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ずっと働くを考える その1 社会保障と75歳

高齢者の定義

ずっと働くを考える その1 社会保障と75歳
というテーマでブログを書いた。

人口動態_支える比率

簡単に言ってしまえば、高齢者の定義を65歳以上から75歳以上にしてしまえば、高齢者を支える負担感は、25年から40年、過去にもどすことができるという事だ。

社会保障の問題は解決可能

本文では複雑になりすぎるので記載しなかったが、さらに言えば0-14歳の比率が下がることで、労働力人口の負担感は数字が同じだとしてもより低いということも言えるだろう。と言う事は、2060年でも2015年くらいの負担感の社会保障にすることは十分可能だという事だ。ましては、2060年の75歳は2020年の75歳より元気なことも確実だ。予想よりも平均寿命や平均余命が伸びたとしても、おそらく不健康寿命が大幅に伸びる方向には社会的に向かないだろうから、高額医療の問題などに一定の歯止めがかかれば、少なくとも社会保障の観点からは今より問題がひどくなることはないだろう。そのための必要な施策は一点で、高齢者の定義を変えること。

ものすごくシンプルだけど、この計算を見たことがなかった。なぜだろう?

本当は、平均寿命か平均健康寿命かにリンクさせる形で自動的に高齢者の定義を更新していくことが最も世代間の格差もなく、個別の負担感も一定にしながら社会保障を存続させることが可能になるのではないかと考える。

考え方としては社会保障の積み立て式への転換に近いのかもしれないが、世代ごとに支払う金額と受け取る金額が異なるという意味では積み立てでもない。

働くのが嫌なのはなぜか

おそらく厚生労働省の官僚の皆様は、いろいろな試算を経てこの結論にたどり着いているのではあるまいか。ただし政治的にそれを言うと政権が危ないので、いつ、どう言うかをかんがえているのではないか。

次は、なぜ、人はずっと働くことが嫌なのか、がポイントになると思う。これは歴史の話だが、そのアプローチでの論文などはないだろうか。つまり人がいつまで働くかの労働観史のような研究だ。

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/