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私とピアノ

 私は、ピアノ教室へ通ってます。
私の心の底の方で、ふつふつと、ピアノ愛が、静かに保温されたような気持ちが、ありました。
58歳と10か月の頃からです。

今年で、5年目に、突入しました。
まさか、私が、この歳で、ピアノを習うなんて、習えるなんて、子供だった私に、言ってあげたい。
「いま あのときのあこがれが、じつげんしてるよ!」と。
本当に不思議です。
夫に 感謝
とても素敵なピアノの、先生に、出会った事

いろいろあって、ピアノが、私を、支えてくれいるのも、事実です。

遠い記憶をたどれば 私とピアノのはじめての出会いは、今は亡き父が、お土産か、プレゼントかで、買ってくれた、赤い木製のトイピアノでした。
何歳か、覚えてないけど、その赤い色と音色だけは、記憶の中に、あります。

しばらく月日が、経ち、私が、6歳のある日、
我が家に、足踏みオルガンが、、やってきました。
6歳の私に、とって初めて見るオルガン。ぶーぶーとなる空気音を含んだ
音色!
9歳年上の叔母 9人兄弟姉妹の父の一番末っ子の叔母ちゃん、今でも、たんこ姉ちゃんと呼んでます。
その、たんこ姉ちゃんは、子供のいない 県外のきみおばちゃんのところに、養女のように、何年間か、住んでました。そのころたんこ姉ちゃんは、ピアノを、習ってて その後、我が家に、戻ってきた時に、一緒に、足踏みオルガンが、やって来たのでした。
それは、それは、衝撃的で、音が鳴る!うれしい!
習ってもないのに、適当に、両手で、チューリップの曲など、弾けれたものでした。確か、左手は、ドソミソ だったかな!

その頃、鼻水たらして、授業は、ちっとも集中せず、できず、窓の外を、眺めたり、とても、落ち着きのない、変な子でしたが、休み時間には、教室に
あったオルガンで曲を弾いて、周りにクラスの子たちに、囲まれてた記憶が、あります。

そんな音楽好きの子供だったにも、かかわらず、音楽会の合奏のパートを決めるオーデションでは、緊張で、ビリビリ、ガタガタ、結局、パートは、ハーモニカ!本当は、花形に見えた、アコーディオンやピアニカのパートに、なりたかったなあ!

あがり症は、その頃から
かなり自意識過剰!今は、自分は、何者でもない。
自分は、それ以上でもなく、それ以下でもないの、言葉を、胸に、弾いてます。

昭和40年代の私が通ってた小学校では、放課後、先生が、書道とか、生徒に、教えて、協会に提出したり、展覧会に出品したりの習い事が、ありました。
私ともう一人の友人は、字を書くのが、きらいで、私は、雑で、下手で、いやでたまらなかったけど、母親に、習えと言われ、習い始めました。

しかし、何回か提出しても、10級だか、9級だか、全然上がらず、どんどん進級していく同級生達を横目に、ぷちやめました。

それから、小学5年生になって、器楽クラブに、入部しました。
経緯は、覚えてないけど、顧問の中村先生という、ピアノのとても
お上手な、確か教育学部の音楽科だったか、ご卒業のやさしい先生でした。
放課後、音楽室の、ピアノで、赤バイエル、黄バイエルを二年間、びっしり教えてくださいました。

夏休みも、先生のご自宅にまで、押しかけて、教えて頂いた思い出が、あります。古い田舎の家屋に住んでた私にとって、芝生のお庭に鉄筋の洋風のお家は、別世界で、あこがれたものでした。

今、考えると、親も、仕事が忙しく、ほったらかしで、状況もつゆ知らず、先生に、菓子折りなどの、お礼してなかったような?

その時の原点があったから、今に、繋がってると、思ってます。

中学生になって、私は、ブラスバンド部に、迷わず入部しました。
その頃、4つ学年下の3歳違いの妹は、となりの地区まで、バスに乗って音楽教室に、いとこと一緒に、ピアノを習いに、通ってました。
時代の変化で、地方の田舎でも、習い事が、だんだんと普及しはじめてました。それに、妹は、私より頭が良く、しっかり者でした。親も、正直に、期待値は、私よりも、高く持ってた事でしょう!(笑)

しかしながら、妹には、向いてなかったらしく、ソナチネ前半くらいで、辞めています。
今になって、母は、ひとには、向き不向きがあって、妹より、私の方が、ピアノには、向いてたんやね!と、つぶやいてます。

高校生の頃は、洋楽や、バンドにあこがれ、中途半端に、まだ家にあったオルガン(もしかしてもう、足ふみじゃなかったかも)で、自己流で、作曲したり、コードで、弾き語りしたり、それなりに、音楽にはまり込んでました。
高校卒業後の進路で、浜松市にカワイのピアノ講師の、養成専門学校に、なんとなく行きたいなと、資料は、取り寄せたものの、応募資格にソナチネか、ブルクミュラ-程度とあったので、軽くあきらめ、勉強もしてなかったので 就職しました。
20歳のおわりに、結婚して、娘が、生まれて何年か、経った頃 ピアノを弾きたかったのか?それとも、娘に習わす口実で、電子ピアノを、購入しました。
自己流で、仕事や、子育ての中で、少しは、弾いたけど、全然進みませんでした。
娘には、私の願望通り、幼稚園年少さんから、ピアノ教室へ通わせました。
初めての、発表会では、姿勢よく、両手で、ブンブンこばちを、とても上手に、弾いて、感動したのを、今でもあざやかに、覚えてます。
高校3年生の秋まで、頑張りました。娘のピアノの音色 大好きでした。

