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茶化しているわけではない(#1 茶)

茶についての本として『茶の本』という本がある。茶化しているわけではなく、本当にある。岡倉天心という明治期のお偉いさんが書いたもので、茶を引き合いに日本人の美意識について論じている本だ。その一節にこうある。

茶には酒のもつ尊大さはなく、コーヒーのような自意識もなければ、ココアのような気取った無邪気さもない。

酒、コーヒーの次は、ココアなのかという疑問はさておき、それなりにうなずけるところがある。酒には尊大さがあふれだし、コーヒーには自意識がにじみでる。若さゆえの愚痴と気炎を吐くにはビールで研がれた喉が必要であり、太宰などを読みふける大学生には深入りの珈琲がよく似合う。決起の杯が緑茶ハイでは締まらないし、コーヒーハウスがティーハウスだったら平民にシチズンシップは芽生えなかったかもしれない。たしかに茶は尊大でも自意識でもない。無邪気さでもなさそうだ。そうやって消極的に語ることは難しくない。でも、ところで、茶は何で「ある」のだろう。

「茶」というテーマを与えられてから、そのことをぼんやり考えている。先に投稿されたお茶に囲まれた川根に長く住まれている方たち(その中にはお茶農家さんもいた!)の文章を読みながら、はて、去年川根に移り住んできただけの、とくにお茶に親しんできたわけでもない自分にとってお茶とはなんぞや、とそんなことをぼんやり考えている。

祖母のことが頭に浮かんだ。「茶でも淹れるかな」それが、ひとつの予定ともうひとつの予定の合間の常套句である。お湯を沸かす。椅子に腰かける。急須に茶葉をふた掬いほど入れる。お湯を入れる。しばしの間がある。急須をかたむける。透明だったお湯が、ほんのり新緑に染まって、湯呑を満たす。それを飲む祖母の顔はしあわせそのもの。しわが緩み、ほっと一息。「容易じゃないね、まったく」。たいてい祖母に付きあう形で、私もお茶を飲んだ。私の茶の思い出といえば、おおまかに言って、まぁそれくらいである(ちなみに茶といっても緑茶の話をしている)。

川根に越してきてから思い出は層を重ねつつある。初めて川根を訪れたとき―それは旅の最中、正月のことだった―、冬のやわらかい夕陽につつまれた茶畑が大井川鐡道の車窓のなかで後ろへ後ろへと飛び去っていった。そして翌朝の茶畑と朝霧。近づけば深緑の葉にきめこまかい霜が降りていた。越してきてから川根茶をいただく機会も多い。くわしいことはよく知らない。適切な語彙もない。でもとにかく「ウマッ」と思った。一煎目のコクは驚きだった。そういうお茶はいままで飲んだことがなかった。あるいは少なくとも、そういう記憶はない。味わうという姿勢がなかったからかもしれない。

そして昨日(5月6日)、生まれて初めて茶摘みをした。山と山のすきま、鋭角に傾く大地に連なる新緑のうねり。透きとおったうぶな新芽が風になびいていた。茶農家の二人が茶刈り機を持ち、私はその袋持ちとして付いて回った。エンジンが盛んに回転し、刈った茶葉を袋のなかに激しく吹き込んでいく。ふくらんだ袋を抱え、尾根の稜線を見上げながら、なぜかふと、グアテマラのことが頭に浮かんだ。記憶ではない。想像だ。あるいはなにかの雑誌で、写真によって見たことがあったのかもしれない。いずれにしても茶畑に重ね合わされたのは次のような光景、あるいは匂い。どこまでも続いているコーヒーの木から小さな赤い実を摘みとる、パナマ帽をかぶった褐色の肌の男たち。喫茶店の珈琲に帰着する商流の原点にある、世界のあちら側の泥臭さ。

しかしもちろん、私がいるのは世界のこちら側、日本である。川根本町の茶畑で新緑の茶葉を摘んでいる(実際の泥臭さにはやや欠けるかもしれないけれど)。ここは日本であり、これは茶である。私は日本人である。それが結局のところ動かぬ事実である。

茶とはなんであるのだろうか。その問いについてあえて反応するなら「よく分かりません。でもそれで構いません」(テストだとしたら目を疑う)ということになるのかもしれない。開国から150年以上経ち、いまさら文明開化でもないとは思う。そもそも散切り頭を叩こうにも、もはやそんな概念がない。なにせ「Hair We Go さあ、この髪で行こう」、なんでもありの時代なのだ。でもそんな中でも、それでも根本的には洋の香りを放つと感じられるものが、その感じゆえにしばしば人を惹きつける。未知ゆえにしばしば拙速な定義をして、憧憬ゆえにしばしばそれを張り合う。善いとか悪いとかではない。そういうものだ。異国趣味。

それとは茶は違う。はなからそこにあったのだから。私が生まれたときにはすでに祖母が生きていたように。知識がありますかと問われればたいしてない。品種の違いによる味の差など、珈琲以上に無知だと思う(珈琲だってたいして詳しくないけれど)。でもまぁそれでもいいかと思う。純粋な知的好奇心(それはお茶を味わう機会が増えたことで強まりつつある)を除けば、それ以上になるための動機が見当たらない。最初からそこにあったことに気づくことがまずは大切なのだ、きっと。

そしておかげさまで、この町に来てから、茶が、そして他のいくつかのものごとが、最初からそこにあったということに気づきつつある。深呼吸をすると顔の中央にぶきっちょだが愛すべき二つの穴が開いていることに気づくように。

かわねの生きモノ6000分の1 サエキ

サエキの生態(プロフィール)
1997年神奈川県横浜市にて、何も考えず、生まれる。2023年5月川根本町へ、何も考えていないふりをして、移住。現在、町内にて、何か考えているふりをしている。散らかった日常をいくつか切り分けるならば、本を売ったり、学校で教えたり、話を聴いて文章を書いたり、畑や木工に挑戦したりしている。ウキウキしてしまうのは「いいまつがい」、ムズムズしてしまうものは一般論。よろしくお願いいたします。