【随想】「消費者市民社会」ってなんだ!?#2−(2/5)

 消費者教育推進法の中に現れた「消費者市民社会」ということば。わたしは、国民が必ずしも概念を共有し得ていないこのようなことばを安易に法律に書き込むことに違和感を持たざるを得なかったことを、先月ここで指摘した。
 なぜ、わたしたちは「消費者市民社会」の概念を共有し得ないのだろうか。「消費者」は、ことばの正確な理解はともかく、かなり一般的なことばである。では、「市民社会」はどうだろうか?ここでいう「市民」は、横浜市や鎌倉市といった特定の自治体に住所を持ち居住している人を指しているのではない。「市民」は、「市民」革命とか近代「市民」法といった、社会思想や法思想の文脈で語られるところの「市民」なのである。
 大学などで法を学ぶとき、おそらく最初に出てくる概念が、「市民」とか「市民社会」ということばだと思う。今はどうかわからないが、少なくともわたしが法学を学んだ時、そうであったし、現在、わたしもいくつかの大学で法学を講じることがあるが、まず説明するのが「市民」についてであり、「市民社会」についてである。
 このように、「法」よりも先に「市民」や「市民社会」を論じるのはなぜか。それは、現代社会における法制度が、「市民社会」における「市民」を前提として組み立てられているからなのである。ここでいう「市民社会」とは、封建社会との対比で用いられる。つまり、近代市民革命を経た社会のこと、封建社会を革命によって打破した社会のことである。封建制が「人が人を支配し/支配され得る主体」であり、「人が手段である制度」であるのに対して、市民社会「人は自由・平等・独立の主体」であり、「人が目的である制度」のことである。
 では、「消費者市民社会」と「市民社会」とは、何がどう違うのだろうか?また、なぜそうなってしまったのだろうか?(2015年5月5日記)

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