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再録・ますく堂おっさんずラブ放談①「おっさんずラブ2016-2018」の巻(冒頭部抜粋)

二〇一八年最大の衝撃作!
恋愛ドラマの革命児「おっさんずラブ」


益岡 
ちょうど一年前の二〇一七年十二月三十日に、《ますく堂なまけもの叢書》企画の第一弾である「早稲田文学女性号」の読書会を行いました。ありがたいことにそれから四冊、本を出すことができまして、この「おっさんずラブ」特集号で五冊目となります。二年連続で参加されている方もおられますが、今年もこの年の押し迫った日程で「みんな、良く来るな」と感動しております(笑)
さて、今回のテーマはテレビ朝日で二〇一八年の四月から連続ドラマとして放送された「おっさんずラブ」です。
これは、男性同士の恋愛の三角関係を扱ったラブコメディ。田中圭演じるぽんこつだけれど日向の匂いのする、ダメかわいい三十三歳の春田創一を、男の中の男と誰もが敬う、けれど心は実は乙女な理想の上司、黒澤武蔵(吉田鋼太郎・演)五十五歳、本社から転勤してきて春田のルームメイトになるエリートイケメン巨根後輩社員の牧凌太(林遣都・演)二十五歳が取り合うという筋立てです。
田中圭と吉田鋼太郎以外は出演者が入れ替わっていますが、元々このドラマは一時間枠で単発のパイロット版がつくられたのがはじまりです。放送は二〇一六年の冬でしたが、この単発版が放送されたとき、セクシュアルマイノリティが登場する小説を読む読書会「読書サロン」で、僕はこのドラマを「こんなすごいものを観た!」とかなり興奮気味に紹介しました。
ただ、いわゆる「セクシュアルマイノリティの問題を扱った作品」としてこのドラマを賞賛するのは憚られるという意識は実は持っていたので、社会的なテーマを扱ったドラマとしてではなくて、「BL」という、非常に専門的なエンターテインメントジャンルが、テレビドラマというメジャーなメディアに登場して、しかも面白い、切れ味の良い短篇として成立していたということを「事件」として捉えたい、というのが僕の評価であり、思いでした。
これをリアルなセクシュアルマイノリティを描いたドラマとして観ていくと、あまりにも欠点が目につきすぎる。だから、そこはもう度外視して、伝統的な恋愛ドラマの文法を面白く使い倒した新しいテレビドラマとして純粋に楽しんだ。
一方、当時はまだ、セクシュアルマイノリティを中心的な登場人物としたドラマ自体が珍しかったので、ただシンプルに「こんなドラマが地上波で放送されるなんて!」という驚きもありました。
ただ、当時、そうした長所や短所が議論されるほど、このドラマが話題になったという印象はなかったんです。
それがまさか二年後、こんな大騒ぎになるとは……
一同 (笑)
益岡 
もっとも、ここ数年でセクシュアルマイノリティを中心に据えたドラマは相当数つくられていて、現在ではひとつのシーズンに一、二作は必ず入ってきているという状況になっています。
《ますく堂なまけもの叢書》がテレビドラマを取り上げるのは今回が二回目で、前回は「やすらぎの郷」を中心とした号だったのですが、その号に二〇一八年の冬ドラマを一覧にして解説したページをつくりました。その中では「隣の家族は青く見える」(フジテレビ)が該当するのですが、このドラマでは「おっさんずラブ」にも春田の上司で牧の元カレでもある武川政宗役で出演している眞島秀和と、若手実力派の北村匠海がゲイのカップル(広瀬渉・青木朔)を演じて好評を得ました。視聴率はあまり良くなかったのですが、この二人には非常にコアなファンがつきまして、最終回放送後には「わたさくロス」と呼ばれる現象も発生しています。
この「隣の家族」もそうですが、二〇一六年版の「おっさんずラブ」に比べるとかなりテーマ性の強い作品が増えた。
そうした状況の中で、二〇一六年版からはかなり進化した二〇一八年の「おっさんずラブ」が、あらためて賞賛されたという見方も出来るかと思います。
ティーヌ 
二〇一六年のときに益岡さんが騒いでいて、調べた記憶はあります。これは三夜連続の競作企画で、他の二作のコンセプトが「女子高校生ゾンビ」と「熟年不倫」だった。「同性愛」がこれらと並ぶのかよ、と正直、反発を覚えた。
益岡 
なんか、絵にかいたような「イロモノ企画」という感じ。「変わった恋愛ものをやろう」というコンセプトだったんでしょうけどね。
そんな登場をした「おっさんずラブ」ですが、今や大変な経済効果を生むヒットコンテンツになりまして、色々な関連本も出ているので、ご用意してみました。
