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2020年の24作品と600枚

はじめに

小澤みゆきさん(@miyayuki777)が作成した「文芸 Advent Calendar 2020」に参加しました。ぼくの前出番は或人/らっこさんで、後出番は結果オーライさんです。

12月8日担当のこの記事は、なんだか最近いつもだれかを責めて止まない世間の声から、ほんの少しだけ無縁でいることの試みです。生まれて初めての挑戦です。2020年12月はもう二度と訪れませんからね。きっと明日は東京で雪が降るでしょう。それが何年後かはさておき。

前半でぼくが「2020年に何を読んだか」を、後半でぼくが「2020年に何を書いたか」を伝えます。この対比は、移り気なぼくの実感をきれぎれに要約しながら、ありふれた特別さに満ちたこの時代の気分を、低解像度で探知するのかもしれません。その期待はわずかながらにあります。

何を読んだか

ふだんの日々にさほどの作為はないのに、その足あとをふり返ると、じぶんが一貫して何を望んでいたのか不意に分かる。それは幸福な思い込みです。きっと明日からの指針になるような。

文芸作品とは何かを考えるときりがありません。ともあれ、2020年のぼくが「読んで良かった」「文芸だと思ったもの」は、4つのことを学べる諸作でした。A.スタイルの更新、B.ナラティブの研究、C.シナリオの洗練、D.ポリシーの点検。

――とか書くと、雑多な乱読の軌跡にうっすらとコンテクストが生じて、ふしぎと秩序だってみえてくる。文脈の編集といえばそれらしいけど、これも一種のセルフケアなのでしょうね。冷蔵庫の在庫整理のように。

A.スタイルの更新

日本語圏でIoT(モノのインターネット)は、ひと夏の花火のように消費されてしまいましたが、ウェブ空間には「正義の言葉」「違法な言葉」「機械の言葉」の3つが混在して流通するようになって久しい気がします。人々の文章のスタイルも変わりました。ネット文化も奇異性を失いましたね。

【A-1.礼賛でも、軽蔑でもない未来】
・ダークウェブ・アンダーグラウンド:まだそこにないユートピアを探して
・NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方:インターネット壮年期の始まり
・機械翻訳と未来社会 -言語の壁はなくなるのか:この世にポライトネスがある限り

撮影技術のさらなる民主化は、通信ネットワークの大容量化・超高速化に支えられながら、記録映画史のあちこちに残る伝説を、意図せず/狙って反復する身ぶりに市民権を与えてきました。この流れはもう止まりません。

【A-2.撮影のいま・むかし】
・ビデオで世界を変えよう:フワちゃんの始源
・日本ドキュメンタリー映画全史:追憶のドキュメンタル・ワーク
・YouTube放送作家 お笑い第7世代の仕掛け術:お年寄りにも分かる書き方

B.ナラティブの研究

「話すこと」と「書くこと」の技術は、ふたつの局面でさらに近づき、融け合い、再構成されるのでしょう。ひとつは「画面入力」の精度を高める方法として。もうひとつは「他言語を学ぶひと」の内面を束ねる規律として。

【B-1.文芸と話芸を分かつもの】
・言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか:題名(フリ)と目次(ボケ)と本文(ツッコミ)
・ツカむ!話術:卓越したイージーリーディングによる物語批判序説
・ほしとんで:親密さが添削を成り立たせる

さまざまな人格(声)を思い通りに設計し、保存し、召喚して、操作する腕前は、虚実の被膜で遊び足りずに、虚構の向こうを突き抜けて、再強化された事実として、ぼくたちの目の前を平気で通り抜けるようになった気がします。友だちの幽霊みたいに。

【B-2.ひとり芝居、だれかの声】
・浜野矩隨:アーティストはなぜ貧乏なのか
・トーチソング・エコロジー:ゴースト・憑依・成り上がり
・ウォーターフォールを追いかけて:たくさんの孤独がみんなで夜更かし

C.シナリオの洗練

「最悪じゃないけど、もう無理。」くらいの絶望に敏感なフィクションが、各地で人気を集めていました。個人を脅かす災厄は、社会を支配する原理への怯えを強調していて、国際社会そのもののストレス耐性が試されるこのご時世にはふさわしい娯楽だったのだろうと想像しています。

【C-1.ずっと死ぬ。だから死なない】
・はちどり:奈落へ向かうトンネルを、ジェットコースターに乗って
・チェンソーマン:血だらけの純情、さみだれの絶望
・マイ・ブロークン・マリコ :弔っても弔ってもまだ思い出

背負うべきものが多すぎて、だからかえって、受難の歴史を引き受ける姿に、新しい英雄の偶像を見い出したくなる。そのふるまいに凡人として共感して、応援して、嫉妬して、うんざりして、飽きあきして、憑きものが落ちたように癒やされる。そういう物語消費のパターンが目につきました。

【C-2.大舞台に立つ、運命を背負う】
・NHK大河ドラマ「いだてん」完全シナリオ集:サブカルの老い方、スポーツ・ビジネスの夜明け前
・アクタージュ:物語がもて余すほどの天才俳優
・フリー・コミティッド:役をこなす、果たす、演じる


