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努力の競走馬 〜パンサラッサの引退式〜


年明けの1月8日月曜日、初めて中山競馬場を訪れた。

船橋法典駅から

この日行われる重賞レースは京都競馬場で行われるシンザン記念だったため、中山競馬場は比較的空いていたと思われる。私が訪れた目的はタイトルの通り、パンサラッサ号の引退式に参加する為である。元々は12月に行われる予定だったがパンサラッサが感冒を患ってしまった為1月8日に延期となった。私自身本来予定されていた日程では行くことができなかったので好機である。

初めてウィナーズサークルを訪れ、横山武史騎手からサインをいただいたり、レースで勝った馬や騎手、関係者の写真撮影をしていた。

澄みきった中山の空


横山和生騎手とロードアヴニール号と関係者の方々

レース前半が終了した昼頃、中山競馬場を散策をしようとウィナーズサークルを離れたら付近に長蛇の列ができていた。
何事かと列の先頭へと辿ったところ、なんと加藤和宏元騎手と根本康弘元騎手がサイン会をしていたのだ!
そういえばXで加藤和宏先生がサイン会を開催すると呟いていた気がしたが、
まさか今日行われているとは思っていなかった。

とはいえあまりにも人だかりがすごかったし既にサインの列は締め切られていたのでお二人のご尊顔を目に焼け付けて後にした。

そうだ!パドックへ行こう!
と考える暇も無くパドックが現れた。

「とにかく近い!」が第一声だった。東京競馬場と比べればかなりの近距離で馬を見ることができる。今日は特に空いていたので競走馬の肉体美をまじまじと見つめられた。東京競馬場は広い一方中山競馬場はこじんまりしていて、でもそこが結構いいなぁとも思った。

但し、私は気づいてしまった。。
有馬記念は割とこの狭い空間に大勢の人間がひしめくのか。

想像しただけで息が苦しくなった。

その後は初めて障害レースを見てヒヤヒヤしたり、
昨年引退した田中勝春元騎手の展示を見たり、フードコートでかすうどんを食べたりして引退式まで待った。


七味入れすぎて口から火を吹いた


日は暮れ、肌寒くなってきた。
気が付いたら多くのお客さんが待機していた。
遂に始まる……

ブルーノ・ユウキさん


と思いきや突然アフロヘアーの男性が登壇し、歌い始めた。

「パンサラッサの歌を歌います」

場内は困惑と笑いで包まれていた。

パンサラッサがデビューしたての頃から作曲したらしい。
ブルーノ・ユウキさんは先見の目があるのか、
それとも偶々なのか定かではないがまるでパンサラッサの未来が分かっているかのような歌詞だった。

満を持して、遂にパンサラッサが姿を現した。

矢作先生は乗らないのかな(笑)


様々な想い出が込み上げてきた。
逃げを打つタイプの馬だということは知っていた。
初めて生で見たのは全競馬ファンたちの記憶に残るレースとなった第166回天皇賞・秋。
競馬を知らない友人には「3番、大逃げするから面白いよ」とだけ告げておいた。
まさか思い出すだけで心が沸き立つような名レースを創り出すとは。

その後は引退レースとなったジャパンカップを現地で観戦した。
チャンピオンズカップを選んでいれば好走していたかもしれないのにあえてジャパンカップを引き際に選んだところがパンサラッサというか矢作厩舎らしいなと感じた。

大きな拍手とともに主戦を務めた吉田豊騎手、調教師の矢作先生等、6名の関係者が登壇し花束の贈呈が行われた。

以下、関係者コメント

■広尾レース株式会社代表取締役 中尾公亮氏のコメント
「本日はパンサラッサの引退式にお越しいただき、誠にありがとうございました。JRA様のご厚意で、このような素晴らしいセレモニーを開催させていただくことが出来ましたこと、この場を借りて御礼申し上げます。また、ここに至るまで、矢作先生筆頭にパンサラッサに関わってくださいました皆さま、会員の皆さま、沢山のファンの皆さまに感謝申し上げます。