放送終了後、「おっさんずラブ シナリオブック」(一迅社)と「おっさんずラブ 公式ブック」(文藝春秋)が出版されました。また、「TV Bros.」の田中圭特集号(二〇一八年八月号)には、かなり詳細な「おっさんずラブ」についてのロングインタビューが掲載されています。その中で、田中圭くんの中でも単発版の「おっさんずラブ」は思い入れのある作品だったということ、それ故にキャストが大きく変わるということに違和感があったということ等がとてもうまくまとまっていて、大変良い一冊に仕上がっています。
もう一冊が、この十一月に開催された第二十七回「文学フリマ」で買った、昭和はに子さんの同人誌「いつつのたなか いつかのたなか」(昭和のひとびと)です。これはずっと昔から田中圭に注目していたという著者が、この機に乗じて(笑)「自分の好きな田中圭」を紹介した本なのですが、かなりマニアックで、正直、いくつかの作品はぴんと来ないものもあったんです(笑)
でも、田中圭くんという俳優は、そういう存在だと思うんですよね。あまりにも多くの作品に、職人的にかかわり続けてきた俳優という、それが田中圭の最大の魅力だと思う。僕にとっての田中圭もまた、昭和はに子さんにとっての田中圭ととても近しいところがあると感じていて、僕はドラマの「WATER BOYS」(二〇〇三年、フジテレビ)で田中くんを初めて認識したと記憶しているんですが、田中くんは主演の山田孝之くんの親友として登場しながら、斜陽サークルである男子シンクロ同好会から離れていく、山田くんを見捨てる存在として機能するんですね。ひとりになった山田くんは新しい仲間を得て、同好会を再建していく。つまり、主人公の親友でありながら、メインキャストからは外れていくという微妙な役どころなんです。でも、そんなポジションをとても丁寧に演じていたという印象があって、それからずっと、僕は彼に注目し続けてきた。田中圭は、そんなファンを多く持つ俳優さんだと思っています。
それでは、ここからはおひとりずつ順番に、「おっさんずラブ」への思いを語っていっていただこうと思います。一巡したところで、それまでに出た様々な話題を拾いながら、フリートークに繋げていきたいと思います。
酒井 
酒井と申します。普段はいくつかの大学で歴史の非常勤講師をしています。ティーヌさんの「読書サロン」に通っていて、その流れで、《ますく堂なまけもの叢書》の会にも参加するようになりました。四回開催された内、既に三回、参加しています。常連と言うか、暇人の代表という感じです(笑)
「おっさんずラブ」については、いわゆる恋愛ものの王道をパロディとしてなぞった作品という印象を受けました。役者さんたちがとてもしっかりしていたので、普通に楽しく観たのですが……正直、期待も大きかったので、ちょっと残念というか、難点もあったなという思いを持っております。その辺りについては後ほど、語っていきたいと思います。よろしくお願いします。
トット 
トットといいます。元々、読書サロンに通っていて、この会にも参加という流れです。なかなか時間が合わなくて参加できないことが多いのですが、今回は「おっさんずラブ」を扱うので、「これは出なければ」と(笑)
このドラマはリアルタイムでとても面白く観ながら、誰とも話せないということにすごくフラストレーションを感じていました。
基本的には、僕は、満点。楽しかったし、大泣きしました。
ティーヌ 
ティーヌと言います。ここまででも何度も話に出ている「読書サロン」という読書会を運営しています。《ますく堂なまけもの叢書》の会にはこれまで②の「早稲田文学女性号」読書会と、③の「NUDE展」座談会に参加しています。
実は私、テレビドラマに疎くて、「隣の家族は青く見える」も益岡さんに言われてチェックするようになって「わたさくロス」を起こし、「おっさんずラブ」に臨んだという流れです。ただ、「おっさんずラブ」については、二〇一六年の時から警戒していたので、なかなか入っていけなかったのですが、今回、ネットフリックスで連続ドラマ版、二〇一六年版、それぞれ二回ずつ観て、今日に臨みました。どうぞよろしくお願いします。
美夜日 
美夜日です。益岡さんの大学文芸部の後輩です。
ティーヌ 
非常にわかりやすいバッジをつけておられるんですが……(笑)
美夜日 
つっこんでいただいてありがとうございます(笑)今回はこのようなイベントに参加するということで、気合いを入れて、「腐女子缶バッジ」をつけて参りました。これは、BL作家さんのサイン会なんかでは必ずつけることにしておりまして、作家さんや担当編集者さんもこれを見て大受けするという、大変ご好評いただいているアイテムです。
益岡 
さすが、今日は気合いが違いますね(笑)
美夜日 
ここなら、大丈夫と思って装着しました(笑)
「おっさんずラブ」ですが、腐女子界では今年、最大の話題作と言ってよいと思います。
益岡 
奇しくも本日はコミックマーケットと日程が重なっておりますが、「おっさんずラブ」だけで五十五サークルが出展するという……この数字はかなり盛り上がっていると見ていいわけですよね?
