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最適化が正解ではない理由

今はとにかく合理的に生きるほどスマートでいけてるマンと思われがちです。毎日満員電車に乗って通勤するのは合理的じゃないよね。リモートワーク万歳! その意見はきっと正しいでしょう。けれど今多くの経営者がリモートワークで生産性が下がったと感じているそうです。それはマネージメントが悪いのでしょうか。仕事のやり方が悪いのでしょうか。Slackを社内に導入していないからでしょうか。前にテレビで見たのですが、ある企業では生産性を上げるため、リモートワークをしている社員の行動を逐一監視するツールを導入したのだそうです。わたしはこのやり方で生産性は上がらないと思います。なぜなら最適化の罠があるからです。

ものごとを合理的に行おうするとき、ある目的だけに集中して最も適切な方法をとることを最適化といいます。たとえばあなたがお店を経営しているのでしたら、集客を最適化することが売り上げを増やすことにつながります。なのであなたは地元のフリーペーパーに取材してもらったり、サービスを改善したり、時にはサクラを雇ったり半裸の広告を出したりして集客の最適化を目指すわけですが、最適化が常に良い結果をもたらすわけではありません。いくつか例を紹介してみたいと思います。

負債を生む最適化

あるところに昔ながらの上司がいたとします。彼は部下を率いて難しい業務を遂行しなければなりません。人を動かすための最も簡単かつ効果的な方法は、力で強制的に自分に従わせることです。彼は業務効率を最適化するためにその方法をとりました。叱責やパワハラは当たり前。気に入らない部下や成果をあげられない部下はすぐに仕事を取り上げられます。短期的にこの方法はうまくいきます。部下は上司が怖いので意見がいえず、無駄なコミュニケーションが発生することもありません。業績は一時的に上がりますが一方で部下の不満も蓄積されていき、離職する人が増え最終的にこの上司は会社を追放されてしまいます。これが負債を生む最適化です。今勝手に「ジョブズの最適化」と名付けました。

負債を生む最適化のこわいところは、一見そのやり方がうまくいっているように見えるところです。負債はじわじわと積み上がって、気がついたときには返済できないほど大きなものになっていることがあります。最近は音楽のネット配信が主流になってきたので、聴いたときすぐに歌のメロディが耳に入るように、前奏がどんどん短くなっているのだそうです。楽曲の良し悪しでいえば、前奏が短ければ短いほどいい曲であるはずがありません。このような最適化もいずれ音楽業界全体の負債になる気がします。

何かを犠牲にする最適化

人は起きている時間しか活動できません。なら1時間しか寝なければいいじゃない。残りの時間は好きなことに使えるし、もっと働いてたくさんお金を稼ぐことだってできます。スタートアップの創業者はみんな寝る間を惜しんで働くものです。1時間しか寝ないで3年間毎日ぶっ通しで働いてみたら? たぶん体も心も病んでそれまでより働けなくなります。最適化って実は失うものとのトレードオフだったりします。バランスは大事。

単純な最適化

世の中はコンサルタントやマーケティング会社の営業がいうよりもずっと複雑なものです。一見合理的には見えないけど合理的なものもあれば、その逆もあります。スタートアップの起業でよく語られる言葉として「スケールしないことをしろ」というのがあります。立ち上げたばかりの会社にとってスケール(事業の規模が大きくなること)することは一番の目標ですが、スケールさせようとしてあれこれ施策を打つよりも、スケールしないことをするのが最も合理的なスケールへの道だという話です。Googleの検索順位やA/Bテストの結果に一喜一憂するばかりだと、より複雑なものが見えなくなってしまう危険性があるので注意したいものです。

間違った最適化

ある目的に対して最適化の方向が間違っているケースです。冒頭にあげたリモートワークの本来の目的は、社員どうしの連携を多少犠牲にしたとしても、通勤の負担や勤務地の制約をなくしていろいろな人がもっと自律的に働きやすくすることで、生産性を高めることです。社員を監視しようという企業は感染予防の側面しかみられないのでわざわざ社員のやる気や自律性を削ぐような施策をして、リモートワークのデメリットはそのままにメリットもなくしてしまうので、生産性が上がるわけがありません。うちの社員はどうしても自律的に働けないんだというのであれば、「リモートワークさせない」が正解だと思います。

最適化のための最適化

プログラミングコンテストの一種でコードゴルフという競技があります。これはあるお題を一番短いソースコードでプログラミングした人が勝ちという、いわばハッカーの遊びのようなものです。コードゴルフでは例えば3の倍数を表示するプログラムを極限まで短いソースコードで書くことを求められますが、利用者にとってはソースコードが短くてもうれしいことはそんなにないので、これは最適化することそのものが目的といえます。会社でもときどき、本人たち以外誰も喜ばない最適化をやっている人がいます。間接部門の社員が毎週のように新しいツールを導入したいといってきたら、それはよくない兆候でしょう。

永久に続く最適化

あなたは完璧主義者です。自宅の掃除ももちろん完璧にこなします。フローリングに掃除機をかけ、窓を拭きます。テレビ台の埃をとるのも忘れません。掃除を完璧にやろうとすればするほど、細かい汚れが目についてきます。そうなるともう心が安らぐことはありません。消毒液で部屋中を殺菌し、上の階の住人が煙草を吸っているのを見て殺意を抱くようになります。あなたの部屋がきれいになる日は永久にやってきません。ハウスダストが気になって一歩も動けず夜も眠れなくなりました。こんなふうに、最適化しようとすればするほど理想の状態が遠ざかってしまうことがよくあります。この人は本当はどうすればよかったでしょうか。部屋が多少汚れていても仕方ないと受け入れるしかありません。これは人の心のしくみと関係しますが、人は不安を感じるとそれを取り除こうとしてどんどん小さなことに囚われるようになり、さらに不安になります。これが負のスパイラルになり、やがて心が消耗してしまいます。健康的な生活を送りたいのであれば、無理に最適化しようとせず、不完全さを受け入れることも選択肢のひとつとして持たなければいけません。

今回は最適化の罠について考えてみました。最近はなんちゃらハックとかいって、なんでも効率化・最適化することがもてはやされていますが、最適化の罠を知ることはある意味、現代を生きるうえでの教訓になる気がするんですね。

・無理に他人を動かせば、あとで代償を払うことになる。
・長く頑張るためにはときどき休まないといけない。
・近道は間違える道なのだ(バカボンのパパがいってました)。
・自分のことを選んでもらいたければ、自ら人を選ばないといけない。
・確かなものを求めようとすればするほど不安になる。
・欠陥をなくすよりも、あるものだと受け入れるほうが合理的なことがある。

どなたか幸せを最適化する方法をご存知でしたら教えてください。