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新・間違いだらけの論客選びREMASTER 第2回 相原博之『キャラ化するニッポン』ほか

さて、本企画では、ここから分析に入っていきます。

個票では、それぞれの書籍に対して、基本的なパラメータである、単語(ただし集計対象となった827語に限る)、KH Coderの関連語検索機能から計算したそれぞれの書籍に関係の深い単語、そして対応分析とカテゴリー別の単語の集計結果の値を示しています。

※個票の一番下に掲載されている「カテゴリ単語集計チャート」について、偏差値とそれを元につくられたチャートが不正確な値になっております。現在、諸事情によりデータの再計算ができないため、準備が整い次第、正確な図表に修正する予定ですので、ご了承ください。

相原博之『キャラ化するニッポン』講談社現代新書、2007年

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マーケティング系の社会論は、2000年代後半から現在に至るまでかなりの頻度で出ており(代表的な書き手としては三浦展や牛窪恵などが挙げられるだろう)、本書もそれに属する一冊である。本書は消費から政治に至るまで、若者を中心にかなりのところに「キャラクター」的な消費が浸透しているという趣旨の本で、現にカテゴリー別の単語の集計ではカテゴリー5の段落での使用頻度が26.72%と首位に輝いた。

距離の近い書籍を見てみると、円堂『ゼロ年代の論点』や宇野『ゼロ年代の想像力』など、そういったオタク文化論関係の書跡が多く、逆に遠いところにあると見なされたのが教育や社会学関係の書跡であり、私の従前の理解では、相原をはじめとするマーケティング的社会論、ないしオタク評論的社会論は、社会学の「鬼子」としていたが、やはり別物と考えた方がよさそうではある。

円堂都司昭『ゼロ年代の論点:ウェブ・郊外・カルチャー』ソフトバンク新書、2011年

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前掲の相原『キャラ化するニッポン』と、対応分析ではもっとも近いところにある書籍として分析されたものであり、レーダーチャートを見ると似たような形をしているのがわかる。ただし、カテゴリー別の単語の分析では、必ずしも同じような特徴を示しているわけではない。

例えば、カテゴリー2の単語の段落での使用頻度は、教育に関する単語であるカテゴリー2の単語の使用頻度が、相原は24.66%だったのに対して、こちらは41.37%と高水準で、全体でも48位となっている。またカテゴリー9の国家に関する単語の使用頻度も43.72%(全体43位)とこちらも高く、相原のようなマーケティング系の論客と円堂のような批評系の論客の違いとして、(表面的には)社会に関しての全体的な言及が多くなる、というところが挙げられるのかもしれない。

羽生雄毅『OTAKUエリート:2020年にはアキバカルチャーが世界のビジネスの常識になる』講談社+α新書、2016年

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世界のトップレベルの大学で、いかにニコニコ動画を中心とする我が国のネットカルチャーが受け入れられているか、というのをアピールする、まあ要するに「日本凄い」系の本である。その顕示欲は、関連語に「海外」「世界中」「エリート」と並んでいることからも垣間見ることができる。いやあなんというか…。

ただ単語の集計を見てみると、カテゴリー11以外の 単語は全体的に低位であり、一番順位の高いカテゴリー3でも157位と全体の中間程度に過ぎない。自分と自分の属する文化の擁護が凄すぎて、社会的なものに対する言及はお粗末ということか…。

さやわか『10年代文化論』星海社新書、2014年

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「残念」をキーワードに2010年代の文化を紹介したものである。ちなみに同所の刊行は2014年で、執筆期間はおそらく2013年頃だろう。そんな時期によく2010年代の文化のキーワードを決定づけることができたと感心するがどこもおかしくはないな。

関連語は「残念」がJaccard係数0.0937と2番目の「オタク」に比べて圧倒的に高い。レーダーチャートの形状は前3者と比べてそれほど大きく変わるわけではない。

とすればその違いはカテゴリー別の単語の集計結果に現れてくるが、こちらはカテゴリー6の単語の使用頻度が29.10%、全体20位とかなり高くなっている。円堂も25.73%と比較的高かったが、相原と羽生はこのカテゴリーが低くなっている。批評系とマーケティング系の違いは、若者論中心の「愚痴」に近くなってしまうということなのか…?

村上裕一『ネトウヨ化する日本:暴走する共感とネット時代の「新中間大衆」』角川EPUB叢書、2014年

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『間違いだらけの論客選び・改』では、本書を北田『嗤う日本の「ナショナリズム」』の劣化コピーと表現したが、まあ分析の枠組みは北田のものを使っているが、北田本の特徴である過去の消費文化との比較がなく、また分析としても北田を少しも上回るものではなく、おまけに本自体も北田本の方がやすいのでまあ読む価値はお察しである。

ここまで対応分析のレーダーチャートは似たようなものを並べてきたが、カテゴリー別の丹後使用頻度に着目すると、意外にも全体的に高水準だが、特にカテゴリー3と11の使用頻度が高くなっている。

とはいえ、本書最大の特徴は、関連語の筆頭が「筆者」ということになるのかもしれない。要するに自分の考えが前に出すぎている、ということで、出オチであった。

北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHKブックス、2003年

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それでは先の村上本の認識のベースとなっている(と思われる)北田本はどうだろうか。レーダーチャートで見た傾向としては、主成分6を正の方向に延ばし、文明論的な傾向をやや強めていると言うことができる(それでもようやくゼロ値付近ではあるが)。

カテゴリー別の単語は、カテゴリー2,9,12が高い水準を示している。ナショナリズムについて扱っているからか、国家論的な傾向を強くしているように見える。政治、教育についても使用頻度は高いが、逆に流行に関する言及はそれほど高くはない(全体157位)。全体としてはオタク社会論+文明論ないし国家論、という傾向は示しつつも、単語ベースで見るとどちらかと言えば後者の傾向が強いというよくわからない立ち位置となってしまっている。

森川嘉一郎『趣都の研究:萌える都市アキハバラ』幻冬舎、2003年(幻冬舎文庫版を使用)

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筆者は大学で建築学を学んでいたため、本書にも触れる機会があり、2005年には初めて秋葉原に行ってメイド喫茶にも入ったことがあるのだが、まあそれはさておき、本書は、ここまで見てきた書跡の中では、レーダーチャートの形は全体的には似てはいるものの、主成分4の値が正の方向に張り出してきたことに着目したい。主成分4は、若者論の中でも、労働系のものとなり、ほかの書籍ではゼロ値に近かったのが、本書はおよそ0.88とかなり正の方向に触れている。順位も全体として33位である。本書の刊行は2003年であるから、もしかしたら労働関係の若者論の「空気」を先読みしていた可能性もなくはないだろう。もっとも単語レベルではそういうのは見られないのだが。

カテゴリー別の単語は、文章こそ分量が多いものの全体的に低調ではあるが、カテゴリー12の単語の使用頻度が高くなっており、若者論と社会学をミックスさせた「批評」的な流れに属する一冊と言うことはできそうである。

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