美夜日 
生もののジャンルでこの盛り上がりは凄いと思いますね。
ティーヌ 
基本的なことをお伺いするようですが、テレビドラマは「生もの」なんですか?
美夜日 
俳優さんは実在しているので、生ものです。二次元よりも、ご本人が実在する分、罪深いジャンルであるとされています。
一同 (笑)
美夜日 
サークルさんたちは皆、ご本人に見つからないように、慎重に活動しておられます。
酒井 
かなりの確率でばれてると思いますけど(笑)
ティーヌ 
みなさん、見て見ぬふりをされてると思いますね(笑)
美夜日 
T.M.Revolutionの西川さんは、自分が「受」の同人誌が欲しいと口走っていて、該当のサークルさんは軒並み怯えているんです。もし御本人が買いに来たらどうしよう。もう消えたい!と(笑)
ということで、一腐女子として、今回はとても楽しみにしてきました。《ますく堂なまけもの叢書》の会は、前回の「加藤シゲアキ」読書会に続いて二回目になります。よろしくお願いします。
トット 
どちらも罪深い特集ですね(笑)
一同 (笑)
益岡 
シゲ本はね、結構反響、ありましたよね。
ますく堂 
これだけ買いに来た人、いましたよ。文フリの時には「NUDE」を買って、それを読んで気になってすぐ翌日に来てくれたの。
益岡 
まだ、店頭に出してなくてね。本当、申しわけなかった。
ますく堂 
それから数週間して、ほんと、これだけをまた買いに来てくれたの。
益岡 
他にも、京都の加藤シゲアキくんのファンの方からもご注文いただいて、「ああ、ついにこの日が来てしまった」と、正直、怯えたんですけど(笑)とても暖かい、非常に好意的な感想のコメントをいただいて……本当、安心しました(笑)
美夜日 
シゲはつい先日放送されたテレビドラマの「犬神家の一族」(フジテレビ)でも頑張ってましたよね。
益岡 
シゲはね、そんなに悪くなかった(笑)まあ、「犬神家」については飲み会のときにでも詳しくお話しましょう(笑)
森の風 
ツイッターでは「森の風」と名乗っています。「読書サロン」に通い始めて、この会のこともそこで知りました。「おっさんずラブ」は、私は夫や子供がいるので、自分のためにテレビを観るということがしづらく、あまりテレビを観る習慣がないので、インターネットの見逃し配信で観ていました。二〇一六年版も、つい先日、飛行機に乗る機会があった時に視聴可能作品のラインナップに入っていて観ることが出来ました。
私は春田の会社の先輩の武川政宗さんが好きです。あの会社の面々はみんな楽しいですよね。女性社員のマイマイ(瀬川舞香/伊藤修子・演)もすごくいいキャラ。この二人が楽しくて観ていた感じです。特に武川さん。みんなが「春牧」とか「牧春」とか言って盛り上がっている中で、武川さん、武川さん、と……
ヘイデン 
私も武川派です! 「武牧」、「牧武」で二次創作小説を書いています!
森の風 
ああ、仲間がいて嬉しい!
ヘイデン 
ネットでは、ヘイデンという名前で活動しています。元々は、ビジュアル系バンドの二次創作、生ものBL小説で活動していて、その後、商業BLなんかも読んでいたんですけどあまりはまらず、ずっと二次創作をやめていたんですけど、今回、「おっさんずラブ」によって十年ぶりに創作欲が再燃しました。「来た、生もの!」と。
一同 (笑)
ヘイデン 
ピクシブのアカウントを速攻でつくって、二次創作、ばりばりやりはじめました。
というわけで、完全にBL目線で「おっさんずラブ」にはまっちゃいまして、二〇一六年版も観ていたんですけど、そのときはツイッターなんかも全然チェックせずに、盛り上がっているかどうかも確認しないまま、ただ、「面白かったな」と思って終わっていたんですけど、連ドラやるってなって、毎週録画して、週7で観てました。
酒井 
週7? それは凄い。
ヘイデン 
1.5倍速再生で一日で全部観る、とかやったりして、とにかく、めちゃくちゃはまってました。
読書会はずっと別のところに行っていました。「読書サロン」も気になっていたんですけど、なかなか参加できずにいて……この十二月の中井英夫『虚無への供物』の回に初めて参加して、そこで益岡さんに「おっさんずラブ」の会について教えてもらって、「是非」と即答して、来させていただきました。
まあ、ドラマのリアリティの話をすれば、私もセクシュアルマイノリティの友だちがいるので、実際とはだいぶ違うなという印象は持っています。でも、そこは腐女子目線でひたすら楽しむというスタンスで。時計も、はるたんとお揃いです!
一同 すごい!