D.ポリシーの点検

アーキテクチャ万能論も、アルゴリズムへの幻想的な期待も、都会ではすっかり廃れて、古い価値観にすがって生きるひとたちをたぶらかしに向かったようです。持続的なシステムとして文化を保護するのには、やっぱり「パワー」と「ファンタジー」がなくてはならないのだけど、やっぱりどちらも劇薬で、その取扱いをめぐる諸注意の大合唱が騒々しい年でもありました。

【D-1.選抜システムの盛衰史】
・宝塚歌劇団スタディーズ―舞台を100倍楽しむ知的な15講座:団体芸術の分析はチーム戦で
・勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇:制度化された青春の勝ち方
・後鳥羽院:政治と恋愛を癒着させて、文化の終わりを生きる

ポリシー、ポリシー、と言い続けてきた気がします。「セルフポリシー」「じぶんルール」「自戒」などと使い分けて。もう何年も前から「自前」の「自粛」を「自身」に課してきた身として、世間は、無策な公共の擬制にあっさりと侵される程度の規範しか持たなかったのかとがっかりしました。

【D-2.セルフポリシー・メーカーズ】
・わたしの服の見つけかた:心身ともに健康な、じぶんルールの運用法
・十六夜日記・夜の鶴:晩節のコンテンツ批評は信仰と見分けがつかない
・ユリイカ-詩と批評 特集:女オタクの現在-推しとわたし:一押しは「花道が続いていなくても」

何を書いたか

ざっと数えたところ、2020年は約24万字(600字)書いていました。執筆時間をあまりとれなかった気がしていたのだけど。この調子なら来年も数冊分は書けそうです。この事実はぼくをいくらか勇気づけました。

ひと言でいえば、2020年のぼくは、鳥瞰のすばやさと、やわらかな達観を追い求めていたのでしょう。技範囲の広さへの関心も見られます。とにかく多様なテキストを書こうとしている。

■未公開か、内密に書かれたもの

4月にぼくはこう書いていました。

それから半年以上が経ち、ゆっくりですが、書き進んではいるようです。

【「10日間で作文を上手にする方法」】
・本文(全12回×各5千字のうち、5回分。現2.7万字)
  ・「生きるために書く」ブラックライティングの文章術
  ・「情報リテラシー」はだれがその警鐘を鳴らすのか
  ・いつか必ず老いていく、大人の読み書き能力とその指標
  ・ウェブメディアが増やした「書き手」のすそ野
  ・いつかきっと必要になる、50歳からの「じぶん」再教育計画

自作もじつに順調です。進捗がいまひとつなことに目をつむれば。あと4年で本当に書き終わるだろうか。

【自作の小説】
・全25編のうち、書けるところから。現3.5万字
  ・雪国の夏を舞台にしたもの。2.3万字
  ・2035年・日本を舞台にしたもの。5千字
  ・母親の復職から始まるもの。4千字
  ・疲れきった知能労働を扱うもの。3千字

■公表予定で書いたもの

いくつかの出会いに恵まれて、じぶんがテキストを読むときのものさしを、どこまで多機能・高品質にできるか試していました。ひとりでは出来ないことも、みんなでやればできるかもしれないと分かりました。

【アーティフィシャル・クリティークの試み】
・インディー出版された短歌集を、自然言語処理を用いて読解した読書感想文(7.3万字)
・鎌倉時代の歌学書(いまで言う文芸批評)を扱った研究書の書評(4千字)
・現代アートの展示・催事のステートメントの文体的な特徴を指摘した報告文(お蔵入り)(4千字)

記録された事実に誠実でありたいとも思いました。改竄・隠蔽は論外であって、誤りを誤りとして残す覚悟が揺らぎそうになったとき、じぶんの良心に激しい痛みが生じるくらい、つよい想像力を鍛えておくべきだろう、と。

【新現実主義宣言に向けて】
・日本の舞台芸術の産業動向を知るための統計調査やデータの紹介文(1万字)
・新型コロナウイルス感染症(COVID-19)日本上陸までの経過をたどった日記(3.7千字)
・複合芸術プロジェクトの事業計画書(1万字)、業務委託契約書ひな型+仕様書(2万字)
・複合芸術プロジェクトのステートメント、論点整理、あらすじ(総計1.5万字くらい)

強弁や言い訳やはぐらかしではなくて、明らかにだれかの役に立つ言葉というものはあって、その一角を担う用意が整ってきたという自覚があります。誇りと責任の芽生えというより、無名ではいられないことへの諦めとして。

【続・リテラシーはなぜ争うのか】
・「10日間で作文を上手にする方法」の質問応答(3.6千字、4.3千字、6千字、3.5千字)
・短文競作大会の判定結果をまとめた選評(7千字+7.5千字)
・次のディファイアンス・キャンペーンに向けたコンセプトサマリー(2.4千字)
・もうすぐ情報解禁されるという、芸術による文化と経済をめぐる2篇のテキスト(2.4万字)

来年に向けて

こうしてみると、「僕が読んだもの」は、時代のうねりを折々にとり入れたわりに、「僕が書いたもの」の仕上がりは、どうみても「僕が書いた」としか思えないものばかり。じぶんがひとりの作者であることからは、どうやら逃れられないみたいです。仕方ないですね。

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