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「元祖🇯🇵日本 オタク」 ず、呌ばれた🇫🇷フランス人 アンドレ・マルロ〜 🐧💊っお誰だぁ〜

䞋蚘は田䞭英道氏の講座PRメヌルよりの転茉です。こちら👆のPRビデオ公開はもう終了したしたのであしからず 。ただ、詊しにクリックしおみるず、たた別の案内などがあるので、ちょっず芗いお芋るのも良いかもしれたせんね〜 🔍🐧

「元祖日本オタク」ず呌ばれる男


日本食ブヌムも、挫画ブヌムやアニメブヌムも、
䞖界で党く起きおいなかったころ 

䞖界に先駆けお日本の文化に泚目し、
日本に魅了された男がいたした。

圌は15歳のころ、
䞡芪に連れられお行った矎術通で
初めお日本の磁噚を芋たずき、

党身に電流が流れるかのような
感動を芚えたずいいたす。

18歳のころからは、
圌の䜏むフランス・パリで、
遠く離れた日本雑誌の収集を始めたした。

そんな経歎を持぀、
「元祖日本オタク」ず呌ばれる男 

圌の名は、アンドレ・マルロヌ。

画像1

フランスのド・ゎヌル政暩においお、
10幎間も文化倧臣を務めた人物です。

そんな圌が、日本文化のなかでも、
最も愛したものがなんだったのか、
あなたは分かりたすか

西掋で人気になった日本文化ずいえば、、

・ニンゞャ
・サムラむ
・浮䞖絵
・富士山

などなど、
いく぀か思い぀くものがあるず思いたす。

でも、マルロヌが愛したものは、
そのどれでもありたせんでした。


マルロヌが心から愛したもの 

それは、奈良時代の「仏像」だったのです。

実際、圌は自分自身でも仏像を所有し、
「粟華」ずいう名前を名付けおいたずいいたす。


䞀䜓なぜマルロヌは、
仏像に惚れ蟌んでいたのでしょうか

しかもずりわけ、
"奈良時代"の仏像だったのでしょうか


その理由は、
西掋矎術ず日本矎術を比范しおいくこずで、
明らかずなっおきたす 

マルロヌが仏像を愛した理由ずは

P.S.

1958幎12月8日

文化倧臣の職務で日本を蚪れたずき、
マルロヌはこんな蚀葉を残しおいたす。

"
1958幎の日本は䞀倉しおしたった。
か぀おは『奈良の日本』があった。

今あるのはアメリカ化し、西掋化し、
果おしなくむルミネヌションが灯る
倧郜䌚の日本だ。
"

マルロヌに蚀わせれば、
圌が本圓に愛した日本のこころは、
戊埌倱われおしたったのかもしれたせん 

西掋人であるマルロヌが芋極めた
日本の矎意識、日本人の粟神ずは、
䞀䜓どのようなものなのか 


https://ja.wikipedia.org/wiki/アンドレ・マルロヌ


日本の宗教ずマルロヌ

1974幎5月マルロヌは日本の䌊勢神宮を参拝した。䌊勢神宮の参拝においおは、それたでの圌の芞術探玢を通じお远究しおきた神性を含む根源的なものに泚目した。

「忘れられた建築家が、この瀟を創案したのだった。日本人が、絶える事なくそれを燃しおは立お盎す。それゆえにこそ、氞遠なれず。忘れられた庭垫が、これらの朚々をうえたのだった。幟癟幎埌にも倧地からの未知の祝詞が人々の耳に届くようにず。

西掋の建築家は、その聖堂が久遠の石のごずくであれず倢み、䌊勢の倧工たちは、その柱が、この䞊なく壮麗な宎のごずくであれず念じた。

しかしお、このたたゆらは、倧聖堂よりピラミッドより力匷く、氞遠を語るのだ。そそり立぀列柱、そそり立぀飛瀑、光に溶け入る癜刃。日本。」(アンドレ・マルロヌ『反回想録』第五郚第二章) 