ヘイデン 
これ、日本で売り切れてて海外から取り寄せました。
ティーヌ 
はるたん需要、やばいよね。
ヘイデン 
服も、靴も、あっという間に売り切れましたね。色々調べて、取り寄せたりして揃えましたけど。元々、ビジュアル系のコスプレもやっていたので、そういうものをまねするのは好きなんです。他にも、公式グッズなんかも揃えています。
同人の話に戻すと、最初は「牧春」で書いてたんですけど、途中から武川さんがあまりにも良すぎて、「武牧」になり、個人的にリバもの(BLにおける主に肉体関係上の攻・受の役割を固定せず、状況に応じて関係が逆転する作品群)が好きなので「牧武」も書く、という……
美夜日 
ちゃんと逆カプ(逆カップリング。攻・受関係の逆転を表す)も押さえて……
ヘイデン 
はい。本にはしていないんですが、ピクシブで読めますので、ただ、エロいのが好きなので、エロが大丈夫な方は、よろしければ読んでみていただければと思います。けっこう、がっつりエロです。
益岡 
みんなが読めるように、自己紹介文のところにはぜひ、ピクシブのアカウント情報を記載してください(笑)
ますく堂 
ますく堂です。ここで古本屋をやっております。「おっさんずラブ」には全然興味がなくて、でも、益岡さんに「これはいい」と強く勧められて観ました。言われなかったら自分からは観なかったと思うんですけど、ただ、BLには、特に忌避感とかはなくて、普通に恋愛ものとして面白ければ……という気持ちで、一般的な少女漫画と同じように読んでいました。昔、勤めていた新刊書店でも、大量に入ってくるので、作家の見分けはつかないけれども、BLというジャンルはもちろん認識していて、偏見とか、そういうものはなく読んで来たので、「おっさんずラブ」にもそういう意味での抵抗はなかったです。
二〇一六年版を後で観たんですけど、二〇一六年版の方がコンパクトにまとまっていて話もわかりやすいという印象を受けました。
私が正直、最初、入りづらいなあと思ったのは、田中圭の演技の大げささ。これは吉田鋼太郎にもいえることで、二人の掛け合いに、引くというか、ついていけないものを感じて「厳しいな」と思っていた。
でも、回を重ねるごとにはまっていって、最後まで観て、またすぐもう一回観るという感じで、すっかりはまってしまいました。今日はよろしくお願いします。

二〇一六年版⇒二〇一八年連ドラ化
「おっさんずラブ」の進化を追う


益岡 
あとからもう一方、いらっしゃいますが、一巡しましたので、まずは「二〇一六年版」と連ドラ版の違いというか、作品の変遷について触れて行きたいと思います。
「二〇一六年版」は、ぼくは初見時、ただただ面白がって観ていたんですが、今回、見直してみてやっぱりホモフォビアというか、とんねるずのコント「保毛尾田保毛男物語」のような、同性愛者を特殊なものとして描いて嗤うような、そういう図式はあるなと感じました。
ただ、同性愛の描かれ方として、斬新だったことは間違いないと思っています。たとえば九〇年代のドラマだと、同性愛者は本当に異端の存在だったり、不幸になるしかない存在だったり、特殊な描かれ方をしてきた。
印象に残っているのは、「あすなろ白書」(一九九三年、フジテレビ)というドラマで、西島秀俊くんは筒井道隆くんのことがずっと好きで、でも、それを打ち明けられなくて鈴木杏樹さんとつきあっちゃう。西島くんはその後もずっと悩んでいて最終的には電車に飛び込んで死んでしまう。でも、鈴木杏樹のお腹の中には彼との子供がいる……という、実に悲劇的な描かれ方で、これは原作が柴門ふみですけど、脚本は北川悦吏子。我々の世代では「恋愛の神様」と謳われた脚本家です。で、この北川は十数年後、「素直になれなくて」(二〇一〇年、フジテレビ)というドラマを書きます。ここにも玉山鉄二演じるゲイが登場する。そして彼もまた、非業の死を遂げる。北川ドラマは残念ながら、十年以上の時を経てもアップグレードできなかったんだと、北川ドラマが好きなだけに、とても残念に思った。ただ、北川悦吏子は二〇一八年の朝ドラ「半分、青い」に志尊淳演じる「ボクテ」という明るいゲイ少年を登場させていますので、さすがに、バージョンアップしたのかな、とは思っていますが(笑)
ティーヌ 
映画でもそうですよね。「戦場のメリークリスマス」(一九八三年、大島渚監督)とか「怒り」(二〇一六年、李相日監督)とか。ゲイはなんかひとり孤独に公園で野たれ死にするとか、そんな感じの結末。
美夜日 
私がゲイ小説やゲイ映画で不満なのは、まさにそこなんですよ。カップルのうちひとりが必ず死ぬんです。交通事故か、戦争か、病気で。それで悲恋を演出するというのがお決まりで(笑)
益岡 
僕が「おっさんずラブ」がすごいな、と思うのは、そういう、かつてのトレンディドラマが描いてきた同性愛とは、まず、違うということ。二〇一六年の時点では同性愛を悲劇や異端というレッテルなしに中心に据えるということ自体が貴重なことだった。
一方、二〇一八年でいえば、先ほど話題になった「隣の家族は青く見える」の他にもNHKの「女子的生活」や「弟の夫」といった、非常に良質な、ただ、これはあえてこう表現しますが、「LGBTドラマ」が放送されるようになりました。これらの作品、僕は大好きですが、ただ、非常に教条的と言うか、啓発という役割を帯びた作品だと思うんです。
