雨宮慶太

雨宮 慶太(映画監督)

1959年生まれ。SF界でカリスマ的なイラストレーター、デザイナー、映画監督。阿佐ヶ谷美術専門学校卒。TVでは「鳥人戦隊ジェットマン」、「鉄甲機ミカヅキ」、映画では「ゼイラム」シリーズ、「仮面ライダーZO、J」「ハカイダー」「タオの月」などの監督として活躍。ゲームの設定、各種キャラクターデザインも多数手掛けている。

- Interviewz.tv - 収録日 2001/09/04

――まず「ミカヅキ」から話をうかがわねば(笑)。ちょうど、「ミカヅキ展」やってることだし。完成までずいぶん長くかかりましたね。

雨宮 企画から完成まで3年。

――最初、「ミカヅキ」作ってくれというオファーじゃなかったんですよね?

雨宮 うん。なにかやりましょ、という感じで。オレ、基本的にあっためている企画って、一本もないから。仕事にならないと考えない。だから確実にやるから、じゃ、何やりましょうってことで始まった。

――監督のいままでの作品を見ると、東映かバンダイでやると思ってたんですが。

雨宮 ううん。どこでもいい。

――「ミカヅキ」はたまたま、メディアファクトリーだったと。

雨宮 そう。

――メディアファクトリーは、映像の専門家じゃないですよね。そこで心配や苦労されたりしませんでしたか?

雨宮 心配は特になかったけど、専門家でないという点でいえば、オレもまだ職業監督になりきれてないから……そういうアマチュアっぽい監督と専門家じゃない会社の、いい所と悪い所がでてきたように感じる。

――始めの布陣はクラウドが作ったんですか?

雨宮 そう。仕切ってやったというより担当せざるを得なかった。プロデューサーも何人かいたんだけど、現場のことがわかって特撮のお金の出し入れがわかって、という人は現場レベルではいなかったんで、演出をしつつプランナーとして参加しつつ、そういうプロデューサーもしつつ……。

――デザイナーとしても。

雨宮 デザイナーは後になってからだけど。

――キャスティングも?

雨宮 基本的にはそう。「序夜」のキャスティングは全部オレ。2話以降も……オレかな。ただ二ノ宮ゆきの原史奈はすごくもめた。最終的にはプロデューサーがどうしても(原で)いきたいって言って、オレが折れた。

――3年かかると思いました?

雨宮 うん。思ってた。思ってたんだけど……ぽっかり空いた時間ができたから……シナリオライターが変わったり、全体の構成が変わったりしたんで、その空白時期が長かった。だから、3年間、ひたすら現場作業を続けていたら、もっと気持ちのいい疲れ方になったと思う。

――「序夜」の撮影は傍から見ていても、悠長というか、のびのびというか。このままいったら、どうなるかと思いましたよ。

雨宮 「序夜」は予算が潤沢にあったから。ただ、もう少し効率的な予算のかけ方はあったという反省はあるよね。普段は3割くらいプロデューサーの感覚を残してるのが、現場に入っちゃうと1割くらいになって、やがて演出が優先しちゃう。現場での人の動き方とかお金の配分がもう少しうまくやれたはずで、それで浮いたお金を以降のシリーズに回してたらよかった。

――最後は東映の戦隊モノと同じくらいの予算になったとか。

雨宮 うん。一話あたり5000万くらい。

――3年の間、よその映像関係の仕事もしたんですか?

雨宮 いや、「ミカヅキ」だけ。

――それで間尺にあうギャラだったんですか?

雨宮 オレのギャラは……普通かな。現時点で「ミカヅキ」を撮ったことで借金ってないから、そういう意味で普通。ある時点では「ミカヅキ」による借金っていうのは存在したんだけれど、オレの貯蓄とかで返せる金額だったから、まぁ、普通だろうと。決して儲かってないよ。

――雨宮監督の映画についての文章には、よく予算がなくて屈辱を味わったエピソードが語られていますね。

雨宮 予算の面では「ミカヅキ」は恵まれた環境だったと思う。ただ、作品に対する熱量がもう少し多いスタッフがいるとよかった。でも、それはオレの力ではどうすることもできないから……。

――これから東宝なり東映なりにいっても、恵まれた、というような仕事はできないと思います。

雨宮 うん。これからは、僕に限らずきつくなっていくだろうけど……予算上できないことももちろんあるけど、やれることも当然あるわけ。お金より映画作る実感が上でさ。貧乏だっていう人は笑顔でそう言ってるんじゃないかな。

――あと、「ミカヅキ」といえば、時間帯がずいぶん変則的でしたね。

雨宮 メディアファクトリーの担当者ががんばってくれたけど、地方によって放映時間帯が違うなら、あえてフジテレビにする必要はなかった。別に地方局でもよかったと思う。でも、その辺もオレが決めることじゃない。

――話を変えます。監督が専門学校行ってるときはまだコンピューターがメジャーじゃなかったと思いますが、やがて今みたいに主流になると思いましたか?

