「ヤンキー」論と広告文化・消費社会論の位相(『「ヤンキー」論の奇妙な位相』まえがき&第1章)

公開にあたって

本書は、2014年に刊行した同人誌『「ヤンキー」論の奇妙な位相:平成日本若者論史9』のまえがき及び第1章として書いたものです。同書は第2章を含めた全文が『「働き方」と「生き方」を問う』、またこの記事で公開した部分が『「劣化言説の時代」のメディアと論客』に収録されております。

特にサブカルチャー左派、左派”オタク”において、「ヤンキー」論と自民党・日本維新の会への支持を無理矢理結びつけた議論が目立ちます。その議論の差別性を今一度見直してほしいと思っています(この記事は投げ銭も可能ですが、できれば同人誌を買ってください……)。

はじめに

39冊目の同人誌となります、後藤和智です。今回のテーマは「「ヤンキー」論」です。

2014年になって、現代の若年層を示す言葉として「ヤンキー」または「マイルドヤンキー」という言葉が流行しております。これは、博報堂の研究員で、若者論の著書が多い原田曜平が、著書『ヤンキー経済――消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書、2014年)において現代の若年層の新しい傾向を描き出し、このような心性を持った層がこれからの消費の主役になる、ということを説明するために使っている概念です。

また「ヤンキー」論は、2000年代終わり頃より、一部の「批評」言説においても展開されるようになっています。嚆矢となっているのが、速水健朗の『ケータイ小説的。――「再ヤンキー化」時代の少女たち』(原書房、2008年)でしょう。速水はこの本の中で、当時流行していた「ケータイ小説」における世界観に触れ、特に郊外の少女たち、そして若年層における「ヤンキー化」について述べています。「ヤンキー」というタームはその後「批評」系言説や若者文化論の中で独自の進化を遂げ、2009年には『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、2009年)という本が刊行されます(なおここには私も義家弘介論を寄稿していますが、私の論考は文化論的な色彩が強いなかで明らかに異質となっています(苦笑))。社会学の側も、『族の系譜学――ユース・サブカルチャーズの戦後史』(青弓社、2007年)の著者の難波功士が、『ヤンキー進化論――不良文化はなぜ強い』(光文社新書、2009年)を刊行しました。

そして2011年、オタク論や現代社会論などで活躍してきた斎藤環が、文芸誌『月刊カドカワ』(角川書店)にて「ヤンキー」論の連載を行い、2012年に『世界が土曜の夜の夢なら――ヤンキーと精神分析』(角川書店、2012年)を刊行したのですが、斎藤の「ヤンキー」論が注目されたのは、2012年12月に行われた衆議院議員総選挙における、斎藤の「自民党はヤンキー政党だ」という主張でしょう。2012年12月27日の朝日新聞において斎藤は、自民党が「大勝」したことについて――それまでの民主党政権における財源問題などへの説明不足や、あるいは選挙において自民党がリフレーション政策を前面に打ち出して差異化を行ったのに対し、他の政党が概ね「脱原発」を主張しほとんど違いが見えなかったことといった分析を脇目において――「気合い」や「ノリ」を重視する日本人の特性としての「ヤンキー」性が現れたから、ということを述べました。

その後、原田による「ヤンキー」論が注目されると、斎藤もまた2014年に、村上隆や與那覇潤などとの対談を収録した『ヤンキー化する日本』(角川Oneテーマ21、2014年)を刊行し、斎藤もまた自身の「ヤンキー」論を基底とする社会論を展開するようになっています。

例えば「ハフィントン・ポスト日本版」2014年3月26日配信記事「誰の心にもヤンキーはいる。」(http://www.huffingtonpost.jp/tamaki-saito/post_7189_b_5032308.html )において《ヤンキー文化の拡散ぶりは、2012年暮れに第二次安倍内閣が成立してから、いっそう顕著になったように思われる》(斎藤環[2014b])と書いております。しかし、その根拠はどこにあるのかはっきりしません。しかし、問題があるのはこの論考の締めでしょう。

あえてもう一度言う。我々の心の中には多かれ少なかれヤンキーが住んでいる。だからヤンキー的なものを嫌悪している人も、土壇場や正念場で「気合い」を入れたり、「がんばればなんとかなる」とつい洩らしてしまったりする。それほど深く日本人の感性に根付いている。それゆえに、ヤンキー性ゆえの強みと弱みを認識し、ある種の諦観をもって、日本人は自らの内なるヤンキーと向きあわねばならない、というのが僕の今考えていることである。

斎藤環[2014]

まず注意しなければならないのは、このような宿命論は、客観的な根拠に依って立たない限り、論者の主観を強制してしまうという問題があります(最も根拠があっても、主観を強制してしまうという問題もあるにはあるのですが、根拠がなかったらその問題はさらに大きくなります)。そもそも「日本人の特性」というような決めつけ自体、外部の社会構造との関係を見づらくするものでしかありません(ちなみにこれも本文中で述べますが、斎藤は「ヤンキー性」を判断する上で極めて不明確な基準を、さも客観的な基準であるかのように主張するという、おおよそ科学的には考えられないことを行っています)。

このような「日本人論」の問題点は、長い間何度も主張されてきました。文化論、社会論からの代表的な批判としては、青木保の『「日本文化論」の変容――戦後日本の文化とアイデンティティ』(中公文庫、1999年)や、船曳建夫の『「日本人論」再考』(講談社学術文庫、2010年)などがありますが、「日本人論」が読まれる背景として、「日本人」のアイデンティティに対する不安や、それを基盤として自らの特殊性を主張することなどが存在することが指摘されています。また科学的な側面からは、高野陽太郎による『「集団主義」という錯覚――日本人論の思い違いとその由来』(新曜社、2008年)において、「日本人論」にありがちな認識である「日本人=集団主義」という認識に明確に異議を唱えています。

現在流行している「ヤンキー」論は、これらの著書の中で批判的に取り扱われている「日本人論」に異議を唱えるものではなく、むしろその構造を温存する、正統な後継者と言えるでしょう。しかし、我々が注目すべきなのは、この「ヤンキー」論は、決して論客自身の足元を問うものではない、ということです。