 そして、パンサラッサ、ただただ感謝しかありません。競走馬としては引退しますが、まだ彼のストーリーは続きます。日本で、世界でパンサラッサの子供たちが競馬を盛り上げてくれること、夢の続きとして変わらぬご声援をよろしくお願いいたします」

■矢作芳人調教師のコメント
「まずはじめに、この度の能登半島地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げるとともに、被災地の一日も早い復興、復旧を願って止みません。また、この寒い中遅くまで残ってくださったファンのみんな、ありがとう! そしてこのような盛大な引退式を挙行してくださったJRA、その他関係者の皆様、本当に感謝しています。ありがとうございます。リスグラシュー、コントレイル、ラヴズオンリーユー、そしてこのパンサラッサで、引退式は4頭目になります。本当に馬にも人にも恵まれた調教師だな、と実感しています。

 パンサラッサは、ほかの3頭より国内での実績は少し劣るかもしれませんが、本当に記憶に残る、心に刻まれる走りをしてくれた馬だな、と思っています。去年の今頃、パンサラッサのサウジカップ挑戦を決めたときは、いろんな雑音が外野から聞こえてきました。無謀だとか、ダートなのに何考えてるんだとか、いろいろ言われました。

 マルシュロレーヌのときも言われたのですが、それよりも酷かったです。しかし、その自分の考えを強烈に後押ししてくれた、オーナーの広尾さん、本当に感謝しています。そして、その難しいミッションを見事に成し遂げてくれたパンサラッサ、吉田豊騎手、そしてうちのスタッフ、本当に心から感謝しています。

 大谷翔平君が、プロ野球でも、メジャーリーグでも二刀流をすると言ったときに、多くの人が反対しました。多くの批判を受けました。でも彼は成し遂げた。矢作厩舎も、パンサラッサの走りを胸に、これからも挑戦し続けます。応援よろしくお願いいたします。パンサラッサには苦労させられましたが、僕も逃げ馬は好きなので、ファンの皆様が大逃げするたびに喜んでいただけるのが、僕も競馬ファンの気持ちと同じように嬉しかったです。

 彼はコントレイルと同期だったので、横に天才がいたものですから、なかなか比較されるのは難しかったです。パンサラッサというのは人間でいえば本当に努力家の馬で、サラブレッドの場合はなかなか努力だけでは素質には敵わないのですが、それを克服したのがパンサラッサだったかなと思っています。パンサラッサの子供たちには、やはりイクイノックスの子供を負かしてほしいと思っています」

■吉田豊騎手のコメント
「海外で大きいところを2つ勝たせてもらって嬉しく思いますが、一番思い出に残っているのは天皇賞で負けたときの悔しい思いです。僕も長く乗っていて、正直海外など大きいレースで、パンサラッサに緊張する機会を与えてもらって本当にありがたいなと思っております。パンサラッサには本当にお疲れさまという一言ですし、またこれから第2の人生があるので、本当に子供にも期待しています。また、パンサラッサの子供で逃げるような機会があればいいなと思います」

■岡勇策調教助手のコメント
「普段からあのような競馬をするので、皆さんの印象どおりだと思うのですが、普段から元気いっぱいという言葉がぴったり当てはまる馬で、元気いっぱい過ぎて毎日乗るのが嫌だなと思うくらい、元気の良い馬でした。海外G1も2つ勝たせていただきましたし、何より一番賞金の高いレースを勝たせてもらったので本当に嬉しいです。

 池田さんが引退した後も、いつもどおりでしたけども、担当が違うのをわかっているのかわかっていないのかわからないくらい、とにかく元気いっぱいの馬でした。海外に行かせてもらってたくさん良い経験をさせていただいたので、『ありがとう』という言葉を一番伝えたいです」