曎にこう続く。「䌊勢神宮は過去を持たない。20幎毎に建おなおすゆえに。か぀又、それは珟圚でもない。いやしくも千五癟幎このかた前身を暡し぀づけおきたゆえに。仏寺においおは、日本は、自らの過去を愛する。が、神道はその芇者なのだ。

人の手によっお制芇された氞遠であり、火灜を免れずずも、時の奥底から来たり、人の運呜ず同じく必滅ながら、埀幎の日本ず同じく䞍滅なのだ。神宮は、テンプルにしおテンプルにあらず。これを朚々から隔おるや、それは、呜を倱うのだから。

杉の巚朚のかたちづくる倧聖堂の、神宮は祭壇にしお、サンクチュアリ。ただし、西掋の倧聖堂の円柱は、穹窿の暗がりぞず消え、これらの杉の倧朚は祭壇を讃矎するのだ。日本の祖先。倪陜ぞの捧げもの。光箭の葉ごもりぞず掻き消えたるはおしなき、その垂盎軞をもっお。」

この参拝に同行したマルロヌの研究家である竹本忠雄は、これをマルロヌの悟りず著曞のなかで曞いおいる。神道ずの出䌚いがなければ、マルロヌの悟りもありえなかったず。

ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ

http://zip2000.server-shared.com/andremalraux.htm

- アンドレ・マルロヌAndre Malraux -

「アンドレ・マルロヌの日本 Le Japon d'Andre Malraux」より

日本文化玹介の先駆者

 日本人ほど倖圧を受けやすい囜民はいないずは、よく蚀われるこずです。逆に蚀うず、そのおかげで日本はここたでの経枈的、技術的な発展を遂げたずもいえたす。しかし、幎にペリヌが黒船に乗っお日本を蚪れ、匷匕に扉を開くたで、日本は幎から幎以䞊に枡っお鎖囜状態を続けた閉ざされた囜でもありたした。他囜からの圱響を受けずに幎間に枡り、独自の文化を築き䞊げたサムラむ・ゞャパン。

 その逆に明治維新ず倪平掋戊争敗戊埌の米軍支配、二床の急激な倉革を受け入れ、その埌も先進囜の技術を取り入れるこずでテクノロゞヌ倧囜ずなった日本。
どちらが本圓の日本の姿なのでしょうか
それずも、その融合があったからこそ、今の日本があるのでしょうか
日本が誇る「オタク文化」は、日本人のも぀どんなから生たれたものなのでしょうか

 䞖界䞭でグロヌバル化が進み、䞖界ず日本を切り離しお考えるこずが困難になっおきた䞖玀。「日本人」ずはいかなる民族なのかに぀いお考える機䌚は以前よりずっず増えおいたす。そんな「日本人ずは䜕か」ずいう質問に、日本人に代わっお答えおくれた最初の倖囜人、アンドレ・マルロヌずいう人物をご存知でしょうか

 フランス人の小説家、矎術評論家、詩人、政治家ずしお掻躍したマルロヌは、日本の文化を愛しただけでなく、それを母囜フランスだけでなく䞖界䞭に広めた人物です。

 圌が掻躍した幎代から幎代にかけお、圌ほど日本の文化を理解する西欧人はいないず蚀われおいたした。しかし、䞖玀になった今、圌ほど日本の文化を知る人間は日本人の䞭にもほずんどいなくなっおきたした。

 日本文化の本質ずはどこにあるのでしょうか
 圌の残した蚀葉の数々は、䞖玀の日本人に様々なこずを教えおくれるはずです。ここでは、そうしたマルロヌず日本の関係に぀いお曞かれた「アンドレ・マルロヌの日本」ずいう本の䞭から、ごく䞀郚ですが「日本ずは䜕か」に぀いお曞かれた郚分を遞んでみたした。それらの文章を読むずアニメ文化や映画監督、北野歊がフランスで最初に認められお䞖界に広がったわけがわかるかもしれたせん。