例えば斎藤においては、『世界が土曜の夜の夢なら』においては「ヤンキー」にも、また「オタク」にも完全に入っていない存在としての自己が開示されますし、また斎藤の近年の「ヤンキー」論を基底とする種々の社会論においては、「ヤンキー」的な心性を持った「日本人」の特性を正しく知っている、という(客観的研究や証拠が斎藤自身において提示されていないにもかかわらず!)スタンスが見受けられます。原田の「ヤンキー」論は第一義的に若者論であり、(原田の著書にほぼ一貫して言えることですが)原田の世代(バブル世代、ロスジェネ世代)と「ヤンキー」論で語られる世代の「違い」に驚いてみせる表現が頻出します。

ただ、私は何も「当事者に寄り添うべきだ」と主張したいのではありません。それどころか、「寄り添う」という行為それ自体がある種の暴力性、権力性、ないし分析対象への過度なコミットを伴い、抑圧として働くことによって分析したい社会集団を客観的に見ることを難しくするという側面は確実にあるでしょう。むしろ私が注目しているのは、斎藤や原田のようなスタンスは、むしろ「自分とは違う」社会集団を「ヤンキー」論によって分析するときに、その境界線をどのように設定しているか、ということです。
カール・シュミットの「友-敵」論などに見られるように(カール・シュミット[1970])、境界線の設定というものは政治学の視点では重要な位置を占めております。それでは斎藤や原田などといった「ヤンキー」論の論客における境界線の引き方に、どのような問題点が存在するのでしょうか。本書のスタンスを示すために、まず結論から述べておきます。

第一に、その線引きの恣意性です。これはここまで述べてきた通り、斎藤にしても原田にしても、その線引きに客観的な根拠は皆無に等しいです。特に斎藤の「ヤンキー」概念についてはほとんどバズワードと化しています。
第二に、「自分とは違う」と見なしている社会階層・集団への差別意識がカジュアルに消費されていることです。これは、特に斎藤や原田の言説を引き合いに出して「ヤンキー」を語る人たちに顕著です。また、その意識は、今までの若者論のなかで形成されてきたものですが、それを批判することはなく、むしろ温存しています。

第三に、「ヤンキー」という層を引き合いに出して、自分がそれを「理解」していると主張することにより、自分は社会や日本人の本質を分かっているというスタンスが取られることです。「ヤンキー」論の中には、「批評」や若者論の仲間内に対して差異化をアピールする表現も見られており、極めて「内向き」です。

本書では、現在猖獗を極めている「ヤンキー」論が持っている問題を、今までの若者論の流れと統計学の2側面から迫っていきます。まず若者論の流れについては、私が2013年に出した著書『「あいつらは自分たちとは違う」という病――不毛な「世代論」からの脱却』(日本図書センター、2013年)で詳しく述べてきましたが、近年の若者論において見られるのは、タイトルにあるような「差異化」への過剰な願望と、「差異」をアピールすることにより科学的な視点が後退していることです。そして私は、近年の「ヤンキー」論にこそ、現代の若者論の問題点が凝縮されていると考えております。
そして統計学ですが、本書ではテキストマイニングを用いて、「ヤンキー」論の代表的な著作及び関連著作の分析を行います。テキストマイニングについては、「MeCab」や「茶筌」といった形態素解析フリーソフトがいくつか出ており、(少し操作は難しいですが)このような同人誌での研究でも形態素解析を使う環境が整っております。また分析においても、フリーの統計解析環境「R」や、形態素解析の結果から様々な分析を手軽に行うことができるフリーソフトとして、樋口耕一による「KH Coder」があります。これらを用いた統計学的な内容分析により、現在の「ヤンキー」論がどのような構造を持っているかを、客観的に明らかにしていこうと思います。

まえがきの最後になりますが、本書のメインのテーマである「分断」と「境界線」を考える上で、極めて示唆的なくだりを引用しておきます。杉田敦の『境界線の政治学』(岩波書店、2005年)のまえがきの一節です。少し長くなりますが、ご容赦ください(あと、経済政策に関する箇所は必ずしも同意していませんが、それはこの引用文の重要性を損なうものでもないと思っています)。

境界線を守って内部を最適化しようとしているのは誰か。こうした政治が、単に一部の「権力者」の陰謀にとどまらず、国民のかなりの部分によって支持されうるということを意識する必要がある。境界線の政治が支持されてきたのは、生活を守りたいという人々の欲求にそれが合致していたからである。抽象的な理念の実現のために、人々が常に動くとは限らない。しかし、安心して生活できるようにしてほしい、それには多少の権利制限や治安強化は甘受するという「草の根のセキュリティ要求」は、今後身近なところで事件が起きたりすれば、急速に強まりかねないのである。
われわれは、これとは別の考え方を、どこまで示せるだろうか。一つには、セキュリティ要求が、自己破壊的、あるいは自己否定的な側面を持っていることを明確にすべきである。治安対策は、一般の人々には影響しないという考え方が根強い。きわめて異質な「悪い」連中が排除されるだけだと夕力をくくる人が多い。しかし実際には、ある人々が排除されても安心することはできず、今度は残された群れの中から別の人々が排除される。こうして、結局、最後の一人が消滅するまで、社会の中からリスクをゼロにすることはできないのである。こういう粛清の循環が始まったらどうなるのか。実際それに近いことはこれまでも起こりかけたし、決して絵空事ではない。テロを「根絶する」という言葉が含むテロリズムを意識すべきである。
もう一つ言わなければならないのは、境界線の回復という目的が、そもそも実現不可能であることである。経済的、文化的な結びつきや、人の往来などがますます増える中で、「外からの影響を入れない」、あるいは「他者と接触しないように立てこもる」ことは、とうてい無理である。もはや、どんな政府といえども、重要な事柄について、国境の外部との相談や交渉なしに勝手に決めることはできないし、許されない。例えば、主権国家が、主権があるからといって、自分たちの国民経済を排他的に管理することなどできるだろうか。中央銀行が何を言おうと、外部に開かれている市場はそれに従うとは限らない。経済の規模は、すでに一国の財政・金融政策が管理できる範囲を越えているのである。文化政策についても同じことが言える。国民という単位が前提としてきた、国民の文化的な同質性ももはや限定的なものでしかない。文化は国境を越えて流通しつつあり、それを制約しようとするあらゆる試みは失敗せざるをえない。
要するに、現在の状況は、国内政治と国際政治の間の境界線が維持できなくなって、ややカール・シュミット的な表現をすれば、「内政の外政化」と「外政の内政化」が同時進行しているのである。この事態をどうとらえるか、その認識の仕方が大きな分かれ目になるような気がしている。

