【ネタバレ有】ドラゴンクエスト ユアストーリー良い点/悪い点

ファミコン版のドラゴンクエストIを発売日に千歳烏山のおもちゃ屋で手にした時からドラクエの大ファンで、ソシャゲはドラゴンクエストライバルズくらいしかやっていませんが、ナンバリングタイトルやドラゴンクエストモンスターズなど、オンラインも含めて一応全部プレイしています。特に幼年~青年期にかけてドラクエI~VIは繰り返し何度も遊んでいる結構なヘビーユーザだと思います。

そんな人間からの視点のお話なので、もっとライトな方や、逆に、自分なんかよりももっともっとヘビーなファンの方は全く違う意見かも知れませんが、結論から言うと

一番やっちゃいけないことをした駄作

と言わざる得ません。

良いところも沢山あります。いや、かなりあります。しかし、それを考えても尚、「駄作」とさせてしまう要素が強すぎる印象です。色々言いたいことはあるのですが、まずは「良い点」から書きたいと思います。

全てネタバレなので、まだ観ていない方は読まない方が良いです。今後観るかどうかは別として……

映画の良かった点

本当に、全体的に「ほぼほぼ良かった」と言って問題ないと思います。

ベースのストーリーはドラクエVで、ビアンカの性格とか、タバサ居ないとか、ブオーン……え?みたいな改変はありましたが、良い改変も見られました。特にファンの間で派閥のできる「結婚問題」についても、上手くまとめられていると思います。ビアンカ可愛いっす。フローラも可愛いっす。グランマーズは可愛く無いっす(笑)省略されているストーリー部分も、時間を考えれば端折るのも致し方なしです。

特に映像が良く、鳥山先生のキャラではないものの、キャラクターは可愛く、モンスターはリアルに描かれていました。お馴染みのキャラクターやモンスターが表情豊かに動いている様を見るだけでもドラクエファンは楽しめると思います。躍動感&スピード感のあるアクションシーンの描き方も素晴らしいです。

いわずもがな、音楽も素晴らしいです。これもお馴染みの「すぎやまサウンド」で、幼少期から聞き馴染みのあるソウルミュージックが映画館に響きます。最高です。

正直CG作品にあまり良いイメージを持っておらず、あまり期待していなかったのですが、思った以上に映像技術が進歩していて、非常にアリだと思いました。終盤に至るで、ポイントポイントでノスタルジーが刺激される名シーンもあり、そこから得られる感動もありで、ちょっと泣きそうにもなりました。そのくらいは良い映像作品になっていたと思います。

そう、ラストのミルドラース()が出てくるまでは……

悪い点(怒りモード)

ミルドラース()の話をする前に

「悪い点」を、まず軽いジャブから行くとすれば「オープニング」です。

オープニングがドット絵のゲーム画面から始まります。私と同年代くらいならまだしも、全く世代ではない層も多いと思うので、ちょっとこのオープニングはそういう世代を置いてけぼりにしてしまうと思いました。現に周りの席には子供も多く、お母さんはお子さんから「あれなに?」って聞かれていました。そして、私自身恐らくこの演出のターゲットとなる世代ですが、正直響かなかったです。でも、響く人も居ると思うので、まあ軽いジャブ程度の問題定義案件かなと。

次に「声/演技」です。

思っていたよりはかなり良かったのですが、やはりプロの声優さんには敵わないと感じました。いや、別に声優さんを絶対使わなければいけないわけではありませんが、声優さんと比べて遜色のない人に「声/演技」は担当して欲しいと思います。芸能人配役もそうですが、子供のキャラだからって子供をそのまま起用しなくていいんじゃあないでしょうか……何度も言いますが、「思っていたよりは」かなり良かったです。主人公やビアンカ、ゲマあたりは上手いと思いました。それでも「芸能人にしては」という枕詞が付くレベルを脱することは出来ていませんでした。

近年、本作に限らず「作品として良いものを作る」という前提の中に、「声/演技」の重要性が絡んで来なくなってしまっているのが非常に悲しいです。本編前に流れた他の映画の予告でも、アニメ映画の配役は全て声優ではなく芸能人でした。これも何度も言いますが、「芸能人が悪い」というわけではありません。「アニメとして違和感のない演技が出来る人」を配役してもらえればと思います。何とかして欲しいなと。