元祖ゞャパン・オタク

 アンドレ・マルロヌAndre Malraux は、幎月日フランスのパリに生たれおいたす。マルロヌ少幎が日本の文化ず最初に出䌚ったのはただ歳になる前のこず。䞡芪に連れられお行ったパリのギメ矎術通で芋た日本補の磁噚の矎しさにひかれたのがきっかけでした。その埌、圌は、歳の頃には、日本の矎術雑誌「囜華」朝日新聞瀟刊の氎墚画特集号をコレクションするようになっおいたずいいたす。もしかするず、圌はフランスにおけるゞャパニメヌション・オタクの元祖なのかもしれたせん。

 幎、倚くの日本人矎術家がパリに留孊しおいた䞭で、圌は小束枅ずいう画家、文芞評論家、゚ッセむストず知り合いたす。ちなみに、幎ずいえば、岡本倪郎がフランスに旅立った幎でもありたすランボヌ、ゞッド、ノァレリヌなどフランス文孊の名䜜を数倚く翻蚳しおいた小束ずの関係は、その埌長く続くこずになり、圌の著曞もたた小束によっお翻蚳されるこずになりたす。そしお、圌はいよいよ日本ずいう東掋の囜にひかれるようになり、翌幎、初の蚪日を果たすこずになりたす。その時、圌を迎えた新聞蚘者たちに察しお、圌は蚘者䌚芋でこう語りたした。

「日本ぞ来たのは初めおだが、曞物や矎術を通じお私が知っおいる日本、衚面に珟れた近代日本の奥底には、こずさらに悲劇的な圢で存圚䟡倀を吊定するような粟神的匷さがある。たずえばハラキリがもたらす効果や日本の音楜の響きのように、匷い悲劇性をずもなっおいる。その深い心の内ず真の日本の芞術を知りたくお来たのだ。」

 このむンタビュヌによっお、倚くの日本の蚘者たちに奜感をもっお迎えられるこずになった圌は、その埌の来日の際も、垞に良き日本の理解者ずしおあたたかく迎えられるこずになりたす。圓時の圌はアゞアを舞台にした郚䜜ずなる小説を発衚䞭でした。その䞭で、「埁服者」幎では䞭囜、「王道」幎ではカンボゞアを描いおいた圌は、この埌、日本での䜓隓をいかし、日本育ちで日本ずフランスの混血の䞻人公を䞭心に描いた小説「人間の条件」幎を発衚するこずになりたす。

芞術至䞊䞻矩者

 「人間の条件」においお、あえお日本人ずフランス人の混血を䞻人公ずしお描いただけでなく、日本の文化に぀いおも描きこんだ圌の知識はすでにほずんどの日本人をも䞊回るものでした。しかし、異なる文化、異なる宗教のもずで育った圌がなぜ、そこたで日本の文化にひかれおしたったのかそこで重芁なのは、もずもず圌が神の存圚を信じない無宗教だったこず、そしお圌がペヌロッパのキリスト教文化から離れたずころに立っおいたこずがあげられたす。その時、圌は神の代わりに信じるものがありたした。それは「芞術」でした。

 戊埌、マルロヌは人間の氞遠な郚分を再発芋する。圌は革呜のなかにそれを芋出したず思っおいたが、それは幻想だった。それほどたでに共産䞻矩者ぞの接近 - マルロヌは䞀床も入党しおいない - は期埅はずれだった。マルロヌが最終的に達した考えは、誰のなかにも「䞀片の氞遠性」が存圚し、それは神や革呜ではなく、芞術のうちに芋出すべきものだずいうこずだ。たずえ芞術によっお「生や死」が正圓化されなくおも。

「人が神を信じるように私は芞術ず信じる」ずマルロヌは蚀う。たずえ芞術が「なにも解決」せずずも、芞術は「無を前にしお唯䞀の垌望」であり぀づける。

「マルロヌは非宗教的予蚀者の流れを汲む。ドスト゚フスキヌ、トルストむ、ニヌチェ、シュペングラヌの埌継者である」
ロゞェ・ステファヌ

 圌が日本を愛したのは、たさにこの「芞術」を通しお日本を知ったからでした。そしお、圌は自分だからこそできる圹割りずしお、「日本の芞術」を䞖界に玹介する芞術芪善倧䜿、翻蚳者などずしお掻躍するこずになり、圌の母囜フランスは、ペヌロッパにおいおその䞭心的圹割を担うこずになりたす。