杉田敦[2005]pp.x-xi

第1章 「ヤンキー」論の布置

1.1 はじめに

近年の若年層、そして彼らを対象とした消費のキーワードとして「(マイルド)ヤンキー」という表現が流行している。これは若者論についていくつかの著作がある、博報堂ブランドデザイン若者研究所の原田曜平によって広められているものだ。原田は2014年1月に『ヤンキー経済――消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書、2014年)という著作を上梓し、主に東京多摩地方や神奈川などの「地元志向」の若年層がこれからの新しい消費の主役になる、としている。

最初にこの本について筆者としての見解を述べておくと、あまりにも問題の多いものと言うほかない。例えば同書においては原田は容易に「マイルドヤンキーは」という特徴を述べるが、それについての統計的根拠があまりにも杜撰である。原田は同書第3章において20~22歳の若年層に対して調査したと言うが、そもそもその調査票の集計自体が《「さとり世代」特有のネットワークを活かし》(原田曜平[2014]p.96)という極めて不透明なものであり、また分析に際しても他の年代、ないし社会階層との比較がない。

このような若者論において「比較」の対象は、そもそも筆者が自分の世代の特徴(だと勝手に思い込んでいること)となり、それ故若い世代と筆者の世代(現実には筆者)の「違い」について驚いてみせる表現が頻出するが、原田の著書はそのような表現が繰り返される。特に第1章においては、兵庫県においてあまり離れていないところに引っ越した若い夫妻が、近い場所なのに「アドベンチャー」と形容したことについて《なにを大げさな……とも思いますが》(原田、前掲p.38)、東京のお台場から石神井に帰ってきて「地元は落ち着く」と言った若い世代に対して《私からすれば、「同じ東京だし、それほど距離も離れていないのに……」》(原田、前掲p.54)などというように、主観的に「違い」を強調する表現が見られるが、果たして客観的な研究においてそれが許されていいのかについては疑問を持たざるを得ない。
原田は自らが若い世代に近い立場にあり、そして若い世代を「理解」していることを強みに、上の世代の若者論に反論し、新たな「若者」像を提示しようとする。しかし『ヤンキー経済』に限らず、原田の言説においては、自らの認識を客観的に検証するという過程がまったく見当たらず、他の研究の参照もせいぜいメディアでよく採り上げられるような若者論程度にとどまっている。このようなある種の若者擁護論としての「マイルドヤンキー」論、そして原田の言説に対して、本書は批判を加え、そもそも若者擁護論という行為それ自体の問題を見ていくことが目的である。

ところでここで一つの疑問が生じる。なぜ原田は「ヤンキー」という言葉を使ったのかということだ。実を言うと、若い世代の「ヤンキー」化というテーゼは、ひとり原田によって生み出されたものではない。ある種の文化論的な若者論の過程で、「ヤンキー」という言葉が使われ、その枠組みを原田は(どこまで意識的かはさておくとして)明らかに借用している。非学術的な若者文化論の世界では、2008年頃より「ヤンキー」という概念が、主に若い女性の文化、特に「ケータイ小説」の分析において使われてきたからだ。その嚆矢となるのが、速水健朗(ライター)の『ケータイ小説的。――「再ヤンキー化」時代の少女たち』(原書房、2008年)と見なして差し支えないだろう。その後文化論界隈では「ヤンキー」に関する著作が複数出ており、その一つの集大成として五十嵐太郎:編著『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、2009年)や、斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら――ヤンキーと精神分析』(角川書店、2012年)が挙げられるだろう。

この概念が再び注目されたのは2012年の末である。2012年12月16日に衆議院議員総選挙が行われ、3年3ヶ月の民主党政権が落ち、政権党が再び自民党に移った。それをめぐる言説の中で、2012年12月26日の朝日新聞に掲載された、『世界が土曜の夜の夢なら』の著者である斎藤が「自民党はヤンキー政党だ」という趣旨の発言が話題になった。斎藤はこの「ヤンキー社会の拡大映す」というインタビューの中で、《自民党は右傾化しているというより、ヤンキー化しているのではないでしょうか》(斎藤環[2012b])と述べ、自民党がいかに「ヤンキー」的であるかと言うことを述べている。さらに民主党についても《民主党議員を見ても、選挙に強い人はヤンキー度が高い》(斎藤、前掲)ということを述べ、「ヤンキー」という概念に依拠して政治を語っている。しかし、その根拠はまったく示されていない。

さらにこの頃から「ヤンキー」が、速水などの若者文化論に代表される「批評」言説を消費する層(同人誌即売会「文学フリマ」で評論系の同人誌を出している層や、「はてなダイアリー」などに見られるオタク論、サブカルチャー論系の「論客」など)において頻繁に使われるようになった。代表的なのは、ツイッターのまとめサイト作成ツールの一つ「Togetter」において作成された「オタクが作ってヤンキーが消費」(http://togetter.com/li/439913 、2013年)や、「はてなダイアリー」のエントリー「あなたは本当にオタクですか?/オタクとサブカル、ヤンキーと体育会系」(http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120829/1346240287 、2012年)などが挙げられる。だが、これらの言説の多くは、「ヤンキー」という存在をある種の劣った存在、あるいは既存のものを消費するだけの存在として捉えることが多く、特に自らがクリエイティブだと思い込んでいる層(「論客」的志向の強いオタク層など)に対しては憎むべき存在、というように映るのだろう。

「ヤンキー」論は若者論においてもそのプレゼンスを高めている。2013年には『週刊現代』(講談社)に「ご存知でしたか 日本人の9割がヤンキーになる 1億総中流の時代はよかったなぁ」(「現代ビジネス」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37682 に転載)という記事が掲載され、斎藤もこの記事には登場している。しかしこの記事は全編に根拠と言えるものがなく、ただ「ヤンキー」論で有名な識者(斎藤の他に五十嵐太郎も)に語らせているだけのものである。さらに2014年より「(マイルド)ヤンキー」論を積極的に載せているニュースサイト「ハフィントン・ポスト日本版」の記事「マイルドヤンキー賞賛とその先にあるもの、、、」(http://www.huffingtonpost.jp/gen-shibayama/mild-yankee_b_5005067.html 、2014年)についても、ネット上の「格差」論や、あるいは同時に話題になっている「低学歴」論を引きつつ、これからの社会に起こる「分断」を論じているものの、その「分断」に対する認識が、マーケティング言説で語られるようなものを超えていないというのは問題だろう。

