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若さは"武器"となり、若さは"邪魔"をする

Vol.3▶︎『ペップを愛し、ペップに愛された男——。 "WEBで"ピッチに立った「新世代サッカー指導者」たち』

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『新世代サッカー指導者のWEB戦略』vol.4

この連載の中で私が伝えていきたいこと(考えていきたいこと)は、以下の通りです。

これからのサッカー指導者は「WEB」をどう使えるかが重要になる。そして、そこには有効な「戦略」が存在し、またWEBとの「向き合い方」に気をつけなければならない。

今回のVol.4では、その中でも「若い指導者」がWEBを有効に使うべきだと思う理由を述べていきたいと思います。


■年齢が持つ意味

私は今、アルゼンチンに住んでいます。ここで感じる日本との最も大きな違いは「年齢」に対する考え方です。アルゼンチン人にとって、誰かと接する際に「年齢」によって態度を変えるという概念は存在しません。例えば私が、年下の人と挨拶をするときも、35歳の人と挨拶をするときも、60歳の人と挨拶をするときも、初対面でなければ基本的には態度も口調も変わりません。ただ、その中には互いのリスペクトはしっかりと存在しているように思います。一方、日本という国は、説明するまでもないとは思いますが、良くも悪くも「年齢」というものが大きな意味を持ちます。


■どう「年齢」を捉えるべきか

日本人である限りは、この「年齢」というものと向き合っていかなければならないと私は考えています。それは、決してネガティブな見方ではなく、国として文化が形成されている限りは、日本がこれから海外のようになるとは思えませんし、なる必要もない。しっかりとそれを理解して、若い人間でも、またそうでない人でも、それぞれの立ち位置から、前向きに仕事や生活を送っていくべきだと思っています。


■フィルター

私は昨年末から、WEBであらゆることを解決し、0の状態からアルゼンチンに来ることができ、こうしてサッカーを学ぶことが出来ています。詳細は今後この連載で書いていく予定ですが、それについて動く中でもっとも感じたことが、この「年齢」についてでした。

WEBで動き出す前、アルゼンチンへサッカーを学びに来るために、様々な人に自分の思いや計画を伝えました。職種や背景は様々でしたが、全ての人が私にとっては年上の方々でした。もちろん、中には私がまだ若いということを気にせず、評価をしてくれた方もいます。ただ、ほとんどの方に対面した際、「若いというフィルター」がかかっていることに気が付きました。


■戦い方を選ぶ

話をする前、もしくは話をしている際に相手から感じてしまう「若いというフィルター」は、私の被害妄想なのか、実際に存在しているのか、それはわかりません。しかし、私がそう感じた時点で、なかなか良い話は出来ませんでした。若いというフィルターは、あらゆる点で「邪魔」になるのです。

話をまともに聞いていない人、話を聞く前から決めつけている人、言ったことを実行してくれない人、様々な形で影響を与えます。しかし、そこに嘆いていても何一つ始まらないと悟った私は、直接話をすることを辞め、方法を変えました。


■WEBでは立場が対等以上になる

直接人に会うことよりも、WEBで文章を書くことに注力したのです。そこには、ある仮説がありました。

人はWEBを見るとき「年齢」を気にしないのではないか?

この仮説は、正解でもあり、不正解でもあったと思っています。それは、WEBでは若いということが「邪魔」にならないどころか「武器」になっていると感じるからです。

仮に私が「話す内容」と「書く内容」が全く同じだったとしても、「こいつはまだ若い」という印象が、全く違う意味を持ち始めたのです。


■最初のアクション

11月末、その後に控えたクラウドファンディング実施を見越して、WEB上で話題性を作るために、上記の記事を作成しました。この記事は、当時私はTwitterアカウントをほぼ運営していなかったのでFacebookのみでの拡散でしたが、3万以上のアクセスを確保することが出来ました。

この記事が拡散されると、あらゆる立場から連絡がくることが増えました。連絡をくださって実際に会う方には、当然ですがフィルターはかかっておらず、「若者」ではなく「人」として話を聞いてくれ、次に繋がる人の割合が大きくなりました。


■直接か間接か

ここで得た教訓は、(日本において)若いうちに上の人にプレゼン等をする際は、基本的に「直接」よりも「間接」の方が良いということです。もちろん例外も存在しますし、時と場合によって使い分けなければならないですが、WEBで自分の哲学やプランを書く分には自由であり、フィルターもなく、誰かに遮られることがありません。もしも自分の考えが評価をされた場合、読んだ後に「若いな」と気付かれる可能性が高く、それは「武器」となることが多いのです。


■哲学を示せ

日本のサッカー界において、この「年齢」というものは、非常に厄介なものです。特に指導者の世界では、能力よりも年齢で評価をされがちです。この状況を変えるために、若い指導者こそ自分の哲学を世に示していくべきだと思っています。

若いサッカー指導者にとって、自分の哲学を示す唯一の場所はWEBであり、もっとも適した場所がWEBなのです。


■アウトプットをすること

もちろん、サッカー指導者という職業において、WEBは「本質」ではありません。これは注意をするべきです。しかし、たとえ誰に評価されなくとも、自分のサッカーにおける考え方をアウトプットし続けることは、ここに私が書くまでもなく、自分自身にとって非常にたくさんのメリットがあります。

おそらく、WEBがなかった時代の指導者も、自分の考え方を「言葉」や「図」としてアウトプットし続けていたと思います。それをピッチに立つ前に世に出すか、世に出さないか、それをコントロールできるのが現代である、という違いがあるだけです。

私もアルゼンチンに住み始めた半年ほど前から、自分の哲学を示し始め、自身の『芸術としてのサッカー論』は約10万アクセス、フォローワーも7500人(8月後半現在)ほどになりました。


■WEBとどう向き合うかべきか

この連載で書いていくことは、完全に私の解釈であり、私の経験から得ているものです。「実績を残したこと」と言うよりは「現在進行形で進んでいること」です。私が言っていることが正しいのか、それとも正しくないのかは、これから時間が経つにつれてわかってくることなのかもしれません。

それを前提として、これまでの戦略、アウトプットとインプットの際に注意しなければならないことなど「サッカー指導者はWEBとどう向き合っていくべきなのか」を、読んでくださっている方々と一緒に考えていければと思っています。


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筆者:河内一馬

92年生まれ。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」在籍。サッカーを非科学的な観点から思考する『芸術としてのサッカー論』を執筆中。

Twitter:@ka_zumakawauchi


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