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ナルシスト

東京で長らくお世話になっている木の専門家ふじモンさんに本を紹介していただいた。

日本を発つ間際に届いたこの本をスーツケースにほうりこんで、今カナダの湖畔で一章一章をゆっくり読み進めている。

友人手作りのブックマーカーといっしょに

今日は第六章:水鏡に魅せられて

ナルキソッス、つまり水仙と呼ばれる花になってしまった少年については
水面に映った自分の美しい姿に恋したばかりに花に変身してしまった・・
という知識くらいしかなかった。

しかしそこに並走するいくつかの話があった。
ひとつは
ナルキソッスの運勢を語る盲目の予言者が

この子は、もし自分自身を知ることさえなければ、立派に成人し、長生きするだろう

p.47「花の神話学」多田智満子

と言っていた事や
恋焦がれながらもナルキソッスからのひどい拒否にあったエーコー(やまびこ)のはなし。

狩りの途中、ナルキソッスは渇きをいやすために銀色に澄み切った泉の水際で身を乗り出した。そして初めて知ったその美しい自分の姿に魅せられるが、決してその相手を得られることがないという恋に嘆き苦しみやつれていくのである。

もし自分自身を知ることがなければと言う予言通りで

この少年は不幸にも自分の美しいうわべだけを知りすぎてしまったということであろう

p.52「花の神話学」多田智満子

ふと昨今のSNSを華麗に彩る自撮りを思う。
銀色に澄み切ったスクリーンに映し出される華やかで美しい自分。
あるいは思い通りに加工されたかわいい自分。

それを批判するつもりなど私には毛頭なくて
(私だって試したことありますが、なにか?😍)
面白いなあ~と思って見てきた。

鏡の前で自分を見つめているとナルシストと批判的に言われるのにこのSNSではたくさんのフォローワーがついたりしているのだ。

ナルキソッスにも確かにフォローワーがいた。ナルキソッスが死んでもなおフォローするエーコーである(笑)

恋焦がれながらもナルキソッスから邪険にされたエーコーはその思いを忘れず、次第にやつれていくナルキソッスを見て
ああ
とナルキソッスが手に入らない自分の姿を見て嘆くと
エーコーも
ああ
と共鳴し
そして

遂に彼が息絶えるときも、彼のいまわのことばをくりかえして、「つれない少年よさようなら」と嘆いたのである。

p.50「花の神話学」多田智満子

水の精である彼の姉たちは胸を叩いて泣き悲しみ、夭折した弟に手向けて自分らの髪を岸に打ち上げた。樹の精たちも嘆き悲しみ、エーコーはその慟哭の声をこだました。すでに人々は火葬の薪を用意し、松明をかざして柩を運んできたが、しかし亡骸はどこにも見当たらない。その代わり、ニンフたちは一つの花を見つけた。黄色い花冠をつけたあの白い水仙の花がそれである。

p.50「花の神話学」多田智満子

カナダ湖畔の家の玄関先に
黄色い水仙の花が咲く。


みんな一様に
自分の姿を見ようとするがごとく頭を垂れているが
幸運なことにその美しさを映す水鏡はそこにない(笑)

元々夫が植えていたのに加え、夫の病床でも一緒にカタログから選んで球根を買い、亡くなった翌年もまた新しいのを買い足した。

おかげで毎年我が家で一番に春を告げるのは
この黄色い水仙たちである。

あの冬、在宅緩和ケア中の夫と
そのベッドの端に一緒に座ってそこから窓の外を見ていたら

daffidol(水仙)が咲いてるよ

そう夫が言ったのである。
まだマイナス二桁の気温の2月に
水仙が咲くはずもなく

落ち葉じゃない?

私はそう返した。

夫が亡くなってひとつき後に咲きはじめるこの水仙が
そのときの夫にはもう見えていたのかもしれない。

先日、友人で仕事仲間でもあるレノアが近くの農場で栽培しているというのを持ってきてくれた。

ここれはかわいい!
来年はこの球根を買い足そうかな

そして驚くことなかれ
こんな花束が届いた↓

白い水仙にヒヤシンスも

庭に咲いている花を手折った花束!
それを届けたいとテキストメッセージを寄越したのは
最近出会った
イタリア系カナディアンのクラウディオである。

きゃあ~素敵、いよいよ交際に発展するのね・・・

と思ったあなた、
実はとんだ思い違いなんです・・・

華麗に仕立て上げたとしてもSNSに登場できそうになく
ましてや
神話のようにドラマチックに進みそうにもないのである
現実のストーリーとしては。

ざんね~ん!😉

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。