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コロナ禍真っ只中の妊活

2018年6月15日。
私、36歳本厄真っただ中、夫、32歳の時に婚姻届けを提出し、晴れて夫婦になる。

年齢的な所を考えればすぐにでも子供を…という気持ちはあったものの、当時の私はお店の副店長をしていたが、店長が辞めてしまった為肩書は副店長でも実質店長業務も行い、店長と副店長の業務をほぼ一人でこなしていた。
お店も当時は朝8時開店、20時半閉店のシフト制だった為、自分がお店に入る時は店舗業務を、それ以外の時間は事務作業をと、朝出勤したら夜まで帰って来ないという事も多く、その分給料は高かったが家はご飯を食べてお風呂に入って寝る場所でしかなかった。

当然そんな状態では子作りに割く時間など持てず、誘われても断るばかりで、排卵日付近に仕方なく受け入れる…という状態の日々が続いた。
当然夫はそれに不満を抱き、私は性欲なんて微塵も湧いてこないし、「今月は(排卵予定日)いつ?」と聞かれるのが次第に苦痛とになっていた。

私は朝から晩まで夫以上に働いて、その上妊娠しやすい体作りの為に葉酸を飲み、基礎体温を測って排卵検査薬でタイミングを見計らい、その日に合わせて仕事を調整し、どんなに疲れていても、濡れなければ潤滑ゼリーを使用してでもその日は子作りを優先する。

一方夫は葉酸を飲んで排卵予定日を心待ちにし、その日が来たらここぞとばかりに性欲を満たす。
私は苦痛しかないのに夫は気持ちいい思いをして、仕事でも家でもストレスが溜まる環境にうんざりし、夫に対して嫌悪感さえ抱くようになっていた。

そんな中、新しい店長候補が見つかった事をきっかけに、夫に相談して年内で正社員を降りて扶養の範囲内(年収130万円以下)のアルバイトに雇用形態を変えて貰う事を決意。
引継ぎ事項が多すぎて年内に終わらず1月以降もみっちり働く事にはなったが、夏を迎える前に年収130万円ギリギリを達成してしまい、翌年まで仕事がなくなってしまった。

仕事がなくなった事でゆっくりした時間を持てるようになった私は、行為自体が苦痛である事に変わりはなかったが、以前よりは前向きに妊活に取り組む事が出来るようになった。
しかし、1年以上経過しても一向に妊娠する気配はなかった。

夫とは、私が40歳の誕生日を迎えるまでに妊娠出来なかったら子供は諦めようと話していた。
今の段階でも既にリスクの方が多いのに、それ以上はより厳しくなるし、身体的負担も増えると判断。
基礎体温もバラバラ、排卵検査薬に反応が出ない月もあり、当然妊娠の気配も一切ない事から、自分達の身体の状態を知る為、札幌にある不妊治療専門のクリニックへ行き、2人で検査を受ける事に。

2020年6月、当時私38歳、夫34歳。
コロナ禍真っ只中、悩んだ末の決断だった。

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