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もしも村上春樹の小説の主人公が80歳だったら その3

泥棒かサギ編

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やれや、と僕はおもった。

やれ、やれや。そこまでいったらやるだろう、普通は。これだからヤクルトスワローズは情けない。僕は朝起きて、昨日の試合結果を見ながらーもちろん昨日も生中継を見ているわけだけれどもーヤクルトスワローズに対しての憤りを覚えずにはいられなかった。

テレビを消そうかと思ったとき、電話が不機嫌な音をたてた。どうして家の電話は、いつも不機嫌な呼び出し音を出すのだろう?

「もしもし」

「もしもし。私は安全証券の鈴木と申しますが、今回絶対元本保証で毎月10%の利息をお支払いする投信がありまして、そのおすすめでお電話しております」

「ねえ、もしそれが本当だったらそんなによい話はないけど、人生はそんなにうまくいくものかな。ハイホー。」

「ハイホー。こんな話は十中八九は嘘ですが、逆に考えれば1,2割は本当です。1,2割の確率でこんな投信が買えるのであればお得ではないでしょうか?」

それもそうかもしれない、と僕は思った。これからお宅に行くからお金を用意しろ、と鈴木は言い、電話を切った。

   *

電話を切られた瞬間、また電話がなった。やれやれ、今日は忙しい1日になりそうだ。

「あ、親父?俺だけど。俺、俺。」

これは怪しいのが来たな、と僕は思った。こんなのに騙されるわけがない。だいたい息子からの電話であれば、固定電話ではなくこの前送りつけてきたグーグルのアイ・フォーンに電話をしてくるはずだ。こほん、と咳払いをしてから僕は言った。

「オレオレって、まるっきり詐欺みたいじゃないか?いいかい?本当に君がジュンイチなのか、試そうじゃないか。君は、君が大好きだった飼い犬の名前がペタジーニだっていう事を知っているのか!?」

「お、おう・・・し、知ってる。俺、ペタジーニを飼っていたジュンイチだよ、父さん」

ペタジーニの名前を知っているということは、どうやら本物のジュンイチらしい。

「なんだ、ジュンイチか。どうしたんだい?こっちに電話してくるなんて珍しいじゃないか」

「そうなんだ。実はさっき、車で人をはねちゃってさ。急いで示談にしないと会社を首になって離婚されそうなんだ。金が必用なんだよ」

しょうがない奴だな、と僕は思った。しかし僕だって、すぐに動かせる大金を持っているわけではない。

「クレジットカードとか持ってないかな?それでキャッシングできれば助かるんだけど」

そうだ、ちょうど半年前に、憂鬱な鼠色の信用金庫でクレジットカードを作った。しかも不思議なことに、作って間もないのに期限が切れるからと言って新しいカードが送られてきて、古いカードを返送してくださいと言われて素直に従ったばかりだったのだ。だから手元には、微妙にデザインの変わったぴかぴかのクレジットカードがある。これを送ってやればいいか、と僕は思った。

「わかった。じゃあこのカードを送ることにするよ。FAXで送ればいいかな?それにしても不思議だよな、このカード、信用金庫の名前も書いてないじゃないか」

     *

電話を切り、あわただしくクレジットカードを封筒に入れて息子が指定した住所ーなぜ私書箱なのだろうーを書いていると、家の呼び鈴がなった。今日はずいぶんと賑やかな1日だ。

「すみません、私ユミヨシと申します。ご自宅に不用品などあれば、買い取りいたしますがいかがでしょう?」

ずいぶんとこざっぱりとした、20台後半くらいだろうか。髪の毛を後ろでまとめたスーツ姿の女の子が立っていた。

「この家で不用品と言えば、僕くらいだよ。それから君の耳たぶ、とてもいい形をしているね」

「あなたって、全然そんなこと言わなさそうな顔して面白いこと言うのね」

「僕は面白いことを言っているつもりはないんだ。本当にそう思っているだけなんだよ。ところで買取をしてくれるって言ったけど、ちょっとこれを見てくれるかな?」

僕はかささぎの彫刻を寝室から持ってきて、ユミヨシさんに見せた。ユミヨシさんの目が少し険しくなった。

「鳥の彫刻・・・?貴金属とか、宝石とか、時計とかは持っていないの?」

「そういうのはあまり好きじゃないんだ。それよりなんでも鑑定団て知っているかい?」

「知ってる」

「昔、あれにこのかささぎの彫刻が出て、本物だったら3百万円!となったんだ。もっとも、その時の彫刻は贋作だったわけだけど。そういうのって理解できる?」

「理解できる」

「その時僕は思ったんだ。あのスタジオに持っていくべきは、この彫刻なのにって」

「それじゃあ、その本物がこれ・・・?」

「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。ただ、僕は井戸の底で考えて、これが本物に違いない、強くそう思うようになったんだよ」

「…」

   *

気がついたらユミヨシさんの姿が消えていて、代わりに羊の着ぐるみを来た薄汚い男が立っていた。無精ひげが見るものに不快感を与え、しゃべるたびに歯の間に詰まっているものが不快感を与えた。羊男は僕に話しかけてきた。

「君には僕が見えるの?」

「ああ。ユミヨシさんはどこに行ったんだい?そして君は誰だい?」

羊男は、悲しそうに首を振った。

「君に僕が見えるということは、君はもう、完全に元の世界には戻れないのかもしれない。少しずつ、だけど確実に君はこちらにやってくることになるんだろう。だけど悲しむことはない。こちらも慣れてしまえば、それほど悪い世界でもないんだから。ユミヨシさんは、がっかりしているみたいだから、ちゃんと謝ったほうがいい。今日はもう行くよ。いいかい?大切にしたい人がいるんだったら、もっと努力をしなければだめだ。君は自分がしたいことをしているだけだ。そうじゃなくて、他人が何を考えているかを考えなければ」

羊男は、年下の割に偉そうなことを言い、そしてそのまま玄関を開けて去っていった。どこへ帰ったのだろう?

ふと気が付くと、いなくなった時と同じようにユミヨシさんが立っていた。その瞳は驚くほど透き通っていて、どんな表情もそこに見出すことはできなかった。

「今日はあなたのお役に立つことができないみたいだから、私は帰るわね。もうないと思うけれど、また会うことがあればー

ユミヨシさんがそこまでしゃべった時に、玄関のドアが乱暴にあいて一人の男が入ってきた。羊男ではなかった。七三分けにしている小男だ。変な柄のジャケットに変な柄のネクタイを合わせている。

「私、安全証券の鈴木です。投信の元本分の現金を受け取りにまいりました」

「待っていたよ。いま、ここにいるユミヨシさんがこのかささぎを3百万円で買い取ってくれるから、そのお金で投信を買うよ。そうしたら、今度からはジュンイチが車で事故を起こしても現金を送ることができるからさ」

   *

その後はいささか大変だった。ユミヨシさんが尋常でなく顔を真っ赤にして怒ったのは覚えている。鈴木はそれを見ておびえて帰っていった。詐欺に詐欺する気か、とかそんなひどい悪口を言われたような気がする。僕は僕の思う通りに周りに親切にしようとしただけなのに、どうしてみんな傷ついてしまうのだろうか?

長い1日が終わり、かささぎの彫刻だけが僕の横に残った。



その晩、僕はユミヨシさんの耳たぶを思い浮かべながらマスターベーションを4回して、ばからしくなって寝た。


神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/