天野 喜孝(イラストレーター)
1952年、静岡生まれ。67年、タツノコプロ入社、キャラクターデザイナーとして活躍の後、81年「SFマガジン」に「トワイライト・ワールズ」を連載。以後、数々の挿画を手がける。「ファイナルファンタジー」など、ゲームのイメージコンセプトデザイン、舞台美術及び衣装デザイン、リトグラフ制作と、その活動はアート全般に及ぶ。
- Interviewz.tv - 収録日 2001/10/09
――NYのアトリエは無事でしたか?
天野 実は僕、テロの日はパリに行っていまして……パリの空港からマネージャーに電話したら、「(NYに)帰ってくるな」って言われて、そのまま東京に戻ってきたんです。
――危機回避能力が強い(笑)
天野 危機回避(笑)。また戻るつもりですが、今月(10月)はまだアブナイからいますよ。
――アニメからイラストに転向したきっかけは?
天野 アニメって共同作業だから、僕の絵がそのまま出るわけじゃないですよね。だからアニメと平行して自分の絵を描いて、(出版社に)持ち込みとかしてたんです。その頃は絵本を作りたかったんですよね。タツノコでもレコードジャケットやったり、そういう仕事のほうが楽しくなっちゃった。だから会社の仕事と平行してそういう(イラストレーター的な)活動もしていた。25歳のときに「SFマガジン」の連載も始まったし。あと、当時会社としては成長していたんですけど、先輩見てたら、絵、描いてないんですよね(笑)。 僕は絵が描きたかった。
――アニメーターやめて食べていけるという保証というか、手ごたえはあったんですか?
天野 いや、なかったですねぇ。退職金貰ったけど、それでみんなで北海道いっちゃった。一週間(笑)。原稿料も安かったし。一応、タツノコで定期的にキャラクターデザインをやるという(契約)のがあったんで、それで2~3年は大丈夫だから、それで段々挿絵でもやろうかなと……。あまり不安はなかった。
――タツノコで最後のデザインは?
天野 「地球物語」という劇場用作品。はっきり覚えていて、僕にとっては重大だったんですけど、キャラクター室がなくなっちゃって大部屋になったんです。それがいやで、一人になりたくてそれでやめちゃった。将来どうのというより、そういうことでやめたんです。
――友人と一緒にアニメ会社を作るとかそういうことは考えませんでした?
天野 はい。誘われたんですが、絵描きはやはりひとりだろうと考え、断りました。
――「FF」のイラストはどういった経緯で?
天野 それまでは、早川とか創元推理なんかの翻訳モノの挿絵をやっていたんですが、たまたま、そういった仕事がきたんです。
――天野さん、ゲームやらないでしょう?
天野 はい。ただ、おもしろそうな仕事なので引き受けた。
――キャラクターデザイナー出身ということで、登場人物の個性が先につけられていることが多いと思うんですが、それと描きたいモノが違う場合はどういうふうに処理されるんですか?
天野 さんざん、キャラクター(デザイン)で慣れてますからね、そういうのは。ある程度、機械的に処理していく。ただ、25歳のときにキャラクターに限界を感じたんです。資料見ながら描くのはつらいなって。
――もうキャラクターデザインから離れたい気持ちですはありますか?
天野 いえ、今度は遊びで描いたりしてしまう。
――ああ、さきほどの野菜キャラとか。
天野 そうそう。夜中に仕事終わると、ハギレが残るでしょう。それにちょっと飯食べたりしながら描いたり……息抜きで描いたりして。
――最近の「FF」は天野さんのキャラクターが独立してませんか?
天野 いや、「FF」はけっこう気を使って描いてますよ。描いてるうちに段々ずれちゃうんですが(笑)。でも、自分ではわからないです。
――だんだん、好きに描いてるというイメージがあります。
天野 自分の好きにやらないといやになっちゃうんだよね(笑)。延々続くとなると、特に。そう、絵なんて仕事にしちゃいけないと思う。仕事だからいい絵が描けるわけじゃない。もっと自由な無責任なものだと思います。技術的なことは学んで積み重ねていけるけど、絵を描く行為というのは子供が描く絵と同じでしょう。
――彫刻とかもやられるんですか?
天野 僕、不器用なんですけど、プラモデル作れないくらいに。でも、最近は器用になってきた。
――そういえば、以前ネックレスやアクセサリーも作られてましたね。
天野 あれは監修ですね。デザインはやるけど、実際作るのは何百万かかる。商売にするわけじゃないから、それはちょっと……。今、実は作ってるのがあるんですよ。一分の一のサイボーグを作ろうと思って、とりあえず5分の一のものを作りました。金属で。
――それ、依頼じゃなく。
天野 そう。面白いでしょう。ウン百万で作ったんだけど、それっきりに(笑)。もう減価償却してるんじゃないかな(笑)。
――じゃ、もしこういう立体でいける、となったら、絵の比重は軽くなりますか?
天野 それはないです。この前、ニューヨークで展覧会があったとき、お皿を200枚焼いたんですよ。それにつぼを45個……で絵ももちろん描いて。
――それは……それ、売ったんですか?
天野 いや、売らなかった(笑)。 子供の遊びですね、ぼくのは(笑)。大人になっても、それは経験つんでるだけで、やってることは子供。
――ずいぶん大きな子供だ(笑)。今日はありがとうございました。
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