近代を知る:ウクライナ蜂起軍とマイダン革命

以降、Wikipadia参照。筆者の解釈による編集。

マイダン革命(尊厳の革命):マイダンは "広場" で自由を意味する:ユーロ・マイダン:欧州・広場 で "欧州の自由" を意味するか。
=> 2014年ウクライナ騒乱、マイダン革命、ユーロ・マイダン革命は、2014年2月中下旬にウクライナで起こった革命。
=> 首都キーウで勃発したウクライナ政府側とユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命することになった。
=> このクーデターに背後でアメリカが関与していたことを、当時のバラク・オバマ米大統領が明言している。

ウクライナ放棄軍(UPA):ウクライナにかつて存在した反体制武装組織。
=> 独ソ戦最中の1942年10月に結成され、おもに西ウクライナにおいて、赤軍とドイツ軍の双方に対するパルチザン・レジスタンス活動を行い、第二次世界大戦終結後はソ連と戦った。
=> UPA軍旗の 赤と黒 ウクライナのチェルノーゼム(肥沃な黒色の土壌)にこぼれ落ちた赤い血を象徴。
=> 当初、ナチス軍は ソ連軍をウクライナから追放する勢力 としてウクライナに受け入れられていたが、ナチスによる「ドイツ人の生存圏の拡大とスラヴ系諸民族の排除を目指す」動きはウクライナにとって過酷な政策であり、ナチスに対する パルチザン・レジスタンス活動 が発生し、ウクライナは、ソ連とナチス に対して抵抗する軍隊としてUPAを発足させた。
=> だが、当初、ソ連軍を撃退したナチスを受け入れていたことに、第二次世界大戦後のソ連・ロシアは反発し「ネオナチ」として認識するようになった。
=> 戦後、ソ連はUPA撲滅を目指し活動して、UPAは1954年にはほぼ壊滅状態となり、残党は西ヨーロッパ、特に西ドイツや、支援者の移民がいるアメリカ合衆国に逃亡した。
=> 戦後、ポーランド独立にともなって、ウクライナ領にあるポーランド人が住むヴォルィーニとガリツィアを含む西ウクライナ地域がポーランド領になることをウクライナが警戒し、1943年からUPAはヴォルィーニとガリツィアに住むポーランド人に対する民族浄化を開始した。
=> このため、ポーランドは戦後のソ連が実施したUPA撲滅活動に参加し、「ヴィスワ作戦:1947年、ポーランド南東部のウクライナ系住民(ボイコ人、レムコ人を含む)を強制移住させた、ポーランドの共産主義政権による政策のコードネーム」を実施することになる。ウクライナのメディアなどは、この作戦を民族浄化と表現している。
=> 2014年マイダン革命により、ペトロ・ポロシェンコが大統領に就任し、旧ソ連の「残滓」を取り除く政策を数多く行った中で、ウクライナ政府の公式史観は大きく転換され、UPAも名誉回復がなされた。

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ウクライナの近代。激動と言ってよいのかもしれません。とにもかくにも、「ウクライナはウクライナ人が護る土地」という伝統的な意識は衰えていません。隣接する大国や地域有力国に屈しない精神は受け継がれています。

ただ、その精神が勢いを増すと、行き過ぎた事実を生んでしまう。これは、東アジアにも欧州にも中東にもアフリカ・アメリカ大陸でも起こっていること。過去を報復の理由としてしまうと戦争はやむことがないのだ、と、あらためて思った次第。

#日経COMEMO #NIKKEI

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