雨宮 それは思った。わりとCGは、学校自体早かったからね。イラストをマックに入れてプレゼンテーションしたりした。いずれはモニターで絵を描くだろうし、個人レベルでCGができるようになると思ってはいた。ただ、機械をいろいろ導入したんだけれど、肌が合わないというか……自分はアナログで絵を描いて、デジタルを使いこなす人と組んだほうがいいというイメージはあったね。

――そもそもデザイン学校にいくというのはどういういきさつから?

雨宮 3年制の専門学校だったんで3年もやってれば、なにかしらデザイン業界で好きなものがみつかるんじゃないかって。

――就職は?

雨宮 デン(デン・フィルムエフェクト)。就職以前に、デザインやりながら、映像に興味がでてきて、アニメーション同好会を作ったりしてた。映像もデザインに近いところがあると思ったんだよね。

――「未来忍者」で光学エフェクトが多かったのは就職先の影響?

雨宮 そう。あれは半分くらいはオレがアニメーション描いてる。

――「未来忍者」を見てると、デビュー作なのにわりと気軽に監督しているように見受けられますね?

雨宮 監督をしたいという思いはあの企画を作ってるときから芽生えてきてるんだけど、実際監督するにはまず周りをおいつめなくちゃいけなかった。ああいう「変な世界」を大真面目にできるのはオレしかいないというふうに。そこらへんはしたたかに立ちまわったと思う。

――それまで助監督経験もなく、初めての現場ですよね。びびりませんか?

雨宮 映画を知っている人よりもオレが正しいと信じていたからね、そのときは。

――それで映画を撮る醍醐味を味わったと。

雨宮 いや、醍醐味じゃないね。表現技術としての映画の物足りなさを知ったほうが大きい。もちろん映画は麻薬と同じでやめられなくなるというのも、わかったんだけど……。
例えば、絵なら頭に描いたモノを100%とはいかなくても、80%くらいまでは表現できると思う。それに比べると映画はしんどい。オレの場合は非日常的なシチュエーションが多いからだろうけど……もうちょっとそこを極めたいなと思う。「未来忍者」は今見ても、当時見ても、ちゃちいんだけど、オレとしてはちゃんとした本物作りたかったんだよね。世界観を集約して、ちゃちくならないようにしたかった。それはリアルにするという意味じゃなくて、アタマの中にあるイメージに近づけたかったわけ。表現の方法論から作品を作っていくのがオレのやり方だと思う。

――「ゼイラム」について。

雨宮 最初に言ったけど、映画監督って5~6本企画持っているイメージがあるでしょ。オレは違うから。仕事が発注されてから考える。やりましょうという意思が、相手の顔が真剣かどうかで決まるというか……。「ゼイラム」はもう予算も出てるってことで始まった。

――「ゼイラム」は結局赤字でしたね?

雨宮 結局ね。「未来忍者」はボランティアでも最初の作品だったから、ともかく(赤字だろうが)作らなきゃ突破口が開かなかったんだけど、「ゼイラム」は背負ってしまった。大変だったよ。

――その借金の諍いで、「ゼイラム2」がギャガからバンダイへ移ったと聞いていたんですが。

雨宮 それは違う。借金はギャガのせいでできたものじゃなく、100%オレの責任だったから。ギャガは言っただけの金額は出してくれた。ギャガを降りたのは、「2」の予算が「1」より大きくなってしまって、ギャガとバンダイで折半しましょうとなったときに、ギャガは出せないと。じゃ、バンダイ一社でやっていいですか、となったわけ。

――それと前後して「ジェットマン」ですね。それで東映と本格的なお付き合いになるわけですか?

