終末のひばり

あるゲームプログラマーが自殺をしようと決めてから、それまでの日々を書き綴ったブログがあって、それによると彼が死ぬ前に最後に食べたものはガストのチーズINハンバーグだった、という話を聞いたことがある。

人生の最後の晩餐がガストのチーズINハンバーグか、とその事実(かどうかは分からないけど)ひとつひとつ噛み締める。
たまにセールをやっていることもあるから、その時に食べていたなら399円だ。
ガストのハンバーグは安いのにクオリティが高くておいしい。けど、399円の食事で、死ぬ前の胃を満たすのか。

自分だったら死ぬ前に何を食べたいかな、と思う。
そう聞かれたら、高級店に行ってお金のことを気にせずお腹いっぱい食べるとか、食べたことのない珍味を食べてみるとか答える人は多いだろうし、または思い出のお袋の味を最後に、なんて人もいるだろう。
上記のガストの話はネットで見聞きした話だが、それについて紹介していた人は、「彼はプログラミングの仕事の過酷さで我を忘れてしまい自殺したようだが、最後にいいものを食べる、といった発想ができない状態だったのではないか。忙殺されたあげく、最後まで倹しい発想しかできなかったための、ガストという選択だったのでは」と考察していた。
確かにそれもあるかもしれない。だが、私自身はあまり腑に落ちないでいる。

思うに、その人の「人生の落とし所」がガストだったのではないかと私は思っている。
これは完全に想像になるが、多分その人にとって、ガストはちょうどいい、ぬるま湯のような場所だったのではないか。
高級店に行けば肩が凝って疲れる。珍味に挑戦する体力もない。お袋の味も、これから自殺するにあたって大きな重しのように感じられる。
たぶんこの人は、チーズINハンバーグがそこまで大好物だったわけでもない。
最期に向けて、気負わず落ち着いて食事が採れる場所が、その人にとってガストだったのではないか。

私もよくガストに行く。
何も食べたくない、何もしたくない、でもとりあえずお腹は空いていて、今は中途半端に夜で、お金ないけど一人で入れて、自分が気にされない、背景のようになれる場所。と探していると、ビルの隙間から煌々と赤い看板に見慣れた白い三文字が目に入る。
もう歩きたくない。ここでいいか、ここがいいな。ガスト。すかいらーくグループの大黒柱。
ガストの席に着くといつも安心する。また来てしまったなあと呵責もある。
でもそこで頼むのは期間限定のちょっとお高い贅沢メニューでは決してない。
基本で無難で、一番味が安定しているものを頼むのは、心が傷つかない、ザワつかない、安全策だ。
自分の最期が、波風の立たない、優しい航海で終わりますように。静かな祈りを、いつも食べているチーズINハンバーグに込める。いつもの味。大丈夫。大丈夫。心は静かだ。
割ったハンバーグからチーズがゆっくりと垂れる。あたたかくてきれいな、クリーム色だ。

勝手に他人の死のいきさつを想像してしまうのは良くないことだと思うけれど、私はたまに死という道を選んだプログラマーのことについて考える。ガストで最後の晩餐を採るのは、分からないことでは全くない。
私は、最後に何を食べてから死ぬのだろう。
くれぐれも最後の食事を採るときは、いつもせこせこと利用しているファミレスアプリの割引を使わないようにしたい。宵越しの金とクーポンは持たないのだ。

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