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感想 フェルマーの料理

一言でまとめると、野郎の自己アイデンティティ確立と父性の話だった。

まず、仕事を通じてがこれが自分だ、いわゆる自己実現、というのをする人は多い。特に高級フランス料理という独創的で常に進化が必要な分野、高レベルに斬新なアイデアを繰り出す分野ならなおさらだろうと推察する。

フェルマーの料理での縦のつながりは北田学と父、そして海と渋谷。海と渋谷に血の繋がりはないが、だからこそ料理という鎹(かすがい)を大事にしている。

登場人物の男たちは仕事を通じて既に自己を実現している。学は数学者としてはフェルマーほどの偉人になれなくても数学という特技で料理界でなら偉人になれるとがんばる。ところが彼を支えているのは実は父からの認証であると露呈する。青年期のアイデンティティ確立には身近な目上の同性からの働きかけが有用であると視聴者は知る。ラストでは実は海と渋谷組に欠落していたのはその作用であり、学のはからいで渋谷が語りだし、ようやく海のアイデンティティが確立される。

ところでこのドラマでもっと興味深いのは一方の女子達。複雑で繊細な男子に比べてドラマの中の女子は単純。大会に優勝して故郷に錦を飾る魚見さんも研究功績を表彰されて意気揚々の武蔵さんも、もう自分はこの道でやっていけているという自信と自己を確立している。学の同僚、唯一の女性シェフの蘭菜はKを自分の店にするという夢を果たす。金策がうまくいく。迷いがない。

そうして彼女達は次のステップに進もうとしていることが彷彿されていた。充実した店経営だったり学を巡る恋だったり、、、。

こうした性別によってくっきりと役割を分けた話は新鮮だった。どんな分野でもうんとうんと頭の良い人たち、世界レベル、というと性差はないかもだが、難しい話を見やすく、わかりやすく説くには必要な演出なのかもと、あとで感じた。

コロナ禍明けでなんとなくホッとしていたり、なにか新しい良いことが起こりそうな気持ちの令和の時代にふさわしい、後味よいドラマだった。


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