いわゆる同性愛者を笑いものにするとか、特殊な人たちとして遠巻きにするとか、そういうことは非常に時代遅れで「よくないこと」なんですよ、ということを世にしらしめるという役割を与えられたドラマだと思うんですね。こういう動きは個人的には歓迎すべき流れだとは思っていますが、「おっさんずラブ」はそういう潮流とも違うものであると認識しています。
もちろん、そうした潮流に配慮していないわけではなくて、「おっさんずラブ」のスタッフも、二〇一六年版の反省を踏まえて、連続ドラマ版ではだいぶ、バージョンアップしている部分があると思っています。公式ブックなどを読んでも、「二〇一六年版を観て傷ついた人がいた」という問題意識は持っていたということがわかる。
そういう配慮をした上で、「LGBTを扱ったドラマ」というよりは、「ひととひととが愛し合う王道の恋愛ドラマ」というスタンスでつくられたのが「おっさんずラブ」だったのだと考えると、これは「セクシュアルマイノリティを扱ったドラマ」の在り方としては、今までの作品の在り方とはちがう、独自の方向性を持った作品だったんじゃないかと思うんです。
美夜日 
「新しくて、面白い」というのが肯定的な意見の代表的な声だと思いますね。特に「新しい」というところ。これは、セクシュアルマイノリティ当事者であるとか、腐女子、腐男子、関係なく、そういう声が多いのではないかと思います。
益岡 
この流れをテレビ業界全体は大事にして欲しいな、という思いはあるんですよね。教条的なものは、かなりいいものが出て来ているので。
ヘイデン 正しいLGBTについて啓発するというような作品でないものを、ということですね。
益岡 
そう。ぜひ、そこを超えてきた愉しいドラマが観たい。この流れに続いて欲しいと思っています。
ティーヌ 
私は連続ドラマ版はだいぶ進化したと思っていて、「二〇一六年版」はかなりホモフォビアなところを凝縮した感じで、観ていてしんどかった。ゲイを気持ちの悪いものとして捉える描写が多くて、最後はハッピーエンドだけれど、ちょっと、「男が男を恋愛対象にする」ということに対する姿勢というか、決して肯定するわけではなくて、なんだか、「悪くないかも」みたいな曖昧なところで終わってしまっていてはっきりしなかった。二〇一八年版ではそうした点は大幅に改善されていたし、長い物語になった分、セクシュアリティだけではない、色々な社会問題が取り上げられていたのも大きな変化だと思うんです。
熟年離婚であるとか、就職活動の困難さ、家族の問題……春田が牧の家に挨拶に行く回は、私は結構笑えました。
春田たちの憩いの場として登場する居酒屋「わんだほー」を巡る都市開発の事件も印象に残りました。大規模な都市開発によって小さな商店が閉まってしまうという……なんか、全体的に今までの家族であるとか社会のシステムがうまくいかなくなって、人生のライフプランも従来のものが通用しなくなっている。大学を卒業して就職して結婚して子供を持って子どもが独立して定年を迎えて老後を安らかに過ごすというような、それが当り前の流れではなくなって、そのために出て来た問題というものが、当たり前のものとしてドラマに組み込まれている。そういう、色々な問題を抱えた社会、人生を生きていく中で、あくまでそのうちのひとつとして「男に告白されました」という課題が持ち上がってきたという図式がいいなと思ったんですね。
でも、ますくさんや益岡さんは、「二〇一六年版」をかなり肯定的に捉えていますよね。「二〇一六年版」の方が好きかも、という……
ますく堂 
私は、大枠は同じ物語だと思っているんです。そう捉えると「二〇一六年版」はコンパクトにまとまっているところがいいんじゃないかと。キャストの交代についても違和感がなくて、私はこういうリメイクというか、キャストが変わったりすると、やっぱりどちらかに大きな違和感を覚えて、「ダメ」という評価を下すことが多いんです。でも、このドラマについてはそんなことはなかった。どちらのキャストもお互いの良さがあって、林遣都も落合モトキもそれぞれ良かったし、春田の幼馴染的ポジションの内田理央と宮澤佐江も遜色なく、良かった。知らない俳優さんも多かったけど、うまくチェンジしていて、私は連続ドラマを先に観たこともあるかもしれないけど、「二〇一六年版」への物語的な忌避感はあまりなかったから、俳優さんたちの良さを観て欲しいな、という気持ちの方が強い。それはベースになっている脚本がいいんだな、と思うし、ダブルキャストみたいな感覚で、二つを楽しむのがいいんじゃないかと思う。
益岡 
僕は「二〇一六年版」に思い入れがあったから、落合モトキが外されたことにね、ちょっと納得がいかないというか、「ハセに悪い」という思いがあって……
一同 (笑)
益岡 
僕はやっぱり、「二〇一六年版」を支えたのは落合モトキ演じる長谷川幸也だったと思っているんです。
