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新・間違いだらけの論客選びREMASTER 第4回 岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』ほか

※個票の一番下に掲載されている「カテゴリ単語集計チャート」について、偏差値とそれを元につくられたチャートが不正確な値になっております。現在、諸事情によりデータの再計算ができないため、準備が整い次第、正確な図表に修正する予定ですので、ご了承ください。

岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』ちくま新書、2004年

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一読した感じでは教育学者や教育社会学者などにありがちな「若い世代への差別や蔑視に無頓着な「思想的」教育論という名の若者叩き」とでもいうべきものであった。レーダーチャートでは、主成分3,4,5が大きく負の値をとり、また主成分6も若干負の値となる一方で、主成分1と2(特に主成分2)は強めの正の方向を示すというものであった。つまり、政策論と教育論、経済格差論を志向しつつ、他方でおそらく若い世代に関しては内面的な議論になるという、政策論と若い世代の「内面」が短絡的につながってしまう議論とも言える。

他方で、カテゴリー別の単語の集計では、愚痴であることを示すカテゴリー6,10はかなり定位置にある。世代論を示すカテゴリー8もやや低調であり、ストレートな愚痴や擁護論にならないような「配慮」はされているということだろうか。

ちなみに多いのは、教育論である故にカテゴリー2と、また経済格差論を反映してかカテゴリー7、政治思想系のカテゴリー9、そして文化論のカテゴリー12。

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ:学歴主義と平等神話の戦後史』中公新書、1995年

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2000年代の教育格差論の原型とでも言うべき本。レーダーチャートの形状は前掲の岩木本からカテゴリー3をさらに負の方向に歪めた感じで、レーダーチャートの中央をマイナス4に設定しているため限界突破ギリギリといったところである。

また、カテゴリー別の単語の集計でも、カテゴリー2,7,9,12が高い値を示す一方で、カテゴリー6,8,10についてはむしろ低い(特にカテゴリー6,8については下から数えて十指に入るほど)であった。特筆すべきはカテゴリー7の使用率が全体で見て2位と、後の経済格差論の書籍群よりも高く、格差論の先駆としての特徴が見て取れる形となった。

ただ、苅谷もまた、1990年代末から2000年代初頭において「ゆとり教育」批判を展開するも、やはりそういった反対言説が若い世代への蔑視を煽ったことについてはほとんど無頓着なように思えた。教育学や教育評論においてこのような問題を総括しようとする動きは2020年現在寡聞にして聞かない。

広田照幸『《愛国心》のゆくえ:教育基本法改正という問題』世織書房、2005年

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名著『日本人のしつけは衰退したか』(講談社現代新書、1999年)の著者が、当時の教育基本法改正と「愛国心」に関して批判的に考察した本。レーダーチャートでは、もっとも近い位置に配置される書籍が前々掲の岩木『ゆとり教育から個性浪費社会へ』とはなっているものの、形状は大きく異なっており、主成分3,4は負の方向を示すままだが、逆に主成分6は正の値、主成分5も負ではあるがゼロ値近辺になっている。

カテゴリー別の単語の集計では、ここまで見た2冊とそれほど傾向は変わらないが、ただ大きく異なるのはカテゴリー3の政治、そしてカテゴリー5の(主として若者の)文化に関する単語の使用率が高いことである。そのため、当時の教育系の議論の中でも、経済格差論などの視座は残しつつ、政治や文化のあり方に特化した議論として、ここまで見たような教育格差論がどうしても捨て去れなかった(主として若い世代の)内面に関する議論をある程度克服したものと捉えることができそうだ。

本田由紀『多元化する「能力」と日本社会:ハイパーメリトクラシー化の中で』NTT出版、2005年

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『「ニート」って言うな!』(光文社新書、2006年)ではお世話になりました。その本の直前に出たものだが、本書で取り扱われているのはコミュニケーション能力などの「新しい能力」が支配する教育などの危険性である。

形状としてはかなりいびつなものになっており、主成分3と5が強い負の値を示している一方で主成分2は教育論としての特徴から強い正の値であり、それ以外はおおむねゼロ値付近であった。

カテゴリー別の単語の使用率をみると、カテゴリー2,7,12が高いのは従前の通りだが、特徴的なのは家庭に関する単語を示すカテゴリー4。経済格差を生み出すファクターとしての家庭に関する議論が主成分5も負の方向に動かしているものと見られる(ちなみにこの企画では採り上げないが『「家庭教育」の隘路』(勁草書房、2008年)という書籍もある)。

本田由紀『軋む社会:教育・仕事・若者の現在』双風舎、2008年(河出文庫版を使用)

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前項と比べて時評的な要素が強い書籍。レーダーチャートを前項と比べると、主成分3と5が正の方向に押し戻された形状になっている。前項の書籍の特徴を残しつつも、より社会一般のことを語った形になるだろうか。

カテゴリー別の単語の集計でも前項の特徴を残しつつも極端に高いものは高め程度の水準となっている。ただカテゴリー9(政治思想系)については頻度の順位は大幅に下がり中程度になっている。

佐藤俊樹『不平等社会日本:さよなら総中流』中公新書、2000年

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前掲の苅谷『大衆教育社会のゆくえ』と並び、2000年代以降の格差論の嚆矢となる本。日本社会の不平等化については1998年に出た盛山和夫と原純輔の『社会階層』(東京大学出版会)でかなり示されていたが、この研究をはじめとする成果を一般向けに発表した同所はかなり衝撃を持って受け入れられたらしい。

形状としては、8年後に出る掲の本田『軋む社会』に似ているが、違うのはカテゴリー4がかなり強い正の方向に振れており、ここまで見た教育学者や教育社会学者の議論よりもむしろ経済寄りということになる(ちなみに著者は経済学者ではなく社会学者である)。また、主成分2も強く正の方向に振れており、格差論の骨格としての教育に関する議論という特徴もすでに見られる。

カテゴリー別の単語の集計も本田『軋む社会』に似ており、教育や家庭、若い世代に関する議論に重点が置かれているというのも似ている。

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