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いつも月夜に米の飯


起きて、ヘチマとミニトマトの鉢に水をあげた後、
お気に入りのお店で買った苺ジャムをトーストに塗ってコーヒーと共に頂く。
朝の何気ない幸せな時間です。


いつも月夜に米の飯

最近知ったお気に入りの言葉。
電気がなく月の光が貴重な存在であった時代、
米はめったに食べることのできない贅沢なものであったため、これらにありがたみを込め「月夜と米の飯さえあれば、人は幸せでいられる」
という意味を表現したことわざ。らしいです。



話は飛躍しますが
皆さんは一日どれくらい歩きますか?
生活スタイルによって大きく違うかと思いますが、室内も含めると一歩も歩かないという人はほとんどいないのではないでしょうか。

今、足を骨折して歩けなくなったとします。
いつも行く近所のコンビニも、毎日行くトイレも、辿り着くことすら困難。
通勤なんて至難の業です。
そんな状況になってみるまで、自由に歩けるということがどれだけ幸せなのかを忘れてしまっています。

慣れというのは怖いもので
数日前まで特別に感じていた事も、毎日繰り返すと当たり前になってしまいます。
気付かぬうちに、です。
もちろん習慣になるというのは素晴らしいことでもあります。
ですが、本来感じていたであろう”ありがたみ”が少しずつ薄まっていき、いつの間にか味がなくなってしまう。
ファストフードばかり食べいていると塩むすびを美味しく感じられなくなる的なことですかね。

この
濃い味じゃないと何も感じられなくなってしまった感覚を、こまめにリセットする
というのが僕の目標です。


歩くこと、食べること、寝ること、話すこと、、、
当たり前になり過ぎて取りこぼしていた幸せポイント。
これをしっかり回収できているかどうかが、ストレス過多と言われる現代社会で生きていくためには重要になるのかもしれません。
拾い忘れがちな幸せポイントを地道に貯めて、いつでも満たされた心で生きていきたいものです。


ちなみに
「いつも月夜に米の飯」は
月夜があって米の飯をいつも食べられるなんて、そんなに世の中上手くいくわけないっしょ。という意味でも使われるそうです。
今では考えられない感覚すぎてピンときませんが、数百年前の生活水準ではそうだったのかもしれません。

もし現代的に言うなら
いつも麻布で握り鮨
ですかね。

まあいくらお金持ちになっても
毎日麻布で寿司を食べたいとは思いませんが。。。

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