現在の「ヤンキー」論の基礎を形成したと言える斎藤においても、2014年に、過去に行われた「ヤンキー」というキーワードをベースにした対談集『ヤンキー化する日本』(角川Oneテーマ21、2014年)や、さらにこれの補完的な立場と言える與那覇潤との「ダイヤモンドオンライン」での対談連載(http://toyokeizai.net/articles/-/33736 など、2014年)において政治、社会分野に進出してきている。

ここまで来ると、最早「ヤンキー」論それ自体が、若い世代を中心とする「自分とは違う」社会集団・階層の特徴を一気に説明してくれる「無敵の概念」として流通し、劣化言説を誘発していると見るのが適切であろう。これらの議論は、「自分とは違う」社会集団・階層を「分断」し、それに対して「理解していること」を強みとして強調すること(原田曜平)や、それに対して本質的に劣っているというレッテルを貼り、批判あるいは象徴的脅威として祭り上げる(斎藤環、『週刊現代』など)というものとなっている。前者は主に若者擁護論として発せられ、後者は若年層を含む社会批判として用いられる。

しかしこれらの言説は共通した問題を孕んでおり、そしてそれこそが「ヤンキー」論の持つ問題点であるということだ。そしてその問題点は、日本において消費されてきた多くの「日本人論」、そして1990年代後半以降に猖獗を極めた劣化言説の問題点を、ほぼそのまま継承している。本章では「ヤンキー」論を読む上で覆い隠されている前提としての議論を若者論を中心に眺めつつ、「ヤンキー」論で盛り上がることの問題について見ていきたい。

1.2 現在の「ヤンキー」論への批判

その前に、まず近年の「ヤンキー」論に対して投げかけられている批判を見ていきたい。ただ、斎藤の「ヤンキー」論については、「批評」の内部くらいでしか注目されていないためか、メディア上での目立った批判はあまり見受けられない。そのため、原田の「ヤンキー」論に絞って、それに対する批判を見ていくということをあらかじめご承知いただきたい。

現在の「ヤンキー」論について最も効果的な批判を加えているのが、「日経ビジネスオンライン」に掲載された投資家の慎泰俊は、2013年3月27日の「「マイルドヤンキー」という言葉があぶり出した日本の階層」という記事で、むしろものが見えていないのは「ヤンキー」論の論客ではないかということを述べている。慎は「マイルドヤンキー」という言葉に触れたとき、それを指す言葉はすぐにわかり、そしてそういう存在は昔から自分の身近なところにいた、ということを述べている。慎が在籍していた朝鮮学校においては、エスニシティについてはほぼ均一化されているものの社会階層においては実に多様であったという背景もあったという。

そのため慎の近年の「ヤンキー」論への批判は、そもそもそれを論ずるような論客が、彼らが「マイルドヤンキー」なる新しい社会集団として驚いている(そして昔から存在する)層に触れていなかったからではないかということが争点になる。とりわけ《格差や社会集団というのは急に生じるものではなく、10年~20年単位で少しずつ形成されていくものです。それを「発見」したと思った時点で、何かが間違っているのだと自分自身に注意警報がなるようにすることぐらいは、訓練でもできることの1つだと思います》(慎泰俊[2014]p.5)というくだりは、あまりに自省を欠いた「ヤンキー」論者に強く突きつけられるべきものであろう。

また窪田順生も、ニュースサイト「Business Media 誠」において「ヤンキー」論に疑問を呈している。窪田による批判は、「マイルドヤンキー」なる「名付け」によってバッシングが生じるのではないかという、社会構築主義的な視点からの疑問であり、こちらの批判にも首肯できる――ただ、窪田が危惧しているバッシングは「既に起こっている」が。

こいつらがいるから日本はダメだとか、こういう連中が足を引っ張っているからだとか。そういう時、「マイルドヤンキー」なんて俎上(そじょう)にあげやすい。日本の競争力がイマイチぱっとしないのは、上昇志向もなく、グローバルのグの字も知らないドメスティックな“階層”が多いからだ、なんてことを賢そうな人がふれまわったら、それなりに説得力もある。
日韓関係を悪化させている原因として叩かれている「ネトウヨ」とイメージの重なる部分もあるので、「消費の主役」どころか「批判の対象」にされてしまう恐れもある。

窪田順生[2014]

窪田の批判は正当なものだが、ひとつ注意しておきたいのは、このように若い世代の「意欲のなさ」をはじめとする「価値観の差異」が様々な社会問題を引き起こしている、というのは主に宮台真司や三浦展などといったマーケティング系の論客、ないしマーケティング的な価値観に親和的な論客、そして香山リカなどの「80年代」の価値観を絶対視する論客によって担われてきたことだ。そして今の「批評」系の言説の枠組みは、そのような論客によって形成されていると言っていい(詳しくは、後藤和智[2013d]参照)。実際宮台や香山は2000年代初め頃より若年層の「右傾化」論の基礎を作りだし、三浦も後に紹介する『ファスト風土化する日本――郊外化とその病理』(洋泉社新書y、2004年)において若年層の「右傾化」を批判するなど、所謂「右傾化」を若年層の心性の問題として煽ってきた。しかし「右傾化」「保守化」を文化的な問題として捉える態度が、例えば日本の国内における(かつての自民党政権や民主党政権から現在の自民党政権に通底する)民族問題、社会問題を放置してきたという指摘も最近になってなされている(例えば、樋口直人[2014])が、宮台や香山などはそのような傾向を扇動してきたと言って差し支えないだろう。

ただ現在の若者論の形成から考えると、慎による批判も、窪田による批判も、社会学的には極めて正当だし、説得力も高いが、「ヤンキー」論者をはじめとする現在の若者論者においては取るに足らない批判と返されてしまう可能性も高い(もちろん、このような社会科学的に真っ当な批判が無視されてしまうという現状こそが最大の問題である、と改めて念を押しておきたい)。

慎による批判に対しては、そもそも今の若者論、ないし「批評」系の言説は、むしろポジショントークを欲しているという現状がある。原田においては、『ヤンキー経済』のみならず他の著書においても、自分の思い込みと、(自分が抽出した)「若者の特徴」の違いを驚いてみせる表現が多く、また自分は若い世代を理解していると僭称して上の世代を批判するというものも多い。原田の言説は、自らの属性や主観的な感情に立脚しているが、それは現在の「リアル」やナラティブを重視する若者論の流れにおいてはむしろ主流である。そして窪田による、「ヤンキー」論者が名付けによって問題を作り出してしまうのではないかという批判に対しては、むしろこの「名付け」によって若い世代が自らの世代を語る言葉を獲得し、議論を創発するという反論がなされるだろう。「ヤンキー」論におけるそのような意図は、後述するが速水健朗や斎藤環の議論に示されている。