■池田康宏元厩務員のコメント
「今日もパンサラッサらしく僕も危険を感じるくらいの元気良さで、ひと安心です。自分のことで大変恐縮なのですが、私の定年退職前の4歳の秋から覚醒して急に強くなって、僕もG1制覇を諦めていたのですが、最後の最後にG1制覇を成し遂げてくれて、この馬からは諦めないということを教わりました。本当にお礼が言いたいです」

■生産者 木村秀則氏のコメント
「日高というのは僕のような中小零細の牧場がほとんどです。そういう人たちから、『感動をありがとう』、『勇気をもらった』という言葉をレースごとにもらいました。また、『小っちゃい牧場でも、世界に挑戦できる馬を出せるんだというのを証明してくれたんだよ』ということも言ってもらい、そんな希望を、僕だけではなくて日高という生産のみんなにくれた馬でした。

 繰り返しになるのですが、パンサラッサには『希望をありがとう、また子供たちで僕たちに希望をください』と言ってあげたいです。また、日高の希望の星になるような馬を出してほしいと思っています」

Yahoo ニュース
「パンサラッサの引退式が行われる 関係者6名のコメント」より

そうか、そうだった。
彼、コントレイルと同期で同じ厩舎だった。
それにしても矢作調教師、厩務員も全然期待していなかったのには驚きだった。
隣に常に天才の同期がいたせいでそう見えてしまったのだろうか?
ただ事実なのは、傍で一番パンサラッサを見てきた名伯楽たちが口を揃えて
「ここまで走ってGⅠ2つ取って引退式までするとは思っていなかった」
「彼は人間でいうと努力の馬」と言う。

皮肉にも競走馬の世界では「才能」が全てといっても過言ではない。
能力の高い馬同士を掛け合わせて強い馬を生産するブラッドスポーツなのである。
しかし、現実にはどんな良血馬でも多くがデビューすらせずに終わってしまう。

1口馬主をやっていた知り合いの話だとデビューするだけで万歳、オープンで勝ったら万々歳!

もちろん厩舎サイドの腕もあるが、あくまで厩舎は競走馬のパフォーマンスを最大限引き出すよう努めるワケで、結局のところ競走能力がなければどんなに頑張ってもタイトルには届かない。

我々競馬ファンは熱狂と感動を与えられると同時に生まれ持った才能がないと成功できないという現実を突きつけられる。

そのような過酷な世界の中、パンサラッサは6歳の暮れまで走り続けた。
指をさされようとも、大逃げというスタンスを決して変えなかった。
引退レースとなったジャパンカップ、4コーナ過ぎた後の写真を見返した人がXで「吉田豊騎手が若干ニヤリと笑っているように見えた。もしかしたら相棒のスタミナ切れを察したのだろうか」と呟いていて、面白くて何より愛おしかった。

「令和のツインターボ」
と個性派として親しみられ、多くの競馬ファンを時には頭を抱えさせ、時には夢の続きを見せられ、そして皆が彼のことを応援し、愛した。

努力したって大抵は報われない。
それでも自分諦めずに走り続ければ道が切り開かれることがある。
報われなくともその過程に価値が伴う。
パンサラッサは意向を吞んでくれる厩舎と騎手、そして多くのファンに恵まれた。
最高に面白くて、我々の背中を押してくれる幸運な名馬となった。

矢作先生同様、是非とも産駒たちにはイクイノックスの子どもに打ち勝って欲しいという想いを強く抱きながら帰宅した。

ありがとう、そしてお疲れ様でした。

 パンサラッサ 父ロードカナロア 母ミスペンバリー(母の父モンジュー)17年3月1日生まれ 牡7歳 栗東・矢作厩舎所属 馬主・広尾レース 生産者・北海道新ひだか町の木村秀則氏 戦績27戦7勝(海外4戦2勝、重賞4勝) 総獲得賞金18億4466万3200円 馬名の由来はかつて地球に存在した唯一の海、父名(海の神)より連想。

引用:netkeiba



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