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航空券ガチャでイスラエルを引いた (前編:暗闇のテルアビブ)

スカイスキャナーという航空券サイトがある。そこで行き先を「すべての場所」と指定すると、世界中の都市へ向かう航空券がランダムで表示される。僕はこれを「航空券ガチャ」と呼んでいる。
ある日とても暇だった僕はガチャを回し続けるとどうなるのか気になって、一日サイトに張り付くことにした。画面にはバンコクや香港といったおなじみの都市が並び続けている。しかし30歳社会人にして休日にすることがない僕は根気強く、その後も狂ったように更新を連打していると、突然「イスラエル」という文字が目に飛び込んできた。あっと叫んだ。Sレアカードだ。思わず買った。フライトは翌週だった。急遽有休をとって、次の週に飛行機に乗り込んだ。

イスラエルについて知見を深めるべく、英語のガイドブックを頑張って読んだ。全体的によくわからなかったが、とりあえず入国審査がマジ厳しくてやばい、というようなことが書いてあった。特に旅程について質問攻めにあうらしい。しかしガチャでチケットを買った僕に旅程などない。何を尋ねられても大丈夫なように、架空の旅程を説明する練習を機内で行なった。特に「エルサレム」の発音が慣れなかったので何度も反復した。「ル」にアクセントを置いて、ジュルサレーム、と発音する。ジュルサレーム。ジュルサレーム。18時間のジュルサレームを経て、イスラエルの首都テルアビブに到着した。
飛行機を降りると間も無く、噂の入国審査が始まった。長旅に疲れた僕は寝ぼけ顔で審査官にパスポートを渡す。審査官は僕より眠そうな顔でそれを眺め、そして死んだ目で僕の顔をじっと見つめた。一瞬の緊張が走ったが、程なく審査官はつまらなそうに欠伸をして一言、「Bye」とパスポートを投げ返してきた。あまりにあっけなかった。ガイドブックの情報は古かったのだ。今やイスラエルの入国審査はザルらしい。僕はジュルサレームの発音だけやたらうまくなってイスラエルの地に降り立つこととなった。

空港のフードコートでは、マクドナルドに並んだ若い女性たちが楽しそうにおしゃべりをしている。世界中どこでも変わらない景色だ。一点違うのは、全員がアサルトライフルを背負っていることである。後から聞いた話だと、徴兵制度のあるイスラエルでは兵役中に銃を失くすと刑務所行きになるらしい。なので銃とは常に一心同体で、寝床でもビーチでも肌身離さず持ち歩くとのことだ。スマホ感覚である。
機関銃の後ろに並んでハッピーセットを注文したところ、日本の値段の2倍くらいしてたまげた。慌ててクシャクシャになった紙幣を店員に渡すと、派手に舌打ちされた。全然ハッピーじゃ無かった。その後バス停でチケット買おうとしたら窓口のおっさんに怒鳴られ、またたまげた。たまげながらバスに乗った。

さて、今回の旅の宿は全てAirbnbで手配するつもりだ。物価の高いイスラエルでも比較的安く済むし、なんといっても一人旅の醍醐味は現地人との交流であろう。空港での苦い記憶を飲み込み、僕は来るべき温かい異文化交流に胸を弾ませる。日本からお土産のポッキーも持ってきた。プレミアムポッキーだ。きっと喜んでくれるはずだ。最寄りのバス停で降りると、閑静な住宅街だった。

時差ボケでふらつきながらも、Airbnbで予約したアパートを探す。今日の気温は34度。太陽がジリジリと照り付ける。20分ほど歩き回り、やっとのことで場所を突き止めた。それは閑静な住宅街に馴染まない、清々しいまでのボロアパートだった。壁の塗装は剥がれ配線が露出し、剥き出しになったケーブルにはツタが絡みついている。ヒビの入った塀は今にも崩れそうで、アパートというよりは廃墟である。すっかり色あせたドアを押し開くと、キキキと不快な高音がした。
ボロアパートのホールは外からの光が一切差し込まず、昼だというのに真っ暗だ。電気のスイッチも見当たらない。スマホのライトをつけると、正面に階段が見えた。階段の奥にはまた暗闇が広がっていて、しんと静まり返っている。冷たい汗が一筋流れた。僕は意を決して中に足を踏み入れる。

しかし、ここですぐに問題が発覚した。Airbnbからのメールをよく読むと、なんと部屋番号が記されていないのだ。ボロアパートはそのボロさのわりに部屋の数が多く、これでは今晩の宿にたどり着けない。たまらずホストに電話するも、何度かけても繋がらない。万事休すかと思われたが、ホストからの事前メッセージにヒントがあった。「鍵はドア前のカーペットの下に置いとくよ」と書いてあったのだ。

静寂と暗闇の廃墟で、僕はあらゆる部屋のカーペットを片っ端からめくり始めた。
1階、4部屋。無い。全身から汗が噴き出してくる。
2階、4部屋。全て無い。僕の足音とため息だけが、階段の踊り場にこだまする。
3階。無い。カーペットをめくるたびに埃が舞い上がるので鼻がムズムズする。汗がべったりまとわりついて気持ち悪い。イスラエルまで来て、なんでカーペットをめくり続けているのか分からない。どんどん鬱屈としてくる気持ちを紛らわすために、僕はなにか鼻歌でも口ずさもうと思った。しかし疲れた頭に浮かぶのは、かつて何度も反復した「ジュルサレーム」だった。

一枚めくってジュルサレーム。
まためくってジュルサレーム。

呪文を唱えながらカーペットをめくる。発音は良いが鍵はない。
全てのカーペットをめくり終わり、暗闇の向こうから住人が不審な目で見つめていることに気が付いたところで、僕は逃げるようにボロアパートを立ち去った。

その日は普通に1万円くらいするホテルに泊まった。夜ご飯にポッキーを食べた。ベッドがふかふかでよく眠れた。

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