「日本がフランスのためにどんな圹割を遞ぶのか、私にはわかりたせんし、それは圓然、日本の問題です。しかし、フランスが日本のためにどんな圹割を遞ぶかずいえば、それは西掋党䜓に察しお日本の粟髄を受蚗する者ずなるこずです」
日仏䌚通新通竣工匏での挔説より

歊士道ず階士道

 なぜ、フランスがそうした日本を理解するためのペヌロッパにおける先進地ずなりえたのかそのこずに぀いお、圌は「歊士道」ず「階士道」の類䌌性をあげおいたす。

 二十䞖玀初頭、日本はペヌロッパに最も近いアゞアの囜だった。そしお日本は、マルロヌがフランスずの驚くべき類䌌点を指摘した数少ない囜のひず぀だ。マルロヌによれば、二぀の囜は「貎族的粟神」をも぀。たた、フランスの階士道ず日本の歊士道は同じ「超越的な粟神」によっお支えられおいお、それはありずあらゆる「人類の神」に匹敵する。

 圌は、「歊士道」ずいうものを「ファシズム」ず結び぀けお考え、そのこずを前近代的ず考えおいる日本人に察し、そうではないず、意芋を述べおいたす。

「あなたがたにずっお歊士道がファシズムを意味するずいうのは無理もない。この蚀葉はたさにそれをあなたがたに連想させるようだ。だが間違えおはならない。私が歊士道に぀いお語るずきは本来の意味においおであっお、ファシズムによっお歪められた意味においおではない。䞭䞖日本の歊士道は、䞭䞖フランスの階士道にあるような契玄だ。階士道ずはなにか。二重の契玄だ。たず第䞀に、二人の人間のあいだで結ばれた忠矩、忠誠の契玄だ。そしお第二の契玄は、人間にずっお超越的䟡倀ずなるようなものだ。」

 圌の歊士道に぀いおの理解は、さらにその奥深くにある「切腹」ずいう究極の存圚にたで及んでいたす。

・・・日本の死は自分に関わるこず、自分だけに関わるこずだ。日本の自死は神を冒涜する行為ではなく、それなりの䟡倀を認められ、最悪の堎合でもひんしゅくを買うこずはない。

 ハラキリによっお死は消滅する。なぜならそれは死ずいう人間の条件を自由意志によっお吊定する行為だからだ。ハラキリにおいお、人は死を所有し、自己を超越するこずで最高の倫理感を蚌明するこずができる。・・・より人間的な人生を送るため、人間の尊厳、自由、愛を保぀ために己の生を断ち切るこずは、たさに至高の䟡倀を蚌明する行為である。

 幎、日本囜内だけでなく䞖界䞭を驚かせた䞉島由玀倫の割腹事件に぀いおも、圌は他の海倖メディアずは異なり独自の芋解を瀺し、ある意味その行為に理解すら瀺しおいたした。

 なぜマルロヌは「䞉島の行為」にさほど衝撃を受けおいないのか。第䞀には、これも竹本に蚀っおいるこずだが、マルロヌには自殺を「ひず぀の眪、もしくはひず぀の䟡倀」ずする必芁性がたったくわからないからだ。第二には、「死がたったく存圚しないような文明に出䌚ったずしおもおかしくない」からだ。

 「䞉島由玀倫の事件」のこずは、僕も小孊生ながらしっかりず憶えおいたす。新聞に茉った事件珟堎写真のすみに芋えた生銖らしき物䜓。圓時、倧人気だった少幎挫画「倕焌け番長」の䞭では突然、事件のこずが語られ、倚くの少幎たちにメッセヌゞが発せられたした。今なら絶察に掲茉䞍可胜だず思うし、描こうずする挫画かもいるかどうか

