人は皆、経験から学んで生きているーわかったつもりにならないー
郁です。
今朝、頭上にある戸棚の扉を開けっぱなしにしたまま別の作業をして、見事に扉で頭を打ちました。
前にもやったことあるんだから、いい加減学べよ私。
「自分の世界」は限りなく小さい
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 。
ドイツの鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクの格言として有名な言葉です。
一般にこの言葉は、「愚か者は自分自身で痛い目にあわないと理解できないが、賢者は歴史から学び理解する」というような文脈で使われる事が多いですね。
けれども、経験から学ぶことって大事なことじゃないのかな〜、経験しないとわからないことってあるのかな〜と思うし、経験から得ることがたくさんあるんですよね。
たとえば仕事で失敗を、しないほうがいいんだけれども、でも失敗しないとわからないことってあるんですよね。
一番危険なのは、「自分はわかっている」と思ってしまうこと。
自分が知っている世界というのはほんのわずかだ、ということを知っておくのは大事じゃないかなあ、と思うのです。
仕事でも、プライベートでも。
「無知の知」、「私は知らないことを知っている」というソクラテスの言葉です。
会社でもプライベートでも、「分かってる」「知ってる」と思い込んでしまうことで、未知の領域を遮断してしまいます。
つまり、「分かってる」という思いは自分の限界を定義する言葉になり、それ以上進むことができなくなると思うんですよね。
「この業務は慣れているから」と思って仕事していても、たとえば同僚から「こっちの方法でやってみたら時短になったよー」と教えてもらったりすることもあります。
他の人の意見に学んだり、「わかったつもり」にならないということは、大事なことだと思うのです。
やってみなきゃわからない
私は脚も遅いし、よく風邪を引くくらい体力もないし、ランニングなんて一生縁がないだろうなあと、以前は思っていました。
他には、社会人になってから「ものを書く」ことから離れていたので、何かを発信するということはしておらず、そういうことをしている人はすごい人だなぁなんて思っていましたし、今の会社に入るまではどちらかというと引っ込み思案だったので、人を引っ張ったりするのはできないなあ...なんて思っていました。
ランニングをするようになって、10km走れるようになり、体力がついて、風邪も引かなくなりました。
思い切ってnoteを始めてみたら、意外と書けることに気づきました。
Twitter(xとは頑なに言わない)で、多くの方と繋がることもできました。
今の会社に入って、誰かに積極的に声をかけたりするようになりました。
「これ教えてください」と聞いてもらえることも増えました。
今年に入ってからは、仲良しメンバーで食事会を企画したりもしました。
やってみないとわからないことって、たくさんあります。それが経験になり、自信になり、自分の世界が広がり、価値観も変わっていきます。
もちろん、やるまでもなく無理ってこともありますけどね。
たとえば私は高所恐怖症なので、パラグライダーやバンジージャンプはとてもじゃないけど無理です。
ただ、「どうしようかな?」「迷うな?」と思ったら、思い切ってやってみると、また違う景色が見えたりするものです。
同じ景色を見ていても、みんな感想は違う
そして、感覚というのは個人のもの。
他の人の脳を使って考えることができない以上、相手が何を見てどう感じているかは、結局想像するしかないんですよね。
テーブルの上にパンがひとつあるとします。
焼きたてでおいしそう、固そう、実はパンは好きじゃないな...など、人によってパンを見た時の意見は変わるはずなのですが、私たちは「自分が見ているのとまったく同じように、他の人にもそのパンが見えている」と思ってしまいます。
見え方が変わってくると、ずれが生じます。
仕事でこれが生じると致命的で、「納期は◯日だと思ってました」とか、「向こうはAを指定したつもりが、こちらはBと捉えてしまった」とか。
だから、「わかったつもりにならないこと」「自分の伝え方が本当に正しかったか見直すこと」は大事だと思うんですよね。
終わりに
先日、新しい業務用マニュアルを作りながら、「これってちゃんと伝わるかな?」と思ったことから、「経験の話」や「見え方の話」について書いてみました。
「わかったつもり」でいると、マニュアルを初めてみる人からは「◯◯って何?」「手順がよくわからん」になりがちなんですよね。
だから毎回、マニュアル作りは神経を使いますし、日頃から「わかったつもり」にならないように、気をつけています...
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