれの会話には不自然さも色濃く残る。

その不自然さが、亜紀という人間だけがどこか浮遊しているような人物として印象づけられるように僕は思った。

不明点②:柄本明演じる、駄菓子屋の店長は何を象徴しているのか

“父”である治とともに、万引きという犯罪に手を染めていく“長男”の祥太。“次女”のゆりが現れ、同じ子どもである祥太と共に行動するようになるのだが、両親が「まだ万引きするには早い」という言葉と裏腹に、ゆりは積極的に犯罪行為に加担するようになる。

新しくできた自らの家族。ここでは誰も自分のことをたないと、漢族への帰属意識を急速に高めていく。その帰属意識を形にするため、ゆりは祥太に止められてもなお、万引きを行なおうとするのだ。

そんなゆりの言動を、祥太も半ば諦めていたのだが、駄菓子屋で想定外の事態に遭遇してしまう。

“いつも通り”に万引きしていたのだが、駄菓子屋の店長から「おい」と声を掛け、「これやるよ」といってお菓子をもらうのだ。その際、祥太は「妹には(万引きを)させるなよ」と声を掛けられる。

優しさと厳しさが同居する柄本明の演技はさすがという他ないが、では、柄本明は、作中でどんな役割を担っていたのだろうか

本作において、柄本明はスポット的に出演するに過ぎない。短い出演時間にも関わらず存在感は大きいのだが、彼は社会におけるどんな役割を代替していたのか僕は掴みかねた。「セーフティネットからこぼれ落ちた人々にも、優しいまなざしを向ける存在がいる」という印象を与えるものの、それだけでは「弱い」気がした。

僕なりの解釈②:祥太にとって、初めての「先生」だった

祥太は、学校に行けていなかった。両親から「学校に行くやつは、家で勉強ができないやつなんだ」と嘘をつかれていたからだ。

そんな祥太にとって、駄菓子屋の店長は、初めての「先生」だったのではないだろうか。

自分が犯している万引きを、ほとんど罪の意識なく行なっていた祥太。柄本明がやんわりと注意したことによって、「万引きは、実は悪いことなのではないだろうか」と気付いたのだ。(先生に再度の“指導”を受けるため、また駄菓子屋を訪ねるのだが、間もなく駄菓子屋の店長は亡くなってしまった)

駄菓子屋の店長との出会いを経て、祥太は”父”や”母”の言うことに疑いの目を向けるようになる。最終盤で「わざと警察につかまったんだ」と告白するが、その始まりは「先生」との出会いだったのかもしれない。

不明点③:信代はなぜ、祥太に生みの親の居場所を告げたのか

ひとり罪を背負うと決意した“母”の信代。

治に「祥太を連れて面会に来る」ように告げ、そこで治の意思に反して、祥太をどこで見つけたのかを信代は告げた。治は諌めるも、「私たちは親にはなれない」のだと言って。

だが、なぜ信代はわざわざ祥太を不幸にするかもしれない生みの親の居場所を告げたのだろうか。“次女”のゆりは虐待した両親のところに戻り、再び虐げられてしまうが、祥太もまた同じような目に遭わされるかもしれない。

では、なぜ……?

僕なりの解釈③:それでも、「知らない」ことは罪深い

本作には、3人の子ども(未成年)が登場する。

適切な保護下にあるべき子どもたちだが、「知らない」ことによって、実は不利益を被っていた

・万引きが犯罪であることを知らされていない
・学校に通う意義を知らされていない
・なんで擬似家族としての生活が成立しているのか知らされていない
・初枝が、なぜ亜紀を受け入れるようになったのかを知らされていない

もちろん「知らない」ことによって平穏が保たれ、“家族”は束の間の幸せを享受することができた。しかしその代償は大きく、子どもたちはみな、それぞれが費やした時間を省みるたびに痛みを覚える姿もまた終盤では描かれている。

安藤サクラが、そのときに見せた姿は、本物の“母”同様のまなざしだった。慈愛に満ち、しかしもう二度と祥太には会えないだろうと確信した信代が、「知らない」ままにするのでなく、「知った」上でどうするのかを祥太に選ばせるという選択をしたのだ。

その背景には、それが信代にとって唯一の有益なアドバイスだったという事情もある。それまでずっと嘘をつき、「知らない」ことを当然としてきた信代にとっての罪滅ぼし。

だとしても、自分を不幸にした生みの親の居場所を告げることが、信代にとって与えられる唯一の有益な情報だとしたら、それはなんと悲しいことだろうか。

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あっさり書こうとしたら、思いがけず長くなってしまいました。

「万引き家族」は現在、Netflix、Amazon Prime Videoでそれぞれ鑑賞することが可能です。是枝監督の最新作「怪物」の記憶も未だ新しいままですが、ぜひ過去作品もチェックしてみてください。

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