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カラタネオガタマ

子どもはみんな、根元のところでは母親を愛したい生きものであり、私も漏れなく母親が好きだった。

編み物をよくする母に編み物を習いたくて、かぎ針(一本で編めるそんなに難しくない針)で帽子を作ってみたことがある。同じ図面で作っているはずなのに力の加減が難しくて、ヒトの大きさで作っても、私の手編みの帽子はギチギチに編まれたぬいぐるみサイズのどんぐり帽子になってしまった。
それをみて笑う母が好きだった。同じことをしている、母親が好きなものを好きでいる自分は母に、好かれるんじゃないかとワクワクしていた。

小学生の頃、手作りのザック(入れるものは主に体操服で、ランドセルの上にえいやと引っ掛けてリュックみたいに使う)や給食で使うランチョンマットをよくねだった。その頃はやっていたサンリオの「てのりくま」、「リラックマ」またはポケモンの柄の布地を母親と近所の手芸屋で見つけては、これで作って欲しい!とお願いをした。
手芸が得意だった母は快くわたしの願いを受け入れて、嬉しそうにするわたしを見て満足していたに、違いない。そう思いたいだけのような気もするが。

そんなふうに、母親の好きに乗じて親子のコミュニケーションを図るような子どもだった気がする。

編み物に加えて、
母親は昔から庭いじりが好きな女性だった。

カラタネオガタマは、通称バナナの木と呼ばれる、花からバナナの香りがする樹木である。
近所のホームセンターで100センチにも満たないオダマキの苗木を見て、かわいい花だと思った。それに、なにより香りがいい。バナナだ。
それもよく熟した、お菓子のバナナの、吸い込めば鼻から上の頭全てトリップしてしまうようなあの感じ。     
ディズニーランドでハチミツのポップコーンの香りが人々を狂わせるみたいな暴力的な香りだった。

花自体は親指より一回り大きいくらいの小ぶりな花で、クリーム色をしている。
分厚めの花弁はのみずみずしさを含んでおり、 5.6枚でおしべとめしべをすっかり覆っている。
めしべの根元の方は少し紅く色づいており、クリーム色を美しく染めている。

「欲しい」
おそらく小学校高学年か、中学生の頃だった。
苗木の花を始めて欲しいと思った。
だって、こんなに素敵な香りの花があれば家がディズニーランドになる!外にいるだけでハッピーになっちゃう!それって最高なのでは?そんなお家は他に知らない!

ということで、初めて花の苗木を母親にねだることになった。3000円ほどの苗木は若干高かったので少し悩みながらも母親は買ってくれた。

翌年、また翌年と、春になって日差しが暖かいから暑いに変わりそうな季節に、オガタマは香り始める。え、バナナの匂いする!これだ!これが欲しかった!と毎度私の鼻を賑わせた。
この香りの強さは金木犀に匹敵する。一つの花の香りの破壊力ではオガタマが圧勝だろう。

大学に行って、一人暮らしを始めても、ゴールデンウィークに帰るとオガタマが香っていた。初夏、雨季のジメジメした空気の中にも玄関前はどことなく甘ったるいバナナの香りがしていた。
そういえば、母親はいい匂いだとは言わなかったので、「え、もしかしてこの匂い嫌いだった?」と言えば「嫌いではないけど、お前が好きだから植えたんだよ」と言われた。

社会人になって帰るとオガタマがなくなっていた。
「枯れちゃったの?」
と聞くと枯れそうだったからもう一本買い足したんだと、赤色のオダマキが私の知る白オガタマの3倍もの大きさで家の目の前にあった。
こんなに大きくなるのか、白オガタマが生存していた頃から紅オガタマは購入されていたようで、スクスクと育ち、私が社会で揉まれてる3年間も大学で転げ回った4年間も生きていたんだなあ。知らなかった。

バナナの匂いをすんすん嗅いでいたら、母親が紅オガタマを1つ摘んでくれた。
台湾ではこの花を簪にさして、香りを楽しんだりもするそうだ。

私はちぎってもらったそのひとつを押し花にして、バッグに入れて持ち帰ったが、バッグの中にバナナをぶちまけたような香りがしばらく残っていて酷く愉快な気持ちだった。

オガタマ あか
ものすごいかおり

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