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「やっている」のか?「やらされている」のか?-私は「今の私」が大好き

「今の私」は「幸せ」だ。

「今の私」になってから、いつもあたまに置いていることがある。
常にそれを考えながら生きている。

それは「やっている」のか、「やらされている」のか、ということ。

能動的に生きる。

ヒトコトで言うと、そういうことなんだと思う。

朝起きてから夜眠るまで。
もしくは眠っているあいだですら。
人間は色々なことをして生きている。

その一つ一つについて、いちいち考える。
「やっている」のか。
「やらされている」のか。

朝起きて。
朝食の支度をする。
洗濯機をまわす。
洗濯物を干す。
家族に「おはよう」と声をかける。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」と送り出す。
朝食の片付けをする。
身支度をして出社する。

その全てにおいて「やりたくてやっている」のかどうか、自分の気持ちを確認しながら行動している。「やりたくない」と思うときは、心のどこかで何かが滞っているということ。それを放置しないで、考えて考えて考え抜いて、改善する。
その繰り返しで生きている。

職場でもそうだ。
「やりたくないからって、やらないでは済まない」のが仕事というモノだと、前の私は思っていた。
でも、今の私は違う。
私は仕事も「やりたくて、やっている」のだ。
逆に「やりたくない」と思った仕事には「何か」がある場合が多い。
自分の意思に反して「やらされる」仕事に納得いかない場合は、1時間ぐらい置いておく。
そうすると「どうして気が進まなかったのか」が見えてくる。気が進まないには、それなりの理由がある場合が多い。
「筋が通ってない」とか「客観的に見てバランスが悪い」とか。
「気が進まない」は、長年仕事をしてきて培った「カン」のようなモノなのかもしれないけれども。

退社して夕食の食材を調達するために買い物に行く。
ここでも「したい」のか「したくない」のか、いちいち考える。
買い物すらしたくないときは、無理に買い物に行かない。
在庫で済ませたところで、誰にも文句は言われないのだ。
夕食が整えばそれで良い。

お風呂にゆっくり入るかどうかも、余った時間に何をするのかも「したい」ことだけを優先して、する。

恋人にラインをするかどうか。
恋人と電話をするかどうか。
それすらも、いちいち考える。
「今日は寝るね」とラインすれば「ゆっくり休んでね」と返事をくれ、「声が聞きたい」とラインをすれば電話をかけてくれる恋人がいることは、私にとってはめちゃくちゃ幸せなことだ。
(ちょっと前までは『決まった時間に電話できないなんて他の男と連絡でも取り合ってるんじゃない?』と言っていたあの彼が!人は成長するモノですねぇ。しみじみ。笑)

そんなわけで。
「今の私」は「やりたいことだけ」やって生きている。

嫌なこともないしストレスもない。
だから、まいにちまいにち、幸せだなって思ってる。

と。
ここでふと振り返る。
「今の私」になったのって、いつなんだろう???

あー。
わかった…。
元夫2と別居してから、だ。

結婚生活は我慢の連続で、やりたくない、やりたくない、と涙を流しながら歯をくいしばって生きていた。
そんな精神状態で生きていたら、生きていて楽しいなんて思えない。
なぜ、こんなに楽しくない人生を送っているのかと毎日、考えていたのを思い出す。

私は「やらされる」ことが吐き気がするほど嫌いな人間なのに、どうして「やらせようとする」人間と結婚したんだろう…。
不思議…。
恋は盲目…。
気の迷い…。笑

決断力のあるのが素敵だと思ったのよねー。笑

そういえば「家族以外と暮らすのは向いてない」って占い師さんに言われたけど…。
やっぱ結婚、向いてなかったのかも。笑

まあ、良い経験にはなったし、娘たちも授かったので、結婚自体はして良かった。
でも、あの結婚は、私の人生の終着点ではなく通過点だったんだな。
と、改めて思ったりする。

私は「今の私」が、好き。

そう言える、私が大好き。