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29歳問題

「中2って、何にでもなれるじゃん!」

14歳のときに言われたこの言葉が、今も胸に刺さって抜けない。
真冬の平日夕方、新宿のロッテリアの2階には人が全然いなかった。
その日は知り合いの出演するバンドのライブがあり、前略プロフのリンクを飛んで知り合ったライブ百戦錬磨のお姉さんと一緒に行く予定だった。

ネットで知り合った人とお出かけなんて、何か事件に巻き込まれたとき親が泣くだろうと思ったので、同じ中学に通う仲のいい友達も誘い、新宿中央通りかどこかのロッテリアで顔も名前も知らないお姉さんと待ち合わせをした。

お姉さんは3つ上の高校2年生で、サラサラの茶髪をかき上げるのがクセみたいだった。私たちは本名(といってもファーストネームだけ)を教え合い、シェイクをすすった。
年齢については事前に教え合っていたものの、改めて自分の学年を伝えると
「中2って、何にでもなれるじゃん!」とお姉さんは大げさにのけぞった。

オーバーリアクションに戸惑った私たちは「いやいや〜」とか言って曖昧に笑った気がする。

自分の発言の意図が伝わっていないことを理解したのか、高2のお姉さんはこう付け加えた。

「だって君たち、将来宇宙飛行士になりたいって思ったら、なれるかもしれないよ?私はもう無理だけど」



ライブでは思いっきり声を出して頭を振って、冬なのにワイシャツがびしょびしょになるくらい汗をかいて、ライブハウス前でお姉さんと別れた。

お姉さんは参考書を買いに行くとか言っていたかもしれない。お姉さんとはそれっきりで、名前も顔も覚えていない。

それからというもの、「○歳なの!若いね〜」とか「これからが楽しみだね」と言われるたびに心の端っこがつねられたように痛んだ。学年が1つ上がるごとに、1歳大人に近づくごとに、将来の選択肢がどんどん狭まるような気がした。



20代も後半になると、今まで同じ岸にいた友人たちがいつの間にか向こう岸で暮らしていた、ということがある。

あの日のライブに付き合ってもらった友人は結婚して家を買い、先日モコモコのトイプードルを飼い始めた。

かつて同じスタートラインに立っていた同級生や同期たちも、転職やら留学やら結婚、出産やらでみんな静かに他の岸へと渡っていく。

特に何も変わっていないように見える子も、粛々と仕事に向き合って成果を出し、大海を目指して川下のほうに泳ぎ出した。

私は、ずっと同じ岸辺にいながらみんなのことを見ている。
岸に沿って歩いたり休んだり、目の前の川を渡ろうかと迷ってみたり、ため息を空にぶつけたりしながら。

向こう岸までの川の幅も、歳を重ねるにつれて広がっていくように感じる。
さっさと川を渡って仕事や育児に忙しくしている友人の背中は遥か遠くに見えるし、転職で「ポテンシャル採用」なんてもう通用しない歳になってきた。

どの川でもいいからとりあえず渡ってしまいたい気もするし、でもこの岸の居心地がよくて、どこにも行きたくないとも思う。

仕事や育児が落ち着いたアラフィフの人たちが、自分の人生やアイデンティティに対して「本当にこれでよかったのか」「これが自分のなりたかった大人だろうか」と悩む心理的不安を「ミッドライフクライシス(中年の危機)」という。
20代後半〜30代前半でのそれを「クオーターライフクライシス(QLC)」と呼ぶらしい。 暴れ狂う自意識を抑えつけて思春期を乗り越え、ようやく大人になったと思ったらアラサー付近でもやもや。そこから十数年して中年になるとまた新たな危機がくるのか。

人生、危機だらけだ。

QLC現象なのかわからないが、私の周りにも将来への漠とした焦燥感を感じ ている人が多い。
その中には30歳という数字を目の前にして「20代のうちに」と人生における重大な決断を下し、濁流を渡った人もいる。そして30の境界線を越えた人によると、次は「35になる前に」が待っているという。


本書は、無為な焦りへの対処法や悪あがきをつらつら書いて、私と同じように〝危機〟の真っ只中にいるアラサーの同胞たちに贈ろうと思う。


 
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 2022年12月22日発売「そろそろいい歳というけれど」より抜粋

 

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