町山智浩さんの『万引き家族』評はどこが間違えているのか。

 映画評論家の町山智浩さんの『万引き家族』評が話題を呼んでいます。それについてはここ(http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1578982)でも書きましたが、もういちど、べつの視点から語ってみることにしたいと思います。

 まず、町山さんの言葉を引用しましょう。

(町山智浩)スーパーでほんの少し、家族全員が食べるご飯をとっているだけなんですよ。それで「万引きなんかしやがって! 万引きなんか犯罪じゃないか!」って……ちょっと待て。彼らは働いていてもご飯が食べられなくて、わずかな食べ物がほしくて万引きをしているんですよ。この映画の中でね。

https://miyearnzzlabo.com/archives/50733

 しかし、この映画を見た人ならわかる通り、これは端的に間違いなのではないかと思うのです。

 第一に、「彼ら」はたしかに貧困ではあるものの、「働いていてもご飯が食べられな」いほどの極限的な貧困状況にあるとはいえないでしょう。

 そしてまた第二に、「彼ら」はパチンコの玉や釣竿を盗んだり、車上荒らしをしたりもしています。これは「わずかな食べ物がほしくて」の行為とはいえないと思います。

 ぼくにいわせれば、町山さんはあきらかに映画の内容を誤解している。これは、「食べるため、生きるためにしかたなく」犯罪に手を染めた人々を描く映画ではありません。

 あきらかに「彼ら」はまともな倫理観の欠けた小悪党の集まりだと思うのです。作中で「彼ら」が自分の犯罪を悔いたり、反省したりする描写はありませんし、「彼ら」は幼い子供たちにまで万引きの手伝いをさせます。どう肯定的に見ても善良な人間とはいえないでしょう。

 もちろん、だからといって「彼ら」が否定されるべき純粋な悪かといえば、それも違う。リリー・フランキーが名演を見せる「彼ら」のうちの父親は、虐待されている子供を見てさらって来て育ててしまいます。これは、まず、善意からの行動といって良いでしょう。

 ただ、問題なのは、そういう素朴な善意に長期的な展望がともなわないことです。「彼ら」の行動は徹底して短絡的で、中長期的な計画というものが存在しないのです。

 そういう意味で、「彼ら」は愚かな人間です。しかし、映画は、そんな愚かな「彼ら」を取り巻く社会もまた、実はさまざまな欺瞞を抱えていることを示していく。この家族「だけ」が悪いわけではない、ということははっきり提示されているのです。

 ちなみに町山さんは上記の意見に対する批判を受けて、このように反論しています。

だから彼らを許せないというんですか? 海水浴は奇跡のような贅沢で、普段は最低限のつつましい生き方をしていたと思います。是枝監督は、年金の不正受給者を断罪する人々を見て『万引き家族』を作ったと語っていますが、よくわかります。ちなみに釣り竿は父子の絆のように大事に持っていましたね。

https://twitter.com/TomoMachi/status/1007157875876065280

 しかし、許せるとか許せないという問題ではないでしょう。たしかに、映画は「彼ら」を「断罪」することを拒否しています。ですが、その一方で「彼ら」を「擁護」することもまた拒否するのです。

 「彼ら」はもちろん「徹底して倫理観の欠けた絶対悪」ではない。しかし、「生存のためしかたなく犯罪に手を染めた無垢な被害者」でもまたないということです。町山さんの反論は論点がずれている。

 ここで批判されているのは、「彼ら」が許されるべきか許されるべきではないのかという倫理的な問題ではなく、客観的な事実として、作中の描写は、町山さんがいうように「彼らは働いていてもご飯が食べられなくて、わずかな食べ物がほしくて万引きをしている」というふうにはなっていないということなのです。

 そこにどのような監督の意図があるのかはわかりません。ただ、ぼくは、監督は意識して「彼ら」をまともな倫理観の薄い、しかし虐待された子供を憐れむような善い心も十分に持っている人々として描いたのだと思う。

 こういう、ある意味で「中途半端」な描写がこの映画の特徴です。『万引き家族』はあらゆる意味で二元論的な線引きを拒否している作品なのだ、といういい方もできるでしょう。

 白か、黒か、善か、悪か、被害者か、加害者か、許されるべきか、許されるべきではないのか、そういうシンプルな線引きそのものを否定して、「灰色の現実」を描いている。

 したがって、この映画に「わかりやすい悪役」は出て来ませんし、「わかりやすい救済」もありません。「社会が悪い」、「政治が悪い」といったテーマもまたない。

 「彼ら」を二元論で裁いたり許したりすることができないのと同様、社会もまた灰色の混沌であるということなのだと思います。

 「年金不正受給者」であれ、「現首相」であれ、どこかに「わかりやすい悪役」を設定して、それを叩いて満足すれば、たしかに世界を容易に理解できるように思える。ですが、この映画はあくまでそういう単純な物語を否定しています。

 現実はどこまでも複雑で灰色、割り切れないものだということ。ネトウヨはそれを「黒」といい切って責め、町山さんはそれを「白」と捉えているように見える。その両方にぼくは反対します。

 まあ、とにかく良い映画なので、ぜひ見てもらいたいですね。オススメです。絶賛公開中ですよ!

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