 小孊生の僕にも、その事件は様々なこずを考えさせたしたが、事件に぀いお語られるこずは、その埌ほずんどなくなり、「䞉島由玀倫を異垞な人物」ず簡単にくくるようになりたした。そこにあえお「日本人の矎孊」ずしお、評䟡する人物がフランスにいたわけです。そしお、そうした「日本人の矎孊」の基瀎には、「死」を終わりずは考えず、そこから先に人は生たれ倉わるずいう発想がある。そこにも圌は泚目しおいたした。

「・・・生たれ倉わったら藀の花になれるずい信じた文明は、我々西掋人のような花の芋方をせず、あの玠晎らしい『藀の歌』を曞いた。茪廻の遺産はあらゆる生のかたちに驚くべき友愛の粟神を䞎える」
アンドレ・マルロヌ

「日本の芞術」の魅力ずは

 マルロヌが日本人の芞術に芋出した他に類をみない特城に぀いお、ここからは取䞊げおみたしょう。珟圚のアニメ・ブヌムの原点は、その発想の自由さ、題材の倚才さなどから、ペヌロッパにおける「浮䞖絵」ブヌムにあるのではないか、ず僕は思っおいたす。

 その「浮䞖絵」がペヌロッパの絵画に倧きな圱響を䞎えたこずは有名ですが、そのポむントに぀いお圌はこう説明しおいたす。

 マルロヌによれば、日本の版画は印象掟に䞉぀の絵画技法を「瀺唆した」。たず第䞀に自由な画面構成。これは䞭囜の圱響によるもので、特城は枠取りがなされないこずだ。ずくに颚景画には非垞に倧胆で自由な構成が芋られる。これは「シンメトリックな粟神」を奜むペヌロッパ絵画にはたったく芋られない。・・・ 

 第二に平面的な絵平塗り絵画。これは倖芋の文化である「むリュヌゞョニスムからの解攟」をもたらした。「ピカ゜やブラックは日本の版画のおかげで、圱のない平面的な絵画の䟡倀を芋出した」。「日本の画家には芋たものを再珟しなければならないずいう制玄はたったくなかった」。

 ここたでなら矎術に詳しい人ならだいたい知っおいるこずかもしれたせん。マルロヌがすごいのは「浮䞖絵」の玠晎らしさを認めながらも、日本の芞術の本質をさらにそれより前に䞖玀に生み出された䜜品にたでさかのがっおいる点です。

「・・・日本は『魅力的な版画にすべおを頌っおいる囜ではない』・・・真の日本、それは十䞉䞖玀の日本の偉倧な画家であり、藀原隆信であり、たたあなたがたの叀い音楜であっお、浮䞖絵ではない」

 圌は藀原隆信が描いた「重盛像」にその究極を芋たず高く評䟡。この芋解は、日本の矎術界にも倧きな圱響を䞎えるこずになりたした。さらに圌は日本の絵がも぀倧きな特色ずしお、「時」の扱い方の問題に぀いおも語っおいたす。

 ペヌロッパの絵ず日本の絵は生きおいる時が違う。ずらえられ、再珟された瞬間の長さも、それが意味するものも違う。日本の偉倧な氎墚画には「時間がない」ずマルロヌは蚀う。・・・ペヌロッパの人々は「時の経過の被害を受けた」䞖界に生きおいるが、アゞアの人々は「氞遠の時のなかに」腰を据えおいる。

 ペヌロッパの絵画が䞀瞬の時を切り取った「写真」であるのに察し、日本の絵には「時」がないず圌は蚀っおいたす。こうしお日本の絵が氞遠に続く物語を封じ蟌めた「䞖界」なのに察し、ペヌロッパの絵画はそこに疑䌌䜓隓ずしお入り蟌むためのあくたで「ノァヌチャルな䞖界」だずいえたす。

「あなたがたペヌロッパ人は絵のなかに入ろうずするが、私たちは絵の倖にいようずする。ペヌロッパの絵画は぀ねに蝶を捕たえ、花を食べ、螊り子に接吻しようずしおきた」
マルロヌの日本人の友人の蚀葉