雨宮 そう。それ以前にも「仮面ライダー」や宇宙刑事モノのキャラクターデザインをやっていたけど、監督としては「ジェットマン」が最初かな。

――その後というと。

雨宮 「仮面ライダーJ」やって「ゼイラム2」、「ハカイダー」、「タオの月」……。

――ボクの中では一連の石ノ森作品は雨宮監督の作品と合致しないんですが……。「仮面ライダー」は監督の原体験作品なんだから、監督できると決まったときはしめた! と思いましたか?

雨宮 しめた、とは思わなかった。複雑な心境。オレの中では、昔の「仮面ライダー」を撮りたいという気持ちがあって、新しい「ライダー」は「仮面ライダー」じゃないんだよ。そう、「ジェットマン」と同じだよね。もっとも、それでも「ライダー」だから「好き」という気持ちは出ただろうけど。

――ライダーの巨大化については?

雨宮 大反対! 降りようかと思った。石ノ森先生に嘆願書出して止めてもらおうとしたり……。でも結果的にライダーが巨大化しても何にも変わらなかったね。

――その巨大化で嫌気がさして「ハカイダー」で好き放題やってやめてやれ、と思ったんですが?普通、通りませんよ、(「ハカイダー」の)企画。

雨宮 変な内容だもんねぇ(笑)。あれは原案は井上敏樹。まぁ、単純に井上が暖めていた本を、全て撮ってやりたかったんだよね。

――じゃ、ハカイダーが殺戮マシンだったのは雨宮さんのアイディアじゃない?

雨宮 うん。でも、ハカイダーって元々、悪い奴じゃない。最初はね、黒いヒーローで「ハカイダー的なもの」を目指したんだよ。デザインも起こした……宇宙刑事っぽいのを。そのときはオレが監督をやる企画じゃなかったんだ。でも、段々、オレがやるというふうになってきて、タイトルも「ハカイダー」にすると。そうなると「ハカイダー」なら「ハカイダー的」じゃだめだ、「ハカイダー」に見えなきゃいかんっていう、すごい抵抗が生まれた。もうちょっとスマートなデザインがオッケーになっていたんだけど、それをやり直したんだよね。

――「キカイダー」のときと同じテーマが流れるでしょ。ああ、これで(雨宮さんも)去って行くんだなという、感慨がありましたね。

雨宮 うん(笑)。

――「タオの月」は奥山(松竹常務・当時)さんからの依頼で?

雨宮 奥山さんと最初に会ったのは、「ギララ」を作ってくれといって、松竹に呼ばれたのが最初。そのとき丁度「タオの月」の話が決まっていたんで、それで「タオの月」が終わってからでいいんでしたら、ぜひやりたいんですけれど、と言って別れたんだよね。それでバンダイビジュアルにこういう話があったといったら、せっかくだから(「タオの月」を)奥山さんが立ち上げたシネマジャパネスクでやろう、というふうになったんだよ。

――「ギララ」ですか!

雨宮 うん。でも「タオ」が終わったら、奥山さん、いなくなってたし(苦笑)。オレがだめだとわかったら別の監督に打診して、企画は進んでたみたいだけど。最初の打ち合わせのときに、それは奥山さんじゃないんだけど……そのときの印象があまり楽しいものじゃなかったらしくて、オレにはその後声かからなかった。オレは「ギララ」を15メートルくらいの透明怪獣と想定してたんだけどね。それが「ギララ」をバカにしてると映ったようだった。

――雨宮さんは巨大なモノを撮る監督とは思えない節がありますね。

雨宮 (「ミカヅキ」を撮った)今でもそう思ってるよ。

――ミニチュアのちまちました感じより肉弾戦のほうが燃える?

雨宮 肉弾戦のほうがいいかな。けっこうせっかちだから、1日1カットというペースはつらい。ミニチュアの特撮は大抵そんなもんだから。

――タオで思い出したんですけど、取材拒否されましたね?

