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その日までじぶんが何を「知らなかったか」思い出す――親しいだれかに「悪さ」をうつさないように(vol.1)

はじめに

14日間の行動記録をつけておくと、もしもじぶんが発症したときに、「だれに移したかもしれないか」を突き止めやすいと教わった。

だけど、いちいち覚えていられない。じぶんの生活をどこまで記録していたか。その記録は私生活をどこまで辿れるか。このテキストはその問いに答える試みのひとつであり、何よりじぶんのために、僕自身のパーソナルデータを分析してまとめたものだ。

この話は12月9日から始まり、早ければ5月6日に終わる。

SNS投稿、検索履歴、紙の領収書、交通ICカード残高やクレジットカード明細に至るまで、個人がじぶんで使える自身のデータをもとにして書いた。

医療界にはメタアナリシスといって、複数の臨床試験で得られたデータをまとめて見比べて、薬品や治療法の効果を信頼づける手法がある。その緻密さには及ばないけれど、いつかじぶんの人生を再設計すべきときに、「無責任さ」が伝染するのを「抑制する」くらいの効き目はあるだろう。

遠からず日本でも、公衆衛生を保つために、プライバシーの尊重をさらに手放すときが来るかもしれない。より正直に書くなら、僕の知るかぎり、知識が乏しく貧しいひとの勤労-消費生活は、すでに十分に、じつにあっけなく、さしたる悪気も善意もないまま、他人に明け渡されているけれど。

それは「大らかさ」なのか「気がねなさ」なのか。「騙されて」いるのか「信じて」いるのか。情報技術の進歩の速さと、人々の倫理観の変わり映えのなさを知れば知るほど、見分けがつかなくなる。

潔癖なじぶんが猜疑心を募らせているだけならいい。それでも僕は私的なものへの配慮を失いたくない。頭ではそう考えながら、でも僕は、監視資本主義に私生活が支配されると心配できるほど、じぶんの生活を管理し、測定し、推定し、操作できていないのだった。

(12月)僕はまだ何も知らない。

原稿をふたつ仕上げた。サイゼリヤは混んでいた。1軒目に『群像』を忘れた。2軒目で知り合った子と始発までうちで眠った。ペットボトルの紅茶をポケットに入れて、お腹を温めながら「配置された落下」を観た。吉祥寺は混んでいた。下北沢でゆず茶を飲んだ。さすがに疲れて、さっきまで寝ていた。(2020/12/9)

湖北省武漢市で最初期の感染者が出たと「認められた」のは12月9日だという(出典: URL)。患者は海鮮卸売市場の労働者だった。12月16日に市内の救急病院に搬送された。22日にマイクロRNAシーケンス分析ツール「MapMi」で得られた検査結果は、病院内でも口外が禁じられた(出典:URL)。

WHO中国オフィスは原因不明肺炎(pneumonia unknown etiology)が発生したと12月31日にWHO本部に報告した(出典:URL)。前日の通達で、武漢市保健委員会は27人の発症を見つけ出したと報告している(出典:URL)。武漢市に務める複数の医師たちが、グループチャット微信(wechat)で知人たちに警鐘を鳴らした日だ。

艾芬医師が李文亮医師らに「検査結果の報告書を撮影した写真」を送信した。赤いペンでぐるりと丸つけされた「SARS冠状疾毒, 铜绿假单胞菌, 46种口腔/呼吸道定積菌」。病原体の特定はまだできていなかった。けれどもすでに「SARSコロナウィルス検出」の「疑い」が報じられていた(出典:URL)。

僕はまだ何も知らない。数回の食事会があり、取引先を訪ねる合間に喫茶店で過ごして、クリスマスにはパスポートの発券を済ませている。話題にしていたのは、グローバル多次元貧困指数、経済白書、TikTokのプライバシーポリシー、服装改善運動、サーデグ・ヘダーヤト『盲目の梟』、「電子商取引及び情報財取引等に関する準則」、BBCによる英国党首討論の即時ファクトチェック、「キスマイ古参からみたSixTONESについて」。

(1月上旬)僕はまだ何も知らない。

際限ない人物消費の桎梏から自由でいるためにも、ワーク(作品)ライフ(人生)バランス(均衡)を大切にしていく。そういう文化圏の作り上げが求められている気がするんだ。(2020/1/2)

1月1日に華南海鮮卸売市場が閉鎖された。武漢市保健委員会は3日に、新たに44人の発症を確認し、121人の濃厚接触者を特定したと公表している(出典:URL)。5日にWHO本部は、専門家向けの流行発生ニュースで「原因不明肺炎:中国」を初めて取り上げた(出典:URL)。WHOへの報告で、武漢市保健委員会は「卸売の魚や野生動物」への動物感染を疑っていた。