そして、近年の「ヤンキー」論の中核を担う論客と、それを外部から観測して疑問を抱く人たちの認識の齟齬は、ひとえに「ヤンキー」論が立脚する現代の若者論ないし文化批評が、科学的な問題の解明・解決ではなくある種のアイデンティティの獲得を目的としているからということに尽きる。若者論周辺の論客は、若い世代に代表されるような論者の属性とは異なる社会集団・階層を論ずることにより、自分たちが「何でないか」を誇示することにより、自らの言説の消費者に「自分は何でないか」という認識、そして「自分は何であるか」というアイデンティティを提供してきたと言うことができる。

そしてその役割を長い間担ってきたのが、所謂「日本人論」だ。「日本人論」については一般書のレベルでもいくつか批判的な検討がなされているが、例えば青木保は『「日本文化論」の変容――戦後日本の文化とアイデンティティー』(中公文庫、1999年。初版は1990年)において、戦後の「日本人論」に対して、「否定的特殊性」「歴史的相対性」「肯定的特殊性」「特殊から普遍へ」という流れがあるとし、それを社会の変化に位置づけて論じている。

日本人の位置づけの試みは、それ(筆者注:敗戦)以来、さまざまになされてきており、「日本文化論」の基本はこの試みである。それは近代国家の建設と敗戦によるその挫折から、日本人の可能性を求めて必死の学問的かつ思想的な営みでもあって、その作業は、言い換えれば「文化」と「アイデンティティー」の結びつきを追求する努力である。それはいくつかの時期的変化を辿った。日本の工業化の発達や経済成長や社会発展とともに、「日本文化論」もいくつかの変化の段階を経て今日に至っている。

青木保[1990=1999]p.28

また船曳建夫は、『「日本人論」再考』(講談社学術文庫、2010年。初版は2003年)において青木が便宜上扱わなかった戦前の「日本人論」にも触れ、明治期以降の「日本人論」に対して「積極的で対外的」「防衛的で内向的」「反省的に始まって次第に自己肯定的になった」という3つの時期を挙げており、青木が挙げた戦後の「日本人論」はこの最後のものにあたる。そして青木にしても船曳にしても、時期に関わらず「日本人論」が担ってきたことは、「西洋」などの外部的な視点によって自らのアイデンティティを確認する、あるいはアイデンティティに対する不安に応える、という役割を担ってきたという側面に着目しているという点では共通している。

この視点、そして今までの若者論の流れから「ヤンキー」論を捉えるとどうなるか。それは「ヤンキー」という言葉で表現される社会階層を「他者」と見なして、それが持っているとされる価値観を、批判的であれ、あるいはシニカルな擁護論であれ捉えることによって、自らの「価値観」を確認するという点では、青木や船曳が扱った「日本人論」と共通していると言える。現在の日本人論は、「差異」を確認するための存在として、従来の「西洋」「アジア」といった海外ではなく、主に若い世代に「内なる他者」を見出し、そこに「特殊性」を与えることによって読者にアイデンティティを提供する、という点で、現在の「ヤンキー」論は同一の構造を持っていると言える。

さらに「ヤンキー」論が国内の若年層を対象とした若者論である(ないし若者論を出自としている)ことにより帯びる、旧来の(海外を比較対象としていた)「日本人論」にはない特徴として、特定の「名付け」によりメディア市場が活発化するという側面もある。たといそれが虚像であったとしても、メディアの側が問題視したいものに対して「名付け」を行うことにより、「名付けられた」層による「反発」を期待することができる。また「名付け」が再帰的に社会問題を生み出してしまうのではないかという、社会学で言うところの「ラベリング」が引き起こす問題については、この点からすればむしろ歓迎されることになる。

このような特徴によって若者論は、1980年代以降、「おたく(オタク)」「援助交際」「17歳の犯罪」「ニート」「ロスジェネ」などといった形で繰り返し盛り上がり、メディア・イベント(あるいは「祭り」)を引き起こしてきた。そしてそこでメディア・イベントの中心になった論客が、長じてコメンテーターや「評論家」として重用されている。もっともそれが様々な問題を引き起こしているということも指摘しておかなければならないだろう(詳しくは、拙著『「あいつらは自分たちとは違う」という病――不毛な「世代論」からの脱却』(日本図書センター、2013年)参照)。

1.3 現在の「ヤンキー」論の形成と差別の再生産

現在の「ヤンキー」論は、論者が主観的に「差異」を覚える社会集団、特に若い世代を「内なる象徴的脅威」として捉える流れで生み出されたものであるということは前節で説明した。本節ではそのような環境が生成されてきた経緯について述べつつ、また現在の「ヤンキー」論において、かつての若者バッシングにおいて生み出された、若い世代を含む論者とは異なる社会集団への差別的な認識がどのように再生産されているかについて述べていきたい。

若い世代が「象徴的脅威」となっていく過程として、第一に若者論や若者研究の変化、第二に劣化言説の流行を挙げることができる。まず前者について見ると、1980年代から1990年代にかけて、主に「おたく(オタク)族」系の論客によって、現代の若い世代の心性が「消費社会の新しい日本人」として解説されるようになった。元々「おたく(族)」という言葉は、『漫画ブリッコ』(白夜書房)というロリコン漫画雑誌において、中森明夫が「コミックマーケット」に集うような若い男性を嘲笑して使った表現ではあるが、その『漫画ブリッコ』の編集者であった大塚英志が、自らの民俗学という出自を前に出した若者文化論『少女民俗学――世紀末をつむぐ[巫女の末裔]』(光文社カッパ・サイエンス、1989年/光文社文庫、1996年)を発表し、話題となった。期せずしてそれが発表された時期は、「おたく(族)」による犯罪と喧伝された連続幼女殺傷事件(所謂「宮崎勤事件」)と同時期であり、大塚は「おたく」論の論客として活躍していた。

同書における大塚の態度として、「少女」という存在を、最早「生産者」ではいられなくなった、「消費者」として生きざるを得なくなった新しい「日本人」(大塚はこれを「少女」と表現している。そのためジェンダー論や歴史研究などで使われる概念としての「少女」とは明確に意味を異にすることに注目されたい)として描き出すこと、そして民俗学の視点に立って、現代の「新しい常民」としての「少女」の文化を読み解くというスタンスで書かれている。