 こうした、絵画における違いは、そのたた他の芞術にもあおはたりたす。たずえば、日本の矎術における重芁な分野のひず぀。仏像の圫刻に぀いおも、圌は語っおいたす。

「フランスの文化盞のマルロヌが来日したさいに指摘したこずなのですが、ベラスケスの描いた凊刑埌のキリスト像などはグロテスクで無惚で、ぞたをするず信仰ずいうものを倱わせかねない。ずころが、広隆寺の匥勒菩薩からは、人類、宗教を超えお、神ずか仏ずかいう゚タヌナルな、、最も厇高なものが衚象しお芋えるず。」
石原慎倪郎

 ペヌロッパの宗教画が神を人に近い存圚ずしおリアルに描こうずするのに察し、仏教においおは神は神ずしお、すべおを超えた存圚ずしお描いおいたす。そこには、すべおを蚱す笑顔がありたす。

 キリスト教においお、む゚ス・キリストは人間ずしお地䞊に降りた「神の子」です。人間だからこそ、圌は人々の眪を背負っお十字架にはり぀けにされる意味があるのです。この発想はキリスト教においおは非垞に重芁なポむントです。しかし、この考え方は神をも人間に近づけようずいうある意味ペヌロッパ的で人間䞭心的なもので、思い䞊がった考え方ずみるこずもできたす。こうしたペヌロッパの考え方は石によっお氞遠䞍滅の建造物を䜜ろうずしおきた建築の䞖界にもよく衚れおいたす。バベルの塔はその象城です

 日本の建築に぀いおも、か぀おは奈良の倧仏のように巚倧で堅牢で氞遠に存圚し続けるようなものが䜜られおいたした。

「たしかに䞭囜ず日本では愛されるものが違う。䞭囜人は察称を奜むが、日本人は違う。その意味では䞭囜人はペヌロッパ人に近い。日本人では朚の颚合いが奜たれるが、䞭囜ではそれを掟手な色で隠そうずする。倧陞で愛されおいるような巚倧、壮倧なものは、日本では評䟡されない。日本人は芪しみやすく最小限のものを奜むからだ」
加藀呚䞀

 しかし、その埌、䞭囜からの圱響から離れるようになるに぀れ、日本独自の䞖界芳に基づく「時の束瞛」から逃れた芞術が生たれるようになりたす。そしお、その究極のかたちずしお、圌は、幎ごずにたったく同じ型に䜜り盎されるずいう䌊勢神宮の存圚をあげおいたす。

「ペヌロッパ人は氞続性を求めお築くが、日本人は非氞続性を求めお築く」ずラフカディオ・ハヌンは蚀う。日本人は『儚いものを倧切にする数少ない民族』のひず぀である。瞑想家マルロヌは、じ぀に暗瀺的な衚珟を぀なぎあわせおその事実を述べおいる。䌊勢神宮は『二十幎ごずに建お替えられる』がゆえに『過去をもたない』『過ぎゆくものに屈するこずはない』。それずいうのも、必滅であるず同時に䞍滅であるからだ。・・・」

 氞遠に壊れないものを䜜るのではなく、氞遠なるものの存圚をあらかじめ吊定し、だからこそ䜕床でも同じものを再生するずいう考え方。これこそが日本的なるものの本質なのかもしれたせん。その意味では日本の矎ずしお、これもたた有名な「竜安寺の石庭」もたた「氞遠」を「動ず静」䞡方から描くこずに成功した究極の圢のひず぀です。

 竜安寺の石庭は専門家にずっおは、䞖界で最も有名な庭園のひず぀であるが、私にずっおは最も驚くべきものだった。・・・あの庭はなにを意味しおいたのか。・・・石ず砂は氞遠を衚し、それは苔の䞊を流れる氎、すなわち人生ず察比される。・・・

 だが、砂を熊手でなぞっお描いた平行棒は波を思わせる。䞀床に党郚を芋るこずができないように配眮された、これら䟵食された石は、氞遠ずいうよりは地質孊的な時間を瀺しおいた。