田中圭の演技がわざとらしいという意見があったけれど、そういうところも含めて、田中圭はしっかりと練ってくる役者というか、ちゃんと「なっている」ことのできる俳優だと思っているんですね。
僕は田中圭と吉田鋼太郎には全幅の信頼を置いているんです。でも、そのふたりをもってしても、「二〇一六年版」においては、研究というか、コンセプト設定が甘かったんだと思っている。
当時の二人のインタビューに目を通すと、「くだらないけど面白い」とか「こんなにテンションのあがらないラブシーンはない」というような発言があるんですね。こういう発言は二〇一八年の連続ドラマのときには一切、ない。
それは、「二〇一六年版」がやっぱり、そういうコンセプトだったというか、「異色恋愛短編ドラマをつくろう」という、「とっても面白いイロモノをやろう」というスタンスだったからなんだと思うし、それに、忠実に二人の名優はあわせてきていたんだと思う。
だから、「二〇一六年版」はうまくやればやるほど、「保毛尾田保毛男シリーズ」(一九八八~九七年にかけてフジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげです」で放送された、石橋貴明演じるゲイをデフォルメしたキャラクター・保毛尾田保毛男を主人公としたシリーズコント)に近づいていくおそれがあった。そういう、暗い笑いを助長するドラマになっていたかもしれなかった。それを、そうはさせなかったのが、落合モトキだったんだと僕は思っている。
彼が演じるハセが、自分の恋心を「気持ち悪い」と完全否定する春田に向かって「そんなこと言わなくていいじゃないですか」と傷つくところであるとか、一方でラストのキスシーンでは、困惑する春田に「どうよ?」というような顔をしてみせて、「いけるかも!」というような欲というか、俗っぽい表情を見せる。
このハセというキャラクターは本当に、ものすごくよく練られていて、彼の演技のすべてに僕はすっごく感動したんです。そういう意味で、「おっさんずラブ」は落合モトキが引っ張ったドラマだと思っていた。
なにより、吉田鋼太郎と張り合うというのは、並みの俳優にできる仕事じゃない。蜷川演出のシェイクスピアなんか観に行くと、吉田鋼太郎が一声発するだけで劇場が震えるような、そんな大きさがある。そんな大きな存在に、大スターである藤原竜也や小栗旬が挑んでいく……吉田鋼太郎って、そういう俳優なわけです。
それをね、キャリアは短くないかもしれないけれど、決して有名ではない、そんな若い俳優が、演劇界の巨人にね、しかもトナカイの着ぐるみを来た巨人に、タバスコやわさびを塗りあうえげつない勝負を挑んでいくわけでしょう。これは、命がけの戦いだったと思うんですよ(笑)
林遣都くんが悪いといっているのではないんです。僕は林くんのことは好きなんですよ。大好きなんです。ただ、彼はスターですからね。主演俳優ですから。そういうことを考えちゃうと、なんか「ルーティンでやってもらっちゃ困るぞ!」というような思いが……
一同 (笑)
益岡 
「おっさんずラブ」っていうドラマはさ、君の立っているその場所は、ハセが命がけで守った場所なんだ。切り拓いた場所なんだよ!と、暑苦しい思いが募ってですね(笑)
だから、連ドラ化はすごくうれしかったのに、どうしても抵抗があった。
ティーヌ 私は連ドラ版の方が好きですけど、二〇一六年版の方が良かった点もあったと思っていて、それは、二〇一八年版ではるたんを狙う若いゲイがイケメンになったことと、武蔵も含めて、家での役割がより女性的になったこと。そこは、林くんがイケメンだから許せるけど……という。
益岡 
性役割が男同士の恋愛劇でも強調される違和感を林遣都の個性が制しているという指摘だと思うんだけれども、そういう意味でも、林遣都にとって、このバトンを受け取るのは大変だっただろうとは思っているんです。色々いいましたけど、二〇一八年版は林遣都のおかげで連ドラになったというか、人間ドラマになったという印象は持っている。もちろん、落合くんがやったって素晴らしいものになったとは思うんだけど、それはもう仮定の問題でしかないから。林くんの牧というキャラクターが、とても楽しい恋愛劇にちょっと影を落とすシリアスさと、そっちに振りきれ過ぎない軽快さを維持してくれたからこそ、素敵なドラマになったんだという認識はある。もちろん。ただ、僕にはやっぱり最後まで「ハセに悪い」という思いはあった(笑)
ヘイデン 
今の問題について、二次創作をやっている立場から言うと、「二〇一六年版」はそのまま続いているんですよ。同じように「二〇一八年版」は「二〇一八年版」でそのまま続いていて、「二〇一八年版」の中でも「春牧/牧春」と「武牧/牧武」も同じように、別々で並行して続いているんです。そう考えて、みんな幸せになろうよ!という考えがあるんです(笑)
益岡 
うん、そうですよね。そういうところ、二次創作のすっごく良い文化だと思うんです。お互いの世界観を否定し合わないという構造に話を持って行けるところは素晴らしいと思っている。ただ、役者のことを考えるとね。今、落合モトキくんはどう思っているんだろう。どうしてるんだろう……と時々、どうしても思い出してしまう……
ますく堂 
どうして変えたんだろうね?
