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母が憎い

母が憎い。

父も憎いが母への憎しみはそれを優に上回る。
母にされてきたことはまたいずれ書くとして、母への憎しみがピークに達した時に聴く曲について書きたい。


五月の蝿/RADWIMPS


この曲は野田洋次郎が吉高由里子と別れた時に、吉高由里子への憎しみを込めて書いた曲だのなんだの言われているが、私にとってはそんなことはどうでもよくて、とにかく歌詞が私の怒りに寄り添ってくれているので好きだ。

私も母がどんな目に合おうと
満面の笑みでスキップでもしながら鼻歌口ずさめる気がする。
今より少しでも不幸になってくれれば良い。

通り魔に刺され 腑は零れ 血反吐吐く母が助けを求めても
ヘッドフォンで大好きな音楽聴きながら 溢れた腑で縄跳びをできる気がする。
いやそれは盛った。縄跳びはしない。

母は私には似てなくて
どちらかというと美人とされる顔立ちだし
今までどんなワガママも許されてきた、
それでいてかなり性格の悪いタイプなので
この歌詞に出てくる“君”に共通するものがある。

唯一共感できないのは
精子うんぬんと

生憎そんな遠回りせずとも僕は僕を大事にできるから
もういらないよ

ここだけ。

私は私を大事にできないし
母のことはいらない、
いらなかったと思っているけれど
母のことを考えない日はないし
母に好かれたかったし愛されたかった。
結局いらないと思っていても
母の存在なしではこの怒りをどこに向けていいのかもわからない。
もう私もアラサーになるが、
未だにトラウマや自身の性格や生き辛さを母のせいにして後ろ向きに生きている。


生まれてはじめての宗教が君です

これに関しては正にその通りで、
私にとっての宗教は母なんだと思う。
みんな誰しもそうと言えるが、
私は常に母のことを想って生きている。
母に囚われて生きているし
母に愛されるはずだった自分を想像して生きている。
「お母さんなんでアタシを産んだのよ」
「お母さんの子になんて産まれなきゃよかった」
とずっと思っているし
未だにそう思っている自分にも嫌気が差す。


君は何も悪くないよ
悪くないよ 悪くないから

私が言って欲しかった言葉で、
今も誰かに言ってもらいたい言葉だ。
この曲を聴いていると怒りも悲しみも沸いてくるが、
最後のこの歌詞で少し救われる。


何が書きたいかと言うと、
毎日Twitterを見ていると
私と同じような育ち方をした人や
親のことを憎んでいる人が少なからずいるので
そんな人にこの曲はオススメですよ。
と言うことを書きたかった。

全然関係ないけどサムネイルの画像は
グザヴィエ・ドランという監督の
“マイ・マザー”という映画で
これもなかなかおすすめ。


読んでくれてありがとう。


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