これを受けて、台湾政府は4日に警戒レベルを「レベル2:厳重」に引き上げ、空港や高速道路での体温測定などを強化した。日本では厚生労働省が6日に渡航者へ注意喚起を行った。この時はまだ「感染経路:不明。ヒト-ヒト感染の明らかな証拠はない」と報告している(出典:URL)。国内大手紙が「原因不明の肺炎」と報道したことで、中国の旅行経験者/滞在者が不安を語り始めた。

厚生労働省検疫所は、平時から、空港国際線到着ロビーにサーモグラフィなどを設置して、日本に入国するすべてのひとに発熱の有無を検査する。この頃から国際線の検疫所は、「現行の検疫体制を維持」することに加え、「ポスター掲示」や「Webサイト掲載」での情報発信を行った。武漢市では搭乗前にも検疫があったという口コミもある。東京オリンピックの開催に備えた、入国前審査の実施が少しずつ進んでいたようだ。ただ、「潜伏期間などで症状がない場合には感染者を見つけることは難しい」(出典:URL)。

10日には国立感染症研究所と国立国際医療研究センターが連名で、医療従事者向けの指針を公表した(出典:URL)。発熱と呼吸器症状があり、曝露歴を満たす患者の鑑別フローを示した。インフルエンザなどのすでに知られた疾患と切り分ける検査を行い、疑似症例ガイドラインを参照したほうがよい、と。指針は注意を呼びかけた。検体採取でエアロゾルが発生し、空気感染するリスクがある。医療従事者にはN95マスクを、患者にはサージカルマスクを着けるように。軽症者は「咳エチケット・手指衛生の指導をしたうえでの経過観察」とすること。

7日には中国疾病預防控制中心(国立感染症対策センター)が、新型コロナウイルス株の分離に成功する(日本では国立感染症研究所が1月31日に成功)。11日(または12日)にはゲノム配列情報が中国からWHOに提供され、ドイツの遺伝子データ共有パートナーシップGISAIDを通じて共有された(出典:URL)。

武漢市保健委員会は、この日初めてこの病気を「新型コロナウィルス肺炎」と呼んだ。症例41人、うち退院2人、重症7人、死亡1人。濃厚接触者739人、うち419人が医療関係者だと報告した(出典:URL)。

僕はまだ何も知らない。貸切されたラブホテルでe-sportsの海外事情を学び、旅先で新しい外套を買い、東京スカイツリーの隣接施設でたくさんの肉を買った。青山シアターとユーロスペースで1本ずつ映画を観ていた。2本目を観ているとき、クライマックスでひどい吐き気がして、苦行のようなラストシーンを迎えたのだった。

「日本病」と名づけられた市場経済の明らかな後退見通しに暗くなりながら(出典:URL)、5年目に入った極私的な自粛が解ける、5年後の未来を想像していた。話題にしていたのは、機械学習ボーイ、企業価値評価、さよならテレビ、ノンアルコール月桂冠、保育士Youtuber、サボテンの育て方。Woven City, Ancestors, Meaninglessness, know to know, Don't disturb day.

(1月中旬)僕はまだ何も知らない。

ほんとうの銀座線乗り場を教えてくれる看板(2020/1/16)

日本では1月15日に国内1例目の発症が確定し、16日に厚生労働省が公表した。武漢市に滞在歴のある30代の男性だった(出典:URL)。積極的疫学調査によって、彼の濃厚接触者38名は特定され、本人も月末に全快した。その後も数人の感染者が出た。全員の渡航履歴と濃厚接触者が洗い出された。

武漢当局は1月20日に「ヒト-ヒト感染」を公式に認めた。「萬家宴」の2日後のことだ。武漢市で20年ほど前から始まった、春節を祝う一大行事で、感染源の市場にほど近い集合住宅地「百歩亭」をはじめ、武漢市内で4万人近くが参加した。これは東京ドームツアー1回分の収容人数に相当する。

1月22日にWHOのテドロス事務局長が招集した緊急委員会は、この流行が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(POEIC)」だと宣言する合意形成に至らなかった。最初期の検査報告から4週間が経っていた。1月20日に198人だった感染者数は、7日後には2,744人に急増した。事態を察した多くの市民が慌てて逃げだしたあと、1月23日に武漢市で都市封鎖が始まった。24日にはジョンホプキンス大学で中国出身の学生2人が「COVID-19ダッシュボード」の公開を始めた(出典:URL)。このとき僕はこの病気を知った。

(つづく)

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