その後は、中島梓(栗本薫)の『コミュニケーション不全症候群』(筑摩書房、1991年/ちくま文庫、1995年)や、宮台真司らの『サブカルチャー神話解体』(PARCO出版、1993年/ちくま文庫、2010年)などに代表される、漫画などから現代の若年層の心性を読み解くというスタイルの言説が若者論の中心となった。浅野智彦はこのような、1980年代終わり~1990年代始め頃におけるアイデンティティ論の変化について、《オタクがコミュニケーションの失敗であると同時に、(略)文化類型=人格類型であるという二面性(略)ゆえにオタクは、アイデンティティ論の枠組みを文化論・社会的性格論からコミュニケーション論へと転換させる蝶番となった》(浅野智彦[2009]p.107)としている。アイデンティティ論の転換としてこのような変化を描くのは適切であるし、またそれは若者論全体の変化でもあった。ただ浅野が「オタクが」としているのはおそらく不適切で、より正確を期すならオタク「論客」が、と言った方がいいかもしれない。またこの議論の影響はオタク論のみならず若者論全体へと広がっていくものだった。

そしてその議論の変遷を生み出した宮台真司は、1994年から1997年にかけて、「援助交際」「オウム事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」などにおいて現代の若い世代の「現実」や「リアル」を宣伝する論客としてメディア上で活躍した。一方で『諸君!』や『宝島30』などといった「保守」系のメディアもまた、宮台の掲げたような「若者」像についての論争を展開した。宮台はこの時期から若者論におけるプレゼンスを、「若者」の本質を知っている社会学者として獲得したと言える。

しかし宮台をはじめとする若者論(若者擁護論)の論客と、「若者」を批判する論客の「共同作業」により、若い世代は上の世代とは断絶した心性を持った世代としてのイメージが定着した。時期を一にして、この時期から日本社会が「劣化」しているという言説がメディア上に頻繁に展開されるようになった。もちろん、この時期は比較的大きな規模の金融機関や会社が破綻するなどといった、不況の深刻さを見せつけるような事象もあり、それらも日本社会の「劣化」という印象には少なくない影響はあるだろう。ただ是永論らの研究では、具体的に「劣化」を実感している人たちが劣化していると感じている分野(複数回答)で、最も多かったのが「教育・しつけ」「モラル・道徳」という若者論に関するテーマだったのには注目に値するだろう(是永論[2010]p.38)。また是永らの研究における柄本三代子は、食の問題と青少年問題を絡めた記事を紹介しているが、この時期には、特に青少年問題があらゆる劣化言説のハブになっていたと言えるだろう(是永、前掲pp.91-92)。

2000年代に入り「格差社会」論が展開されるようになるが、メディア上で語られるものの多くは「起業などで大量のお金を稼ぐ若者がいる一方で、フリーターなどの貧困にあえぐ若者がいる」という状況が、それまで上の世代が持っていた「一億総中流」とは違うものであり、そのような状況に生きる「若者」の文化や心性の問題として語る機運が強かった。何回か経済に関する議論が出てきても、例えば香山リカの『就職がこわい』(講談社、2004年)などのように若い世代の心性の問題に引き戻そうとする動きが出てくるようになっている。1980年代終わり頃からの若者論の変化は、若い世代に対して「自分とは違った」ものと最初から捉え、シニカルに批判したりあるいは擁護してみたりするという扱いへと変化したと見ることができる。
また劣化言説の定着と同時に、オタク論を中心に、それに対して論じられて
いる「特殊性」や「劣化」を内面化した論客が出現するようになった。「オタク」の立場から現代の恋愛に関する議論を展開して自分たちオタクにこそ正当性があると主張した本田透、バブル文化に憧れつつもそこから「はしごを外され」、上の世代が体験できて自分も体験できるはずだったことができないという価値観を前面に押し出す赤木智弘などの「ロスジェネ」系論客、あるいは「生きづらさ」を前面に掲げる雨宮処凜などのほか、杉田俊介、酒井信、黒瀬陽平などといった多くの文化論の論客もこの範疇に含まれよう。この多くの論客は、それまでの劣化言説において語られてきた「劣化」について、反発するものもいるが、その多くはそれを自らの世代の「宿命」として受容している。

これらの若い世代の論客や、あるいは若者擁護論の論客は「分断」について語る。「分断」したとされるのは、上の世代と若い世代、貧困層と中流層、「オタク」層と非「オタク」層、「モテ」層と「非モテ」層などといったものだ。しかしその区分についてはほとんどが、自らの主観的な正当性、優位性を誇示するための恣意的なものに他ならない。上の世代においても、また若い世代においても、社会をめぐるひとつの機運として、「彼ら」と「自分たち」を恣意的に「分断」し、「彼ら」を「自分たち」に対する、もしくは「自分たち」を「彼ら」に対する象徴的脅威として祭り上げるという動きが、劣化言説において示された社会や若年層に対する認識が定着した過程で成立したと言えるだろう。

このような状況下では、価値観の「分断」それ自体の存在を示してみせることこそが最大の目的となる。そこには何らかの客観的な研究を生み出したり、あるいは社会に資する知見につなげたりということは生まれることはなく、ただ特定の社会階層の「差異」や「特殊性」を消費し、あるいは象徴闘争的なバッシングやシニカルな議論が流行するようになる。前出の是永らの研究のなかにおける岡田章子の研究には次のような一説がある。

本来、社会に問題があるのならば、言論においては、そのことに対して警鐘が鳴らされた後、その原因が探られたり、解決策が提示されたりするべきであるが、出版に限らず、メディアのなかで「経済」を理由にそれを妨げる構図ができあがっている。すなわち、不況を理由にしながら、それを背景に、根拠のない「劣化」をネタにし、それをあたかも既成事実のように錯覚しながら、それが明確な根拠や事実認定に基づかないゆえに、メディアも書き手も読み手もそれがいつまでも解決しないことに安住してしまう、そういうニヒリズムに陥っているのではないか。つまり、「日本社会の劣化」というネタが認識の上ではベタ化されながらも、問題解決という次元では再びネタとして扱われ、それがニヒリスティックに揶揄され、再びあるいは三度メディアを賑わせる、そういう循環である。

