【ツイート転載】続・「若者の右傾化」論の略史――「言論の2005年体制」の成立(2024.03.04)

「政治的」と「オタク的」を対立するものとして扱っていることの政治性は既に多数指摘されているけど、こういう態度って、2000年代初頭~半ばに1980年代サブカルチャーに耽溺した層が一部のユースカルチャーをほとんど難癖に近い形で国家主義と短絡させて論じたことのある種のカウンターとして、主として1970年代生まれのサブカルチャー系論客によって「イデオロギーフリー」という形で左派的な主張だけを「政治的」と難じて、自分たちは“若者”としてそれらとは距離を置く「正しいリベラル」なのだという動きが起こったんだよね。

そういう動きを生んだ「若者の右傾化」論については少し前に私が書いた文章を読んでほしいんだけど(下記)、こういう風に一部のユースカルチャーと国家主義を結びつけて「非・若者」を強調したい1980年代サブカルチャーの担い手と、左派を難じて「若者」を僭称したい1990年代・2000年代サブカルチャーの担い手の対立が「若者の右傾化」論の構造であり、その悪影響は、既に「若者」でなくなったのに「若者」を自称する維新支持層や、逆に若い世代の社会運動を見下すサブカルチャー左派、そして若者論批判に難癖を付けるサブカルチャー左派層の存在と、現在に至るまで悪影響を及ぼしている。

こういう対立は2005年の郵政選挙とそれに関わる若者論によって成立したので「言論の2005年体制」と名付けたい。右派だけでなく、「若者」=自民・維新支持みたいな構造にこだわるサブカルチャー左派も、この言論の2005年体制から脱却できていない。

最後になるけど、(若年女性支援事業に次々と難癖を付ける)水原某の言動が「政治的」でないわけがないし、今になってそれを知らないかのような発言をするのは本当に莫迦げているというか。

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