さて、ここまではよくある不満です。このくらいの不満なら前述した「良い点」の方が上なので、「良い映画だった」と言えたと思います。

問題はこのあと……私は監督の自慰行為を押し付けられる形になります。

現実(リアル)を「見せる」のは〇「持ち込む」のは×

壮大なネタバレになりますが、最後の決戦、ゲマを倒した後に「大魔王ミルドラース」の封印が解かれかけます。

もちろん、ここでミルドラースが出てくる……と思いきや、世界は時間が止まったようになって、主人公以外はピクリとも動かなくなります。

戸惑う主人公の元に現れたのは、なんかノッペリした顔の人型の「何か」

その「何か」は、プログラム的な「命令」を口にして、世界をプログラム的に破壊していきます。本人曰く、「ミルドラースに擬態したウイルス」だそうです。

要は、2時間近く見て来たこの世界はゲームの中のお話で、主人公はプレイヤーがバーチャル空間で操っているプログラム。「大人になれよ」という言葉が発せられると、場面はリアルの世界に切り替わり、ベースとなった「ドラクエV」をプレイヤーが幾度も遊んだという正直不要な話が挿入され、「ほらオマエもそうだったろ?ゲームに没頭した時があっただろ?」って押し付けを食らいます。

ハッキリ言ってクソ脚本

おっと...…言葉が汚くなりました。すいません。

最後にリアルの話を持ってくること自体は全然いいと思います。むしろエモいです。ただ、「ラスボスがウイルスプログラム」で、「スラりんが、実はウイルスを監視していたワクチンプログラム」で、ロトの剣に形を変えたスラりんを使って、ゲームの中の世界でウイルスプログラムを撃退する……ってそんな「ゲーム外のリアル」を「ゲームの中」に持ってくる必要があったのでしょうか?

例えば、RPGを何十時間もプレイして、クリア目前まで進んだにも関わらず、出てくると思っていたラスボスが出てこなくて、「なにゲームとか一生懸命やってるの?これってたかがプログラムだよ?お前が救おうとしてる世界なんて本当はないんだぜ?おしまい。」って画面に表示されたらどう思うでしょうか?そのゲームを「くそゲー」と言わずにいられるでしょうか?そういうことです。

この最後の展開は、サブタイトルである「ユアストーリー」を踏襲していて、意図としては、ドラクエVを遊んでいたプレイヤーへノスタルジーを喚起する目的と、「全てのプレイヤーが勇者である」という、主役の所在を観客に投げることで、ひとつの没入感の演出とする目的があると思います。

しかし、これらを狙うなら、全てのストーリーが完結したあとに、そこから引き絵にしていって、「実は今までのは画面の中の物語でした」って見え方にしたのち、物語の主人公と同じ顔のプレイヤーがドラクエVをやっている……みたいな見せ方をすればよいわけで、もっとリアルを描きたければ、そこから更に「画面の外の話」に少し尺を取れば済む話です。この展開だったらエモいですよ……素直に「そういう少年期(青年期)を自分も送ったな」って思えますし、「プレイヤーそれぞれが勇者として物語を紡いでいたんだ」という感じ方・受け取り方になります。

結論この「山崎貴」という監督自身、ドラクエに思い入れが無い

こんなインタビュー記事を見つけました

記事を読む限りこの監督、ユーザーへの取材(?)はしていても、ドラクエが好きでもなければ、遊んでもいなさそうです。

妙に腑に落ちました。

彼が言う「思いついてしまったアイディア」とやらに、作品に対するリスペクトも何もない理由が解ったからです。彼が見ていたのは、「ドラクエ」という作品ではなく、「プレイヤー」でした。もっと行ってしまえば、彼は「プレイヤー」しか見えていないので、プレイしていたゲームが「ドラクエ」である必要もありません。「思いついてしまったアイディア」について、着想と作品に何ら因果関係がないのです。

ストーリー性があって、ある程度プレイ人口が多いデジタル作品、それぞれの思い出が共有できる作品であれば何でもOKです。FFでもヴァルキリープロファイルでも、アクトレイザーでもポートピア連続殺人事件でもいいわけです。

映像を作っていたスタッフはドラクエ愛に溢れていたかもしれませんが、肝心の監督がこれでは良い作品になるわけもなく。せっかく映像に音楽に頑張っていたのに、最後に監督が原画に落書きしたレベルの酷い作品になってしまいました。

また、前述した声や演技に対するアンサーもこのように書かれています

「実写でもできるような方たちを集めたかったんです。プレスコという方式は特殊で、役者さんが作ってくださるものにすごくインスピレーションを受けてキャラクターやアニメーションを作っていくんです。だから、実写で撮ったとしてもちゃんと見られるようなお芝居が欲しいんですよ。プレスコの収録を見ていたことが、のちにCGに影響を与える出発点になるので、そういう意味で役者さんでやりたかったんです」

じゃあ実写で作れ。

おっと、また口が悪くなりましたが、そうとしか言えません。

あくまで声だけ、せいぜい表情までで、佐藤健さんや、有村架純さんが実際にあのシーンやアクションを身体を動かして全て演じたわけではないんでしょ?結局動きは他のキャストの動きを参考にしたり、或いは想像で起こすでしょうから、監督のインスピレーションを想起させるって目的はもっともらしく聞こえますが、インスピレーションの想起に使った素材を、そのまま作品に使う必要ないじゃないですか?