是永、前掲p.103

先に示したような文化論、若者論の変化は、劣化言説の定着によるこのようなニヒリスティックな態度の定着に対して少なくない影響を与えていると言える。メディア上の論客の振る舞いによって「劣化」が《認識の上ではベタ化されながらも、問題解決という次元では再びネタとして扱われ》ることにより、特に若い世代の「特殊性」を媒介にしたメディア・イベントのみが盛り上がり、実際の問題については覆い隠される、という経路が見て取れる。

1.4 内向きの論理

「(マイルド)ヤンキー」論は、若い世代をめぐる散発的なメディア・イベントの一つとして明確に数えることができるだろう。「若い世代を知っている」ことを売り物にしている原田曜平は言うまでもなく、斎藤環や速水健朗の「ヤンキー」論においても、自分が「ヤンキー」層に目を向けることそれ自体に価値観を見るようなくだりが存在する。まず速水健朗について見てみると、

人は自分が理解できないものや、自分が知っている常識から逸脱している表現を、遠くへ押しやろうとしたり、モンスターに仕立て上げて攻撃することがある。ケータイ小説とは、まさにそういう扱いをされたジャンルと言えるだろう。
ケータイ小説は、嫌悪感や排除の論理で扱われてきた。

速水健朗[2008]p.3

これは速水の『ケータイ小説的。』のまえがきの最初で述べられているものだ。通常、このような認識を示すためには何らかの客観的な証拠が必要となるはずだが、速水はここで採り上げられている「ケータイ小説」に対する扱いをさも当然存在するかのように書いている。しかし速水もまたその直後に《ケータイ小説にもそれが今生み出される理由と、それを準備した文化的背景がある。それらについて、大まじめに遡ってみたのが本書である》(速水、前掲p.4)と、なぜか「大まじめ」という表現を用いているが、これもまた速水においても「ケータイ小説」というものに対してシニカルに「本来は真面目に扱うようなものではないもの」という認識を提示しているように見える。このような態度は、「本来は真面目に扱うようなものではないもの」としての「ケータイ小説」そのものを扱うことに何らかの意義を見出すことで、自らの言説の特殊性を誇示しようとするものと見なせるだろう。ちなみに「ケータイ小説」に関する記述も少なくない土井隆義の『友だち地獄――「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書、2008年)にはそのような態度は示されていない。ちなみに土井の著作の刊行日は速水のものよりも3ヶ月ほど早い。

斎藤環もまた、『ヤンキー文化論序説』に寄せた「ケータイ小説」に関する論考において、《ケータイ小説を小説とは断じて認めない、という美意識を人前で誇れるひとは、もちろん「ヤンキー文化」なるものの存在を認めまい》(斎藤環[2009])というくだりから始めており、ここにもまた「ヤンキー文化」の存在それ自体を認めることを自らの言説の一つの価値と売り出している様が見受けられる。通常の研究や評論であれば、本来なら分析の妥当性、客観性を価値として示すべきであろうが、特定の文化集団、社会集団を「語ること」それ自体に意味を見出すという価値観の表明は果たして何を意味するのか。それは速水健朗の次のくだりがその示唆となっているだろう。

ケータイ小説もセールス的には大きな成功を納めながらも、文化として爪弾きにされている「被差別文化」の一つである。だからこそ、それが生まれた背景や、そこに出現した新しい何かを見出す作業に意義がある。本書が行ってきたことは、まさにそんな作業である。
本書がケータイ小説という「被差別文化」から見出したものは、郊外・ヤンキー・少女という現代社会のマイノリティの姿である。これは、都市・オタク・少年というキーワードから思い浮かべることができるオタク系トライブとは、好対照な存在だ。本書が取り上げてきたような、浜崎あゆみ、ヤンキー系少女漫画、そしてケータイ小説、これらを引っくるめたヤンキー文化の市場規模は、オタク系文化の市場に比べても、遙かに大きい。浜崎のアルバムも、ケータイ小説も最盛期にはミリオン、そして一段落した今でも十万部以上の数字を持っている。だが、それにもかかわらず、批評の対象としては極めて軽んじられている。多くのオタク論が幅を利かせている中、なぜかヤンキー論はほとんど出て来ない。この国においては、ヤンキー文化全体が「被差別文化」なのだ。
(略)
本書は、その「被差別文化」にスポットを充てることこそ、現代の社会を直視する批評的な行為であるという信念に突き動かされて書かれたものである。
批評に自由を! ヤンキー文化にもっと光を!

速水健朗[2008]pp.217-218

このような速水の極めて「内向き」な意見表明は、多数の問題を抱えている。そもそも「ヤンキー文化」なるものが「被差別文化」というものであることの基準として、(速水の観測範囲内での)「ヤンキー」論がないことなどが挙げられているが、それは果たして「ヤンキー」文化を「被差別文化」として扱うことの根拠としては極めて不適切だ。それどころか、このような意見表明をすること自体、速水が「ヤンキー文化」なるものを差別的に扱っているということすら言えるかもしれない。

速水は「批評に自由を!」と述べているが、速水が『ケータイ小説的。』で述べていることは、三浦展の『ファスト風土化する日本』の中で、前出の岡田章子が三浦へのインタビューで示すとおり「売るため」に過剰にバッシング気味に書かれた著作の中での「郊外」そして若年層に関する認識を、枠組みそれ自体をまったく変えずにバッシングを擁護論として転換したものに他ならず、客観的証拠を用いた議論ではない。ここで提示されている「自由」というのは、あくまでも「批評」の身内に対する、自らの主観的な特殊性に他ならない。

また斎藤は『世界が土曜の夜の夢なら』において、自分こそがヤンキー文化に意味を与えることができ、それによって当事者の議論が創発されればいいということを述べている。

批評というものは当事者性から一定の距離をおくか、メタレベルでなされる営みでもある。僕自身は”真正オタク”ですらないのだが、にもかかわらずオタクを論じた『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫)は、それなりに評価され英訳もされた。その経験から言わせてもらえば、「当事者性」は批評における武器の一つではありえても、正当性の唯一の担保ではない。
加えて僕には、ヤンキー当事者がいまだ自分たちの文化を分析し批評するための言葉を獲得していないようにみえる(誤解なら申し訳ない)。オタク以上に当事者性の薄いこの領域に切り込む僕の試みは、おそらく当事者からの批判にさらされるだろう。それはそれで構わない。かりに本書が、当事者が語り始めるためのたたき台になり得たとしたら、それは本当に光栄なことだと思う。

