今日のアウトテイク#169「コワーキングもまたクリティカルな精神に基づく社会運動のひとつ」(2024-05-05)
<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
コワーキングはカツドウであり社会運動のひとつ。
#今日のBGM
#今日のコトバ
#先に手を動かせという話
昨日やったことが、ずっとやらなければならなかったことの扉を開いた。
あー、そっか、そっちからやればいいのか。
なんで気づかなかったかというと、手を動かす前に考えてたから。
手を動かしてから考えると勝手に道は開ける。
案ずるより産むが易し。
そういうことね。
#まだ、使えない(個人の感想です)
テキスト作成にいろいろ試してみてるが、AIはまだやっぱり使えない。
当たり障りのないことを書くかと思ったら、根も葉もないデタラメをさも本当みたいにしれっと書いてくる。
こっちに予備知識がなければチェックできない。
油断も隙もない。
そもそも何も知らずに書いてるから当然といえば当然。
それに掘り下げどころが平凡で、着眼点にユニークさがない。
その話のどこが面白いかがまるで掴めない。
学習能力はあるかもしれないが、型にハマった常套句が並ぶ。
どこかで聞いたような話に擦り合わせてくる。
言葉は滑らかだが、極めて退屈な文章が熱量なく続く。
全然響いて来ないし、入って来ない。
それを下敷きにして添削するように編集して原稿にできるかなと思ったが、これなら音源聴きながら自分で書いたほうがよっぽどいい。
そのほうが速いし、書いてるうちに気づいていなかった大事なことに気付ける。
その気付きの機会を失うとオリジナリティがなくなる。
自分の名前で書く限り、それは避けたい。
使えるのはせいぜい要約、構成、タイトル、小見出しぐらいか。
自分の指示の出し方が稚拙であるからかもしれないが、もう少し性能が良くなるまで、自分でコツコツ書いていくことにする。
まあ、それが判っただけでもヨシとしよう。
#コワーキングとはつまり、バンドだ
担当部分を切り分けて個別にやったものを一気に合体して完成させるより、メンバーそれぞれがある程度までできてる素材を持ち寄り、それから全員でああでもないこうでもないと言いながらひとつの形にしていくほうが性に合ってる。それは、若い頃、そうやって演奏曲目を仕上げていったバンド経験のせいだとふいに気づいた。しかも、それで完成とはならず、当日、ライブに出ているその時にオーディエンスと一緒になって作る空気の中で完成を見るような、そんな作り方。考えてみれば、コワーキングもそんな感じでやっているし、完成型はない。毎日が創作途中であり、自分もコワーカーだし、コワーカーたちとの共創でコワーキングはコワーキングになる。そう、コワーキングとはつまり、バンドだ。
#コワーキングもまたクリティカルな精神に基づく社会運動のひとつ
とても示唆に富んだ記事を読んだ。一読をオススメする。
顧客が得をするようなものを何一つ提供せず、自社の哲学に基づいて「社会はこうあるべきだ」という批判的=クリティカルな提言をする企業が成長している、という、これまでのマーケティングのセオリーを覆す話。
ビジネスに限らず、世の中のいろんなシーンで、消費者に求められているものではなく、消費者を導くものが賛同を得るようになりつつあると、ぼくも感じてるところなので腹に落ちた。
「買い替えるよりも修理しよう、そうすれば製品のライフサイクルも延ばせるし、廃棄物の削減にも貢献する」というのは、『修理する権利を取り戻す』ことであり、フェアフォンの創業者が言うように「社会運動」だ。
それを筆者は「社会運動としてのビジネス=クリティカル・ビジネス」と呼んでいる。
そして、ここに挙げられたクリティカル・ビジネスをする企業が大きく成長したのは、「ターゲット市場を特定し、市場に存在する問題を見つける」のではなく、「市場に存在しない大きな問題を、企業の側から生成することに成功したから」に他ならないと説く。
つまり、提案だ。
そして、最もビビビときたのはここ。
ここでぼくのアタマの中で信号がチカっと点いた。
ぼくらがやっているコワーキングというカツドウもまた、働き方、生き方を変える社会運動の一つであり、それは「こうしたほうがいいんじゃないの?」というクリティカル精神の表れでもある、と思ってる。
コワーキングというもの自体がひとつのパラダイムであるし、これまでになかった価値を提案している。
そして、かねがねコワーキングとは運営者と利用者がひとつとなってコミュニティを構成する、そこで人と人がつながってコトが起こり、支援を得て実現に至る、そういう仕組み、装置であると言ってるが、つまりコワーキングに集う皆んなは「社会運動を一緒に担うアクティヴィスト」であるということだ。
まあ、さっき、「コワーキングとはつまり、バンドだ」と書いたが、それとも通底する。要するに、皆んな、バンドメンバーだと思う。
そして、最後にこうある。
あともう少しでユーザーテストを開始するアプリ「cosac」も、「誰もがその時点では考えもしなかった未来像を提示する」ものになると思ってる。すんごい大げさに聞こえるかもしれないが、マジで思ってる。
そのことは、その時が来たらまた書こう。
ということで、今日はこのへんで。
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