益岡 
うーん。それはやっぱり、ネームバリューなのかな……林くんはスターだし……
美夜日 
ちょっと、ここで腐女子界から林遣都くんのフォローをしたいんですけど!
益岡 
おお! 是非お願いします。
美夜日 
「BL的実績」というと語弊もあるかもしれませんが、林遣都くんには映画「風が強く吹いている」(二〇〇九年、大森寿美男監督)で主人公のカケルを演じたという実績があるんですね。
トット 
林遣都には「DIVE!」(二〇〇八年、熊澤尚人監督)の主演もありますね。
ますく堂 
わたしは「バッテリー」(二〇〇七年、滝田洋二郎監督)のイメージも強い。
美夜日 
そう! BL的作品を支えてきた実績という意味では、腐女子界隈では林遣都は「おっさんずラブ」以前に、既に重要な俳優だったわけです。
益岡 
「風が強く吹いている」はたしかに、三浦しをんさんの原作(新潮社文庫)で、BLではないけれど、そういう「読み」ももちろん許容する構成になっている(笑)
美夜日 
原作が出たのも映画が公開されたのもだいぶ前なんですけど、未だに「カケハイ」(小出恵介演じる駅伝部の先輩、ハイジとのカップリング)で二次創作本をつくり、イベントに参加しているサークルさんもいる、BL界では息の長い作品なんです。同人グッズとして襷もつくっちゃったりして、まだまだ熱い。そんな熱を呼び起こす俳優なんです、林遣都というのは。
益岡 
なるほど。BL界から見ると、「林遣都は前からいました!」と(笑)
美夜日 
前から、「実写版における第一人者なんです!」と言いたい。
益岡 
連ドラ版は、そういうプロフェッショナルを連れてきて、万全の体勢で臨んだんだと(笑)
トット 
真打登場だ!と(笑)
ティーヌ 
俳優が抱えるファン層は意識したんじゃないかという印象はありますね。春田の幼馴染、荒井ちずを演じた内田理央にしても、彼女は元々、特撮ドラマの出身で、特撮時代からの固定ファンがいるんです。「おっさんずラブ」は、種類はそれぞれ違うけれど、コアなファンを抱える俳優さんが揃っているドラマだな、という印象があります。
ますく堂 
なるほど、一定の確実性が狙えるチームだということですね。私も林遣都くんは好きなので、最初の方で田中圭・吉田鋼太郎の濃い演技で疲れたところに林くんが出て来てくれると、「ああ、やっと林くんが出て来た」とほっとしていた(笑)
トット 
「二〇一八年版」のキャスト変更によって、より腐女子っぽく、BLコミックぽくなっちゃうのかなと思っていたら、かなりシリアスなドラマに仕上がっていて、びっくりしながら観ました。
ヘイデン 
「二〇一六年版」のホモフォビアが強いという指摘については、はるたんの同性愛への拒否感がより目につくというようなことですか?
ティーヌ 
そうですね。「当然、男と男はないっしょ」みたいな台詞が短い尺の中で何度も何度も畳みかけるように繰り返されている印象があります。「二〇一八年版」も何度も言っているんだけど、こちらではそこまで気にならない。
トット 
演じ方というか、ニュアンスがだいぶ違っていますよね。
ヘイデン 
私は、「二〇一六年版」のシビアさみたいなものは好意的に受け取っているんです。セクシュアルマイノリティのコミュニティにいると、セクマイへの拒否感みたいなものが社会に存在しているということを私は忘れるんですけど、いざ、そこから離れると、結構拒否感の強さを目の当たりにすることが多い。「二〇一六年版」は、やっぱりこれが「現実」なのかな、と。「二〇一六年版」の方がより現実をそのまま映しているのかなという気がしました。
森の風 
落合くんの演技が、すごく傷ついている感じがしますよね。彼の傷つきが、すごく本物な感じがする。私も「二〇一八年版」から観たんですね。より有名な俳優さんを揃えたドラマという仕上がりから、落合くんという、私にとっては馴染みのない俳優さんが出演しているドラマを観るという流れになったときに、この長谷川くんという役は、元々俳優さんではない、リアルな当事者を一人連れてきて演じさせたんじゃないか。そういうドラマだったんじゃないかと思った。他の役者さんたちは研究して同性愛者を演じているのかもしれないけど、彼だけは本物なんじゃないか。本当に演技なのかな、あの傷つき方は……という。もちろんドラマとしては楽しく観たんですけど……「二〇一六年版」も、ハセくんは最後には報われますよね?