雨宮 あれは、TOMMYだけじゃなくって、報道陣全員許可しなかった。「タオ」は映画ができるかどうか保証できない、精神的に一番つらかった現場だった。……つまりキャスティングの問題で……バジェットがこれだけしかないのに……オレは役者さんの知名度とかでキャスティングしないんだけど、至上命令でメジャーな人を選らばなければならなくなった。それで、オレが懸念したことは、ギャラで制作費が圧迫されることと、スケジュールが取れないということで、それが両方とも現実になっちゃった。顔だけ撮ってアクションは別というような、まるでジグソーパズルをやってるような感じの現場だったよ。自分の今まで培ったスキルではどうにもならない状態で、そういうときに「どこが見所か」なんて(報道陣の質問に)答えられるわけない。

――でも結果的に「タオ」は、いいものが出来たと思いますよ。

雨宮 ……うん。

――監督のやり方って、まずイラストから入っていって、設定に口出して、やがてキャスティングから何から、全てを握っちゃう、みたいな感じがあります。食い込んでいくという、無意識の要領の良さみたいなものを感じます。

雨宮 そう? 最近はそうでもないよ。それに自分が(食い込むほど)熱量を持ってる作品があって、デザインの範疇を超えた発言をしても、回りのスタッフに不快感はないと思う。最終的にその作品をジャッジする人に、「こいつに任せておけば大丈夫」っていう、安心感を与えるんじゃないかな。ま、錯覚かもしれないけど。
オレは、今まで誰かのパートを奪ってきたということは一切ないんだよ。そのかわり新しいパートを作ってきたと思ってる。

――監督の場合、自分の主張を絵で説得しちゃうから、かなわないよね……。

雨宮 そう。どちらがいいの?って。絵はごまかしが効く(笑)。

――「タオ」を見て「ミカヅキ」を発注してきたんでしたか?

雨宮 いや、「ハカイダー」。香山(哲・メディアファクトリー取締役・当時)さんが「ハカイダー」見て、衝撃を受けたららしい。この監督はもっと撮りたいものがあるに違いないって。

――監督はゲームの仕事もやってましたよね。映画とゲーム、監督はどちらに向いているんでしょうか?

雨宮 どっちかな……。どっちもどっち。ただ映画っていうのは今どうよ?って感じだよね。その興行形態。まぁ、暗い大画面で大音響っていうのも楽しいけどさ。でも、今は自宅で見る愉しみを追求っていうほうに肩向いているよね。
……もう、オレが自分で映画を作るっていうのはしんどいかも知れない。……オレは劇場映画っていうのにこだわっていないんだよ。大画面にこだわってないから……。映画監督にも、実はこだわってない。イロイロやってきて、結果的にポジショニングが監督に落ち着いただけだと思ってる。

――でも「序夜」はモロに大画面構成でしたよ?

雨宮 あれは最初から映画的なタッチで行こう、と決めてあったからで、オレが無意識にやったわけじゃない。

――監督はフィルムに対するコンプレックスもない?

雨宮 全くない。次はハイビジョンでやりたいし、全てデジタルで記録したいと思ってる。そっちのほうが絶対いいに決まってるし。でも、それは表現形態の違いで、作品の世界観とかがアナログのほうがマッチしてると思ったら、アナログが残るんだよね。オレは懐古主義で35ミリにこだわってきたんだけど、これから作りたいものがそういうアナログなモノと相容れなくなってきたと思う。

――ただ、ゲームはここでやっといい作品(「クロックタワー3」、「鬼武者2」)にめぐり合えた気がします。

雨宮 本数的には一番いいだろうね。ヒットするゲームって、すごい才能が寄り集まって作るものでしょう? 今までのは、オレによりかかり過ぎてたんだよね。一番かオレ?みたいな。そういうのはツライよ。

――次の作品について。

雨宮 ナイショ。

――DVDだと伺っていますが?

雨宮 そう。今、絵コンテ描いてる。まぁ、来年かな。ジャンルは今まで撮った中では一番自分に向いてるけど、一般ウケはどうかな……って内容。カルトだよ。人間が一人もでてこないんだよね。それを実写でやる。CGももちろん使いうけど、メインは役者使って。

――それも発注が来てから考えた?

雨宮 準備金くださいって言ったら、ちゃんと出たからね(笑)。

――(笑)がんばってください。ありがとうございました。

-Tommy鈴木的後記-
雨宮さんちの奥さんはきれい!娘さんはかわいい!これだけで自宅におじゃました意味がありました(謎)。「ミカヅキ」が一段落した今、監督はゲームやDVDへと守備範囲を拡大していて、もう映画に戻らないような印象をうけました。僕としては「ゼイラム」を今の技術でもう一度と思っていたんですが、まぁ、ノスタルジックな感傷でしょうね……。クラウドを縮小して再出発をきる監督、がんばれ!

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