見出し画像

戦国武将の隠居時期

隠居についてブログを書いた。

ずっと働くを考える その2 隠居

信長も隠居していた

その中で、隠居というのが仕事を辞めることではなく、家督相続をして息子に家の跡目を継がせることを書いた。そして織田信長も43歳で隠居しており、その後もバリバリと働いていたと。

他の戦国武将の隠居

そう考えて見始めたら、隠居していない戦国武将の方が珍しいくらいだ。いくつかめぼしいところを見てみた。

北条氏政 42歳で氏直に後を継がせ隠居。小田原攻めで秀吉に降伏後、切腹させられる。

豊臣秀吉 54歳で関白を甥の秀次に継ぐ。太閤とは、関白を退任した人のこと。

徳川家康 64歳で将軍職を秀忠に引き継ぐ。元将軍は「大御所」。

黒田官兵衛 43歳で家督を嫡男の長政に継ぐ。その後も小田原開城させたり関ヶ原の時には九州で暴れまわったりと好き放題

などなど。皆さんきちんとされてますね。逆に隠居しなかった人としては、

上杉謙信 明確に跡目を決めなかったため、死後、御館の乱がおきることになる

武田信玄 死後、勝頼が諏訪から武田姓に戻り跡目を継ぐも、求心力が不足し、結果として講習崩れの遠因となるか 

と、並べてみると、おおむねきちんと隠居し、若いうちに跡継ぎに家督を継がせた方がうまくいくようだ(秀吉は途中で後継者を切腹させているし、北条氏も滅びますが一族、郎党の団結は固かったと言える)。

現代の事業承継

これは現代の同族経営における事業承継にも言えるのではないか?少し早すぎるくらいのタイミングで家督相続し、社長は早々に退任する。とはいえ、仕事を辞めるのではなく、新しい立場でできることを行うことがうまく承継するコツなのだろうと、改めて思う。言うは易く行うは難いが。

おまけ 隠居早見表

天皇 ⇒ 上皇
関白 ⇒ 太閤
将軍 ⇒ 大御所


神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/