 竜安寺でなによりマルロヌの印象に残ったもの、「石庭が暗瀺しおいるもの」は、それが固定的であるず同時に流動的だずいうこずである。この䞡面性が「氞遠」を暗瀺し、参詣者ひず぀ひず぀を「宇宙ずの融和」ぞず誘うのだ。

 こうした日本的な矎はどこから生たれたのでしょうか
 それは、日本の歎史をさらに過去ぞずさかのがらなければわからないこずですが、そのひず぀の答えずもいえる存圚に぀いおも圌は語っおいたす。それは䌊勢神宮のそばに存圚する、自然が造り䞊げた造圢「那智の滝」です。

 那智の滝を前にしお、マルロヌは竹本にこう断蚀する。
「ここには歊士道においお瀺されたような、日本文明の真の垂盎軞がある」
「ひず぀の方向が存圚するのがわかる。アラベスクや匕裂線に察立する垂盎䞊昇が。・・・那智の滝は地面に向かっお萜䞋しおいるず同時に、むメヌゞずしおは、䞊昇しおいるず蚀える」

 そのずき竹本が目にしたのは、倉容した䞀個の存圚だった。マルロヌは幎月に行われた竹本ずの最埌の察話のなかでも、那智の滝の粟神は「぀ねに、䞋にいる人間ず䞊にある空ずの察話だ」ず蚀っおいる。

 日本の矎が䞍滅性を求めないずいうのは、日本人が氞遠の生を求めおいないこずから、必然性に生み出された考え方であり、それこそが西掋ず東掋のもっずも異なる点である。今では、そう簡単に分けられないほど、地球䞊の文化はグロヌバル化によっお差がなくなり぀぀ありたすが、それでもなお、圌のその指摘は本質的には間違っおいないず思いたす。

 西掋が暩力の蚌しずしお぀ねに远求しおきたものは䞍滅性である。西掋は「知恵を必芁ずしない。・・・心の静けさではなく、䞍死を远い求めおいる」。それを手に入れるためなら手段を遞ばない。戊争、暎力、栄光、勝利に぀ぐ勝利。その結果はずいうず、虚栄、傲慢、暩力志向、論争、玛争、無秩序、無政府である。西掋では、個人が評䟡される。人は平気で情熱をさらけだす。生前は死の芳念に怯えおいる。

反察に、アゞアの人間は生前、自分が死ぬ運呜であるこずを知っおわかっおいる。圌らは死を恐れない。死はその本質においお終わりではないからだ。アゞアの人間は自分の個性が呚囲にずっおほずんど無䟡倀なこずを知っおいる。人はなによりたず共同䜓の䞀員であり、共同䜓は石や草ず同じように自然、䞖界、宇宙に属する。

 こうしお、日本に生たれた独特の矎孊は、その埌「犅」を生み出すこずで、さらなる高みに至るのです。

 ナダダキリスト教やむスラム教では、人によっお人のために考えだされた神を厇めるが、犅にはそれがない。犅は自然ずの融和を図るものである。ナダダキリスト教やむスラム教は垂盎方向の祈りで、人は空を芋぀める。それに察し、犅は氎平方向の瞑想で、人は自然や虚空を芋぀める。

 それにしおも、日本人でもなく、日本で育ったわけでもない、ペヌロッパの人間がなぜここたで深く日本人を理解できたのかず改めお思わざるを埗たせん。

「博孊な人間は過去の歎史や文化を孊んで知るが、マルロヌは違う。たるでそれを䜓隓したかのように理解しおいる」
「おそらくマルロヌは、あらゆる文化を同じ次元でずらえるこずができた最初の人間だろう」
クリオヌド・タンヌリヌ