ヘイデン 
報われますよね。ドラマ的には一度落ちないと盛り上がらないというのはありますよね。脚本の構成的な部分として。
ティーヌ 
私もヘイデンさんの言ったところは現実的だと思うんですけど、でも一方で、色々現実的じゃないところがあるわけじゃないですか。
美夜日 たしかに。むしろなんでそこだけ現実的?という感じもする。
ティーヌ 
田中圭のまわり、みんな恋愛体質、とかね。同性愛への肯定感とか。これは二〇一六年版も二〇一八年版も共通していますけど、春田の幼馴染ポジションの女性が部長の告白をともに全面肯定する。あれこそ、嘘だ!と(笑)
一同 (笑)
ティーヌ 
そんな嘘をつきながら、田中圭が同性愛を拒絶する様をあんなにリアルに描かなくても……というひっかかりはあります。
美夜日 
ファンタジーならファンタジーを貫いてもいいのかなという思いは、たしかにありますね。
酒井 
私がこの「おっさんずラブ」にいまいち乗り切れないのは、まさにそこに関連していて、リアリティを求めているのか、ギャグを求めているのか、ちょっとわからないところがあって。たしかにホモフォビアの現実を、リアリティを持ってやっている部分はあるけど、じゃあ、ドラマの全体的な印象はどうかというと、ほとんどリアリティなんてものはない。すぐずっこけたりとか、偶然のアクシデントで次々と、恋愛空間が核分裂のように発生していくところであるとか。ある種のコメディとして観て行けばありなんでしょうけど、そこが貫かれているわけじゃないから、うまく乗り切れなかった。「二〇一八年版」の家族の問題にしても、あれは同性愛の現実という風にはちょっと観られないな、と。ヘテロセクシュアル(異性愛者)の「娘さんをお嫁にください」のパロディだと思えばありだし、そういうことなんだろうけれど、やっぱり「リアリティ」という観点からはちょっと評価できないな、と思います。
森の風 
私は、意外と、女の子の登場人物たちが好きで観てた部分もあるんですね。マイマイとか。女性たちはこのドラマにおいて、同性愛をほぼ全面肯定なんですよね。「二〇一八年版」はそれが男性にも広がっていく。なんか、同性愛は絶対ダメっていうひと、いましたっけ?
ヘイデン 
いない。牧のお父さんだけ(笑)
森の風 
女性たちの描写を観ると、むしろ、そちらの方がリアリティになりつつあるというか。同性愛者が身近にいたときに「別に良いんじゃない」といえる社会に近づきつつあるんじゃないかという感じがする。少なくとも女性は、そういう傾向にあるような。それは二〇一六年版の時からもそうなんですけどね。
ますく堂 
そこは、正直、私は「え?」と思いました。
森の風 
ここをリアルと思うかファンタジーと思うかで、見方は変わってくると思いますよね。
ますく堂 
酒井さんが指摘した通り、そのリアルとファンタジーのバランスはおかしいというか、両方求めすぎたというか……私もリアリティの観点からは、女性たちが同性愛をほぼ完全肯定する様はおかしいんじゃないかと感じました。
ヘイデン 
私はセクシュアリティの研究をしていたことがあるんですけど、カミングアウトは父親より母親にするケースが多いことや、友達同士でのカミングアウトの受け入れやすさも男性よりは女性の方がスムーズであるという統計が出ているので、そういう点がこのドラマにも反映されているのだろうと整理して観ていました。
ティーヌ 
その傾向があることは事実だと思うけど、ただ百パーセントというのはやり過ぎかな……
酒井 
そう。女性はみんな「OK!」という体制なのも気になるし、男性は……そもそもヘテロの男性が少ないですよね。部長も、武川さんもゲイかバイだろうし……あとは牧のお父さんくらいしか……
ヘイデン 
マロくん(栗林歌麻呂/金子大地・演)もいますよ。
ティーヌ 
マロくんはいいですよね。
ヘイデン 
年とか性別とか関係ないじゃないっすか、っていう感じ、あれ、ちょっと萌えましたね。
ティーヌ 
女性では部長の奥さんの蝶子さんが拒否感というか、ショックを受けていますよね。まあ、あれは「男」ということよりも「離婚」というのが先に来ているかもしれませんけど。

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