息子にも、習わしたくて、とってもリズム感と力強い音で、よかったけど、スポーツ少年団でソフトボールの方に興味があり1年か2年で、ピアノは、辞めました。
姉と二人で発表会では、連弾したのを、覚えてます。 

でも、最近になって、娘曰く「私、本当は、ピアノ好きじゃなかったのよ!」ですって!
まあ、親と子の気持ちの不一致といううか、一方的に私の願望を押し付けた習い事エピソードです。

我が家に、アップライトピアノが、やって来たのは、娘が、ピアノをはじめて、小学生になったばかりの頃、たんこ姉ちゃんじゃないもう一人の叔母に、「そろそろ うちも電子ピアノじゃなく、アップライトピアノを、買おうと思ってるんよ!」
すると「うちに、あるよ!いつでも取りに来て!」と!
水泳に熱心だったいとこで、使ってないとの事!

そのピアノは、50年以上も前のピアノで、MIKIというメーカーのものです。
別のいとこから、水泳女子のいとこ、次に、娘、そして、今の私に、受け継がれてます。

やがて、子育ても、介護も、終わり、40年勤続した仕事も、退職しました。
その頃、主人のサポート業も、ありましたが、あこがれの、主婦生活!でもさてこれから、どのような、暮らし方を、したらいいか?模索してた日々、
まず、運動をはじめて、気持ちも、外に、向きはじめ、ふいに、そうだ!私ピアノしたかったんだ!と気持ちが、自然にわきあがりました。
近くのピアノ教室に、どきどきしながら、電話をしました。

はじめてのピアノ教室、小学6年生からすると、およそ46年ぶりぐらい!
大人のバイエルから、はじめました。
最初は、五線紙からはみでた音符を、シ ド レー ミー ファーとたどって読み、右手が、ト音記号、左手が、ヘ音記号!もう階名が、把握できず、バラバラに、なりそうでした。

誰とも競争しない、気楽な大人ピアノ!
一曲仕上がった時の達成感は、格別!

あるとき、買ってた「やさしい大人のピアノ曲集」その中に、ベートーベンのエリーゼのためにが、あって 先生に「いつか原曲が、弾きたかった
んです!」と申し出て、挑戦してみました。
そこで、クラシックの奥深さ、この曲を作曲した時の作者と対峙して、自分なりに、表現する。
その時、新たな階段に踏み入れたように、感じました。

毎週 練習曲、ハノン(指練習)、そして現在の自分のレベルより少しハードルを上げた、自由曲
一週間の練習が、週一回の30分のレッスンに、現れます。

普段の練習にするまで、まったりとしたり、疲れた時は、チョコを、たべて、集中力アップ!
大変だけど、達成感のある、好きなことしてる気分の日々が、続いてました。

2023年の1月
夫の亡くなる前夜も すやすやと夫も寝てたので、もうちょっと練習しなくちゃと、となりの部屋で、ヘッドホンで、電子ピアノでひと練習しました。
そのせいで、明け方、私は、ドーンと深く寝てて、 夫の異変にいち早く 気づけなくて ごめんなさいを何万回言っても、足りず、今でも心が、うずきます。
ごめんなさい!まる男さん!!
それからは、しばらくピアノに向かう事もできませんでした。

でも、何か月かして、やっぱりピアノが、弾きたい!
無心になるべく楽譜と向き合い、練習を再開しました。
あのとき練習してたホワイトクリスマスは、いまだに、弾けません。
でも、夫に届いてほしいと 想いを込めて 弾いてます。

2023年6月から,maruko_pseikatuの別アカウントで、小さな発表会の場を作りました。
せっかく仕上げた曲、次の曲を練習するのに、前弾けてた曲が、上手く弾けなくなる現象が起こるため、記録に残すためにも、始めました。
動画を自撮りするだけでも、どきどき、何度も、取り直します。
voicy小川奈緒の家が好きになるラジオのコミュニティーの縁側仲間や、知り合いや、友人など、沢山の方に、あたかい励ましや身に余るお言葉をもらってます。この場をお借りして、ありがとうございます。

日々、それなりに、忙しい日常の中 ピアノを続けられてうれしく思う日々です。

大好きなまる男さんに届け 皆さんに
届きますように、想いを込めて

そして 最近新たな階段が、用意されました。
心友が集まるカフェでピアノを弾かせて
もらうようになりました。
すごく緊張すると思いますが、
今の自分 それ以上でもなく
それ以下でもないを
モットーに演奏したいと思います。

赤いトイピアノからはじまった私とピアノの旅 まだ途中です。
80歳、90歳になってもピアノ弾いている、おばあちゃんになってます。



 



























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