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一億人に衣食住が行き渡ってるのってやばくないか?【雑記】

suzukiくんと飯を食った。実を言うと、ディスコ―ドでコミュニティ運営を始めたのは彼に打診されたからだった。まとも書房の影の発起人である。

僕からみた彼の第一印象は「もっとオッサンかと思ってた」である(鈴木って、なんかオッサンっぽくないか?)。実際のところ彼は僕よりいくらか年下で、野球部とバレー部とを足して2で割ったような好青年だった。間違っても「資本主義はクソ」とか言い出しそうにない見た目だった。

ところが、彼は「資本主義はクソ」みたいなことを言い出すのである。彼のような若者ですら、社会に対するあらゆる違和感を抱いていて、でも、それを友達にぶちまけることもできずに、もやもやした気持ちで生きているらしい(まとも書房はそういう人たちの避難所 兼 集会所になりつつあるような気がしてきた)。

途中「衣食住が一億人に行き届いてるってやばくないか?」という話になった。このテーマが彼が一番話したいことだったらしい。もうそれだけの偉業を成し遂げているというのに、なにを焦って経済成長などとのたまっているのか? あくせく働く必要がどこにあるのか? というわけだ。

確かにやばいと思った。そう言われれば、この偉業はあまりにも軽視されているような気がする。

一億人もいるなら、毎年10分の1くらい餓死しててもおかしくない気がするし、半分くらいがホームレスで、全裸で過ごしていても不思議ではない気がする。でも、そうならずに一億人の大半が健康で文化的な最低限度の生活を維持しているだけではなく、むしろ余らせて捨てている。空き家はそこら中にあるし、アパレルや食品の廃棄率も依然として高い。

それなのにXで次のような言説を見かけることは少なくない。「この社会に働かない奴を養う余裕はない」とか「みんなが馬車馬のように働いてようやく成り立っている社会なんだから、BIでニートを量産すれば社会が崩壊してしまう」といった言説だ。

実際そうではない。むしろ、働き過ぎているせいで子どもや年寄りの面倒を誰も見れなくなっているし、無駄に病気する人も多いはずだ。そうまでしてやっているのが、空き家の横にタワマンを建てたり、うっとうしい広告をつくったりする労働なのだ。

逆に考えるべきなのかもしれない。みんながこんなにも労働しているのに、こんなにも無駄なことをしているのに、社会が成り立っているのだと。偉業である。

suzukiくんはデータベース関連の仕事をしているらしい。彼はエッセンシャルな業界を支えているけれど、極端にまで分業が進んだ結果、なんの面白みもないデータをコマンドし続けるシットジョブと化してしまっているとのことだ。エッセンシャルな業界の労働も、結局は労働社会が生み出した歪によって肥大化しているらしい。


人類よ。無理すんなよ。休めよ。GDPなんか気にすんなよ。労働やめた方がいいよ。むしろなんでやめられないんだよ。


労働をやめるっていうのは、みんなで洞窟で暮らすという意味ではない。無意味なことをやめたり、不愉快な上司の命令を無視したりするというだけの意味なのだ。そしてみんな意味があると思うことをやればいい。

むずかしいことではないと思う。「いやぁ、そう簡単にはいかないよ」と言う人が全員「お、せやな。そうしよか」と言うだけでいいのだ。

でも、それがむずかしいのかもしれない。僕たちは社会の中で発言権を持つことはなく、場末の居酒屋の片隅でコソコソと語り合っていた。こういう話がもっと大っぴらにできればいいのだと思う。だからまとも書房をはじめたのだった。

奇しくも影の発起人が原点回帰をもたらせてくれた。せめて彼のようなもやもやを抱えた人物が、そのもやもやをあけすけに話せる場所を日本につくりたいのである。まぁ半分それはディスコ―ドにできてしまっているわけだが。

あらためていろいろと考えさせられた。ありがとうsuzukiくん。また会おうsuzukiくん。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!