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経験は必ず価値となるーー永冨真梨先生インタビュー

 「自分の経験を学術的に考え、発信することが社会貢献に繋がるかもしれない」。2022年度より関西大学社会学部メディア専攻の助教に就任した永冨真梨先生は、恩師キャビン・キャンベル博士に出会い、こう気づかされたという。シンガーとして音楽活動をしながら、大学でポピュラー音楽を研究する背景には、風変りな過去が隠されていた。

永冨真梨先生

 学生時代は「ビルボードチャートの20位くらいまでは頭に入っていた」と語るほど、アメリカ音楽に熱中していた。また18歳のときには、父の研二さんが経営するカントリー音楽バーで歌を披露し、「音楽」とともに過ごす日々を送っていた。
 その後本格的にプロを目指して、さまざまな挑戦をした。「おじさん世代が多いカントリー音楽界では珍しい、20代という若さを売りにできたら」とバンドを結成。数年間活動したのち、カントリーシンガーを夢見て渡米した。花開くことはなかったものの、帰国後は京都のレコード会社でアルバム収録に取り組んだ。しかし、収録が完了した直後に「データを渡すにはお金が必要だ」と裏切られ、気持ちは落ちてしまったという。
 次に進んだ道は、研究職。「思い立って決めた」というが、これこそが人生の転機となったと言っても過言ではない。同志社大学大学院に入学して、恩師とめぐり合ったのである。キャンベル博士の「今までの経験を振り返り、学術的に考えてみたらどうだ?」という一声が、真っ暗だった世界に灯りをともした。
 ポピュラー音楽を多角的に研究することは、音楽やアメリカ社会の面白い視点の発見に繋がった。また自身の経験も踏まえて行うこの研究は、文化を通して越境する人たちにフレームワークを与えるきっかけになり得ることにも気づいたという。「カントリー音楽は保守的、白人文化というイメージが根強い。しかし、その構造を学術的に捉えることによって世界各国の多様なリスナー像が見えてくる。実は、マルチカルチャーなのだ」と嬉しそうに語った。
 永冨先生は、壁にぶつかりながらも強く生きたその経験がある。二足の草鞋を履く姿は実にたくましい。(執筆:足立陽菜、写真:緒方夏来)