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両親が教えてくれた世界は楽しいということ


ちょっと重たい話をします。


生まれ持った性格なのか、はたまたどっかで歪んだのか、私は小さい頃から「変わった子」「変な子」と言われて育った。時にはそれが「頭がおかしいよねあの子」とか「あいつ非常識すぎる」と言葉を変えて攻撃してきた。

確かにいらんことも喋ってしまうし空気も読めない性格なので学生時代は友達が少なく、そんな性格だからいじめられたこともある。癇癪を起してやり返してしまったこともある。それが火に油になり、何回もからかわれたし何回も怒られた。数少ない友人と話していてもいじめっ子たちが引き離しに来る。「ししょー(仮)と一緒にいるとかかわいそう」と何度も言われてきた。高校時代も似たようなことがあったが、初対面の人間に早々に嫌われた時にはさすがに落ち込んだ。SNSが今ほどではないが発達していたころのため、たまたま同級生が私の悪口を書いているのも見かけた。その時は印刷して学校に持ち込んでやろうかと思ったがそこまでの勇気はなくて頓挫した。当時からビビりなのは変わっていない。



大人になってからは多少矯正されたこともあるけれど、気が緩むと相変わらず「口が悪い」「人に対して当たりが強い」と言われ続けている。それを言われるとさらに落ち込み、もっと気にするものの上手くいかないと自分の存在意義を疑いはじめるようになる。
この「精神的自傷」はいじめられていた中学生の頃からずっと続いている。面倒な性格だなぁと思いつつ、未だに改善はしていない。



いじめられていた頃、ずっと「死にたい」と思っていた。そんな私を引き留めたのは我が両親である。
「死にたい」「そんなこと言わない」というやりとりではなく「死にたい」「死んだら楽しいこと出来なくなるよー、テレビ見れなくなるし、本も読めなくなるし、じーちゃんとばーちゃんにも会えなくなるよー」という言い方をしていた。悲しむよとも言われたけども。

それ以上に言われたのは「アンタが死のうとしてもお父さんとお母さんは全力で止めるし、アンタが生きるように選択するよ」「周りの人は見ていてくれる、あなたを認めてくれる人が助けてくれる」ということである。

結局、そのあと私がいじめられていたことがクラスで浮き彫りになり、クラス全員で学年主任に怒られて事態は収束した。私も一部言われたことにカチンときてやり返してしまったことは咎められたが、学年主任は「お前は悪くないよ」と言ってくれた。この時すでに人間不信になっていた私だが「親の言ってることがあってるじゃないか...!!!」と感動したのを覚えている。当時の担任には真逆のことを言われて怒られたけど。
悪質なからかいは卒業まで続いたものの、そのあとは死にたいと思うことはなくなった。


高校生の時のことは思い出したくない。社会性が無さすぎて、めちゃくちゃ厳しい運動部で浮いていたことでメンタルが病んでいた。ここでも「みんなと同じにできない私、マジ無理、死にたい」と思っていた。
それでも3年間辞めなかったのは、中学生の時に言われた親の言葉だと思う。あとは「ここで辞めたらバカにされる」という謎の負けず嫌いだと思うけども。






突然だが、私の両親は視覚障害がある。2人とも中途失明だ。私が学生時代に受けたつらい思い出よりももっと酷いこともあったと思う。しかしそんなことをこの両親からは微塵も感じたことがない。母は元来底抜けに明るく、父は無口ながら暴走しがちな私と母のツッコミ役に徹している、とても愉快な両親である。
そんな世間の荒波にもまれて生きてきたからこそ、学生時代につらい思いをした私に「生きてれば楽しい」ということを教えてくれていたんだと思う。


父親に「大学入ったら自分の好きなことを勉強できるよ」と言われたことがある。私は病院で働きたいという夢があったが医師になるほど頭が良くないこともあり、また患者さんと近い距離で接することができる今の仕事を選んだ。どちらかというと患者さんよりスタッフさんとかの方が多い気はするけども、そんなことは気にしないようにする。

進路を決める段階であれこれ言われたが最終的には「アンタの好きにしなさい」「ただ、資格は強いぞ」と言われた。当時結婚する気がなかった私は当たり前のように手に職を持って働くつもりでいたが、結果的に今の旦那と結婚している。人生わからないもんだ。

思うと、両親が自分がつらかった思い出というのを多少は聞いたことはあるもののそんなに話しているのを見たことがない。それよりも二人から出てくるエピソードのほとんどは「街で出会ったこんな人」「昔あったこんな出来事」の方が多い気がする。
両親がそんな話をよくしていたので私も通学途中に遭遇したハプニングをよく話していた。さすがに「三蔵法師が持ってそうな杖持ってる人を見た」と言った時は信じてもらえなかったけど。いや、本当にいたんだって。
そんな他愛もない会話で笑ってられるような家族である。昔「死にたい」と思っていた人間は愉快な両親のお陰でここまで更生できたのだ。そして今、私の周りには両親に負けず劣らずの愉快な人たちが沢山いる。不思議な縁だななんて思ってしまう。





思い返すと、酷いこともたくさん言ったし、ジャニヲタになったばかりの頃は学業が疎かになったのでとても心配されたし、国家試験の時は模試の成績が伸びず慰められたしと迷惑もたくさんかけてきたが、なんだかんだ社会で生きている私に対して「まあ、アンタが元気でいてくれればいいよ」と言ってくれる両親のもとに生まれてよかったと思う。


正直な話、私よりつらい思いをしてきた人はたくさんいるはずなので私の過去のつらかったエピソードなんてまだまだちょろいと思う。なので、本当はあまり話したくないし、話してはいけないんだろうなと思っていた。今も多少は思っている。

しかし、仲良くなった人にこの話をするととても驚かれる。「強いね」「よく逃げなかったね」と。両親は良く「逃げたかったら逃げていいよ」「体壊しちゃ意味ない」そう言っていた。そして自分がその局面に実際陥った時、両親のことを考える。

多分あの人たちは気にせず突き進む。なにくそ、コンチクショウと思いながら。

そう考えるとまだ大丈夫、進める、と自分を鼓舞してきた。それを教えてくれたのは心配する言葉の裏に負けず嫌いがちらりと見える両親である。そんな両親から生まれてきた娘だから、ちょっとくらいじゃくじけない。そこまで成長させてくれたことにとても感謝している。



これからの人生もいろんなことがあるだろうし、これからもいっぱい迷惑をかけていくだろうし、不思議なことにもたくさん遭遇するだろう、それでも「面白いこと」「楽しいこと」をたくさん見つけていきたいし、いつか母親になった時、もし自分の子供が昔の私と同じように落ち込んでる時はあの頃の両親と同じように伝えてあげられたらいい。

その時は「そんなこと言ったっけ」って両親は笑ってくれると思う。多分。

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