どうしても、そのインスピレーションとやらが必要なら、豪華俳優陣はレコーディングだけしてもらって、監督のインスピレーションを刺激したのち、本編は本職の声優さんに吹き込んで貰えばいいんじゃないですかね?

まだ「プロモーションのために起用しました」って正直に言われた方が好感が持てます。「ドラクエを知らない人にも見て欲しくて。ファンの方すいません。」なんてオマケもあれば完璧です。俳優さんたちに失礼なので絶対に言わないでしょうが……

結局、観客から見た「ユア(山崎貴の)ストーリー(偏見と妄想)」

この監督の思惑は、神の視点からの「ユアストーリー」というつもりだったのかと思います。「ユア」が指すものは「個々の観客」のつもりだったんだろうなと。

しかしながら、結局はこの監督の「思いついてしまったアイディア」とは、ゲームをプレイしていない人間視点から、プレイしている人間を見て「お前らこうだっただろ?懐かしいだろ?」って偏見を押し付けるだけのアイディアなので、プレイヤー(観客)のストーリーではなく、「監督が妄想するプレイヤー(観客)のストーリー」つまり、監督の「マイストーリー(妄想)」でしかありません。

「このくらい衝撃的にしないと作品として面白くないだろ」って監督は思っているかもしれませんが、「ドラクエ」は素材だけで充分面白いので、その面白さをちゃんと見せてくれれば十分です。ドラクエという作品は、日本のRPGにおける「王道の型」を作り上げた作品です。全編通して王道で構いません。奇策は必要ありません。

「仮想空間でウイルスと戦う」という一部分だけ切り取って「サマーウォーズ」はどうなん?なんて言われるかもしれませんが、あれはオリジナルの作品で最初からウイルスが敵として存在するからいいのであって、いい加減2時間近く経過した後、観客が没入した世界に突如、観客の意識の外にあるウイルスが現れて暴れたわけではありません。

インタビュー中に「人(制作陣)の人生を3年削ってしまう作品」みたいな記述がありますが、他人の人生を3年削るなら、自分の人生を1年削って実際に1~11のナンバリングタイトル全部プレイして、5を10周回して欲しかったと思います。「ドラクエ」というものが、なぜユーザにとって「トクベツ」なのか?その片鱗だけでも、実際にプレイして感じ取って欲しかったと思います。

「ドラクエVではなく、ユアストーリー」とか言ってる場合じゃない

SNSの反応を見ていると「これはドラクエVではなく、ユアストーリーだから……」ってものをよく見かけますが、前述したとおり、そんなこと言ったらドラクエじゃなくても女神転生でも逆転裁判でもいいわけで、これを言うなら、ターバン巻いた主人公が、ゲレゲレ連れて、ビアンカと結婚して、勇者産んで、天空の剣で戦わせてはダメなわけで。これはビジュアル面で間違いなく「ドラクエV」なわけです。現実逃避したいのは解りますが、この映画はタイトルにいくらユアストーリーと書いてあろうと、映像や音楽の99%、ストーリーの90%が「ドラクエV」なわけですから、ドラクエVとして評価するべき作品です。

これも何度も言うようですが、別に「これはゲームでした」ってオチが悪いとは思いません。その描き方はいくらでもエモーショナルな描き方ができます。むしろ大好物です。

「プレイヤーみんなが勇者なんだ!ドラクエはユアストーリーなんだ!」

いいじゃないですか!みんなそう思っているからゲームソフトを購入して、寝る間も食事の時間も惜しんでエンディングまでストーリーを追うわけです。ゲームをやっている間は間違いなくプレイヤーは勇者体験をしていて、それを楽しんでいるんです。

あんたに言われなくても分かってるよ

ってやつです。
にもかかわらず、勉強してもなかなか割り算が出来ない子供に、計算間違ったら通電するような、そんな力業でなぜ「思い知らせてやろう」とするんでしょうか?

ラスト以外は本当に評価すべき点の多い映画でした。それだけに、間違った方法で「ユアストーリー」を観客に投げ込む行為が残念でなりません。

恐らくやらないでしょうが、映像ソフトで販売する際には、「ユアストーリー」を活かした形で、ラストを大幅に修正して欲しいなと思います。

切に願います。

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