斎藤環[2012]p.249

前段の最初だけみれば、一般論としては正しいように見えるかもしれない。しかし斎藤の「ヤンキー」概念は同書の中においてすらかなり拡散されており、そして自らの言説の根拠を示す客観的な資料は一切提示されていない。また「評価され英訳される」ことは、必ずしもその議論が正しいことを意味しないのは自明であろう。また斎藤は自らの議論への批判を誘発するものとして「当事者」のみを取り上げているが、その議論に科学的観点、あるいは議論の倫理的・規範的観点からの問題があるのであれば、当事者以外でも客観的な立場からの批判はあり得るだろう。

そして《ヤンキー当事者がいまだ自分たちの文化を分析し批評するための言葉を獲得していないようにみえる》というのは速水が「ヤンキー文化」を「被差別文化」と決めつけた認識と同一だろう。そして斎藤もまた、それを自らの言説の強みとしている。要するに「ヤンキー」論というのは、彼らにとってすれば一つの「文化解放運動」に他ならない、ということになる。
しかし、そもそもの問題として、彼らが「自分が意味を与えてやっているんだ」というパターナリズムが孕む問題に対してまったく無頓着であるのはやはり問われなければならない。そもそも速水にしても斎藤にしても、彼らの「ヤンキー」論には劣化言説としての要素も強い(そして本章第1節で見たように実際多くの劣化言説を誘発したし、斎藤も劣化言説を述べるようになっている)。

もう一つ挙げるとすれば、速水や斎藤は「ヤンキー」文化が(「批評」において)、「オタク」文化に比べて「差別」「無視」されてきたとしきりに述べるが、先の浅野智彦の指摘にあるとおり、現在のアイデンティティ論の転換は「オタク」論が引き起こしたもので、多くの論客が漫画やアニメの、その中でも「オタク」系作品に仮託して若い世代の文化や心性を語ってきたという歴史的背景がある。そして2000年代半ば頃から(斎藤が先の引用文で自負しているとおり)、多くの若い世代の論客が「オタク」系作品に仮託して若い世代の心性を述べるようになった。「オタク」系作品は、若い世代が自らの心性をそれに仮託して自らの心性を述べることにより、「批評」の中で地位を定着させた。しかし「批評」を盛り上げるためには新たなツールを提示しなければならない。それが「ヤンキー」論であったと言うことができる。

象徴的なのは、『ヤンキー文化論序説』の帯に打ち出された「オタク論には、もう飽きた!」というキャッチフレーズだ。なぜ「批評」の側が「オタク」論に「飽きて」、「ヤンキー」論を積極的に語るようになったかについて、本書の知見と照らし合わせると、「オタク」の側が既に自らの「特殊性」を、彼ら「批評」の側の手を借りずに主張してくれなくなった、自らを「批評」の側に対して象徴的脅威と自ら主張してくれるようになったからに他ならない。大塚や宮台、斎藤、あるいは東浩紀などによって形成されてきた「批評」側の「オタク」論――なおこれについては、少なからぬクリエイターからの反発も招いている――に立脚して若い世代の文化を語る「論客」として、宇野常寛や村上裕一などが挙げられるし、またロスジェネ論などによって「批評」側のオタク論、若者論のテンプレートに沿った認識を開陳するような論客も見られるようになった。これが、「批評」の側において「オタク」論が「飽きられた」理由であろう。そして今度は、自らが(勝手に)「自らを語る言葉」を与える対象に「ヤンキー」を選定し、それを積極的に論じるようになったという流れを見ることができる。

またこの視点から、原田曜平の行動についても意義を見つけることが可能だ。原田は自らが「若者を知っていること」「若者と一緒にマーケティング理論を生み出していること」を繰り返し強調するが、そのような役割を担うことにより、原田の若者論(主に若者擁護論)を通じて「ロスジェネ」以降の、あるいは「オタク」ではない、「批評」において自らを語る言葉を持たなかったとされる「若者」層を「批評」の場に参加させるという役割を持つものと言える。これは原田が社会認識についてその大部分を継承している三浦展にはあまり見られない特徴である。

原田は自らの若者論の中で、若い世代に対して「特殊性」を前面に出すような書き方をしているが、その意義について見ていくと、第一に原田が若い世代の「特殊性」を、それまでの若者論客が無視してきたとされるビジネスの可能性として若者擁護論を展開することにより、若い世代をめぐる議論に関して自らの優位性、特殊性を誇示するという点が挙げられる。第二に、自らが若い世代の「代弁」をすることにより、「当事者」の主張として自らの若者論の正当性を得ようとするものだ。要するに、斎藤が「ヤンキー」層による発言については当事者に投げて放置していたものを、原田はそれも自分で行っているということである。

そして原田もまた、自らの「名付け」によって問題を生み出してしまうことや、パターナリズムの問題については無視しており、そして斎藤と同様、むしろ議論が喚起されることを歓迎している様すら見られる。

1.5 おわりに――「批評」の病理をどう見るか

社会の「劣化」をめぐるシニカルな態度の広がりは、自分こそが若い世代の「特殊性」に対して意味を与えることができるのだという「論客」の傲慢を引き起こしており、現在流行している「(マイルド)ヤンキー」論とはその典型的な例と言える。それは既存の「日本人論」のように、読者に対して「自分たちとは違う」社会階層の特徴を(シニカルに)示すことにより、読者に対してアイデンティティを提供するものであると同時に、「差異」や「特殊性」の存在そのものを示すことを自らの言説の価値として、メディア・イベントを引き起こすことに注力してきた。

だがこのような態度は、社会、特に若い世代に対する「劣化」イメージの広がりを前提とし、そしてそれらの言説の問題点を問い直すことない。そのような態度が、多くの劣化言説や「自分たちとは違う」社会階層に対するバッシングこそを誘発してきたという点は何度でも強調されるべきであろう。またこのようなメディア・イベントは、科学的な議論とは極めて遠いところにあるものであり、社会に対する議論を大きく歪めるものに他ならない。

「ヤンキー」論に代表されるメディア・イベントの広がりは、確かに若い世代「当事者」の「批評」におけるプレゼンスを高めることにはなったかもしれない。だがそれは若い世代に対する偏見や誤解、そして「特殊性」を担保としてメディア上で消費されるという構造を強化したもの以外の何物でもない。また上の世代においても、自らが若い世代を語ることにより若い世代に自らの「意味」、あるいは自らの世代を語る言葉を与えてやっているのだというヒロイズムが強化されてしまっている。

そしてそれは若い世代をめぐる問題に対する客観的なアプローチを遠ざける、極めて危険なものに他ならないのである。

参考文献

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