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『異常論文』所収「場所(Spaces)」制作秘話ーー笠井康平の視点で

※プロモーションを含みます。

早川書房から刊行される文庫『異常論文』に、樋口恭介さんとの共著「場所(Spaces)」が収録されます。これほど話題になるとは思っても見ませんでした。ありがたいことです。

企画の成り立ちや発売前の反響はすでにあちこちで語られていますので、ここには僕の視点からみた制作秘話を書いておきます。フリーハンドで書きます。何を話そうかな。

まだご存知ない方に向けて書くと、笠井康平は東京都在住の会社員です(参照)。いぬのせなか座から刊行された『私的なものへの配慮No.3』が代表作でしょうか。「作家の手帖」編集長を名乗ることもあります。

最近書いたのは、舞台美術としてのテキスト(URL)、現代短歌の自然言語処理(URL)、文化経済学/文化政策のエッセイ(URL)、審査結果と講評(URL)、現代演劇・写真プロジェクトの事業計画・レビュー(URL)、個人撰集の書評(URL)、文体分析レポート(URL)などです。いろんな文章をじぶんなりに書いて、新しさを見つけようとしています。

樋口さんとは、さっき数えたら、もう十年来の友人でした。今作との主題的な関わりだけでいっても、「ニュー(ロ)エコノミーの世紀」第2部「バビロン」(URL)で拙著を引用したり、公募賞に推して(URL)くれたりと、折にふれて気にかけてくれます。いいひとだ。

今回のきっかけはこちら。

ひょんなことから「天才役」に抜擢されて、その役作りに励む俳優の気持ちがよく分かりました。ベネディクト・カンバーバッチはかっこいいですね。

先に打ち明けますと、今作の詳しい執筆プロセスは明かせません。半日近く考えたすえに、できごとの核心にふれずに書けることがほとんどないと気づきました。

それがなぜかはお読みいただけたら分かります。残念ですが、仕方ないですね。代わりにふたつのことを書きます。ひとつは樋口恭介について。もうひとつは笠井康平について。

樋口恭介は、確率的に決定可能な未来に向かって、時間の流れが線的に収束するビジョンをたまに描きます。その感覚がよく表れている(と僕が思う)のは、『未来は予測するものではなく創造するものである』収録作のひとつです。

視点者は、スペキュラティブなフィクションを、作中人物が介入・操作しうる、演算可能な、複数のシナリオのアンサンブルとして目の当たりにする。願望に根ざした可能世界や、後悔に苛まれた反実仮想、いきなり世界が滅びる不安などではなく、やがてくる当然の結末を、平然と待ちかまえるように。

その裏返しで、「永遠/ずっと続く/終わらない/くり返す」という構造にもこだわりがありそうです。円環や螺旋、自己増殖、極大化といったパターンを孕んだ筋書きに、旬の題材がふんだんに取り入れられる。そういう書き方の例示には困らないでしょう。

とびきり雑にいえば、この作家の信条は、左でも右でもなく、上でも下でもなくて、とにかく「前へ」進むことだ、と言えるかもしれません。予見的で冒険的な演奏法。今作でもそれがしっかり発揮されています。

これらを頭に入れながら、笠井康平は今作の共著に取り組んだーーということにしてください。とくに何も考えずに、出たとこ勝負の直感まかせで遊んでいただけなので……。

とはいえ、いくつか制約は設けました。大別して6つです。

・1.ある種のテキストを書くことが禁じられたままであること

・2.樋口恭介という作家が得意とするビジョンを拡張しつつ、笠井康平の持ち味をそれなりに利かせること

・3.国際十進分類法の最上位標数である9項目のいずれかに分類できるモチーフを少なくともひとつ以上は取り入れること

・4.リテラルに「異常」「論文」であるだけでなく、後発ならではの解釈と変奏があること

・5.とある文庫解説の全文を素材に、句読点の位置を変えずに、すべての自立語を置き換えながら、それでいて文意が通ること

・6.これらの制約を示唆する書き出しの1行目を選ぶこと

「1.」は、僕のできないことを樋口さんが(たぶん、そうとは知らないまま)引き受けてくれました。助かりました。

「2.」は読んでからのお楽しみ。

「3.」は簡単でした。ふたりで最近気になることを持ち寄ったら、自然と多彩なモチーフが集まったのでした。どこに何が組み込まれているか、探してみてくださいね。

「4.」は「無断と土」(鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座))に触発されました。掲載順もあって、今作をお読みいただけたなら、僕たちのテキストが同作と似通った世界観を分かち合うように書かれていると、すぐにお分かりいただけるでしょう。

「5.」は僕が書いたところにだけ採用した制約です。そのあとふたりで改稿するなかで、全文のあちこちに溶けて行きました。だから今作のすべてがそれに従うわけではないけれど、その痕跡はそこかしこに点在していて、地層のなかの化石みたいです。

「6.」に気づく方は、日本語圏にまだ数千人しかいないかもしれません。科学論文の基本構成とオーサーシップの制度を潜脱する呼び水として、この書き出しは文章表現の戦後史から先行的に剽窃されています。

誤解を避けるために言い添えると、これらの制約はあくまで僕が僕に課したもので、樋口さんが同じようにしたわけではありません。樋口さんが「やりたい」と明言したアイデアは他にいくつも取り入れられていますし、書きながら思いついたっぽい仕掛けもちらほら見られます。

おまけに、「深く考えずにとりあえず入れてみたらなんか美味しくなった」みたいなところも少なからずあります。どこまでが作為で、どこまでが偶然なのか、傍目にはほぼ見極められないでしょう。何しろ著者である僕もそうですから。

どうぞ安心してお読みください。お気に召すまま、気の向くまま。

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