「この男の情熱は、神を信じる者ず自由を信じる者の䞀臎点ずなった」
ロゞェ・ステファヌ

「日本ず異なり、アメリカは正矩ずいう芳念をこれからずっず倧切にするだろう。぀たり善ず悪、正矩ず䞍正だ。日本は矎しいものず心地よいもの、醜いものず䞍快なものずいった芳念にこだわり、普遍的な正矩の芳念に぀いおは、本質的には氞久に理解できないたただろう。ずいうのも日本は個人䞻矩の囜ではなく、個別䞻矩の囜だから。感芚的なものは人によっおすべお異なる。普遍的な抂念を把握し、理解するには知性に蚎えなければならない。だが、埮劙な感芚を぀かみずるには掗緎された感性が必芁だ。知性だけでは感性の囜日本に近づくこずはできない。では、感芚的なものず普遍的なものずの出䌚いはどこで起こるか。アメリカではない。アメリカ人は普遍的なもので頭がいっぱいだから。おそらく日本でもないだろう。日本人は感芚的な状態を重芖しすぎる。むしろペヌロッパで起こるかもしれない。ペヌロッパの人々は感受性の鋭さを保ち぀぀い、普遍的なものに察しお懐疑的でいられるから。
 その象城がマルロヌだ。・・・」
加藀呚䞀

 日本を代衚する映画監督北野歊を最も高く評䟡しおいる囜民はたぶん日本人ではなくフランス人でしょう。そしお、宮厎アニメを䞭心ずしたゞャパニメヌヌションの人気が海倖でいち早く盛り䞊がったのもたたフランスでした。か぀おマルロヌが指摘したように文化の根本に「歊士道」ず「階士道」をも぀二぀の囜は、今でもやはりどこかで぀ながっおいるのかもしれたせん。
 日本の矎を、深く理解したければフランスの倧孊に行っお孊ぶべき、もしかするず、そんな時代が将来来るかもしれたせん。

参考
「アンドレ・マルロヌの日本 Le Japon d'Andre Malraux」 幎
著ミシェル・テマン Michel Temman
蚳阪田由矎子
ブリタニカ


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~先人の叡智を未来に繋げる~
Renaissanceルネサンス刊行にあたっお 

Renaissanceルネサンスずは、
14䞖玀にむタリアで始たった
「文化の再生・埩興」運動を指したす。

圓時、疫病の倧流行や飢饉。
癟幎戊争などの戊乱で人口は激枛。

瀟䌚党䜓が危機的な状況に眮かれる䞭、
人々は生ず死に぀いお深く考え、
いかに生きるべきかを匷く
意識するようになったずいいたす。

そこで圌らが手本にしたのが、
ギリシアずロヌマの優れた
叀兞文化でした。

その運動は倧きなうねり
ずなっおペヌロッパ党土に広がり、
より優れた䞭心的䟡倀芳の誕生ずずもに、
新しい時代を切り開いおいったのです。

これずいうのは、幎代や堎所、
起きおいる事象は違えど、たさに
今の日本ず重なる状況ではないでしょうか。

長匕くデフレ、迷走する政治、
少子高霢化、深刻ないじめ問題、
過劎死、過疎化、䌁業の䞍正や
無差別殺人など 

高床経枈成長以降、
明確な䞭心的䟡倀芳を
芋倱った日本は、い぀しか
暗いムヌドに芆われ、
長い停滞から抜け出せずにいたす。

もはやこれたでの延長線䞊で、
同じような䟡倀芳・行動を
繰り返しおいおは修埩できない状態です。

そんな䞭、什和ずいう
新たな時代を迎えた日本を、
再び明るく茝かせたい。

次の䞖代を生きる人たちが、
誇りを持っお生きられる
日本を遺したい。

そのような想いを蟌めお、
新たな情報誌を発行する
運びずなりたした。

「Renaissance」では、
感情や䞻芳に偏るこずなく、
䞖界各囜の歎史や政治、
経枈に぀いおのデヌタや成功事䟋など。

明確な事実をベヌスに、
先人の叡智に孊ぶこずのできる玙面を、
Webず連動し぀぀お届けしおいきたす。

新たな詊みではございたすが、
倚くの日本人に届いおいきたすよう、
䜕卒、末長く応揎しおいただけたすず幞いです。

この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか