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川に反射した街灯の数だけ河童はいる


なぜかふと思い出すことがある。

どうでもいい瞬間やどうでもいい話ばかり。

別に強烈なインパクトが残っているわけでもないのに、あるものを見るとスイッチが押されたかのようにそれを思い出す。

例えば、タラコスパゲティを見ると、中1の頃お母さんが弁当に冷食のタラコスパゲティをよく入れてくれていたなあ、、、とか。

タラコスパゲティがトリガーとなり、こんなどうでもいいことを高頻度で思い出す。

人それぞれそういうものはたくさんあると思う。

意味もなく何度も何度も思い出すこと。
昨日のことはよく覚えていないのに、10年以上前のどうでもいいことはとても色濃く残っている。

その中でも特に思い出す出来事が僕にはある。

僕が小さい頃、たしか6〜8歳ぐらい。
ほんとに小さすぎて何歳だったのかも定かではない。

僕とお姉ちゃんが車に乗っていて、あとはたしか従兄弟が乗っていたと思う。
お姉ちゃんと従兄弟が話していて、その流れでお姉ちゃんが僕に言ってきた。

「見てあの光、あそこには河童がおるんよ」

お姉ちゃんは、川に反射した街灯の光を見ながら僕にそう言ってきた。

「え!あれ全部??」

街灯は等間隔で何個も道に立っている。
その立っている街灯の数だけ川に反射していた。
なので僕は、どの光にも河童がいるのかお姉ちゃんに聞いた。

「そう、全部の光の下に河童がおるんよ」

僕は何の疑いもせずにそれを信じた。
なんか本当にそこに河童がいるような気がして。
というか僕はお姉ちゃんに絶大なる信頼を置いていた。
だって、歳も12個離れていて、ずっと大人な姿を見てきたから。

だから、僕はそんな突飛な嘘を中3ぐらいまで信じていた。
ずっとあの光の下に河童がいると思い続けていた。

お姉ちゃんがなぜそんな変な嘘をついたのかはわからない。
今そのときのことをお姉ちゃんに聞いても絶対に覚えていないだろうし、僕だってそんな野暮なことを聞く気はない。

だが、今でも思い出す。
川に反射した街灯の光を見るたびに、あのときのことが走馬灯のように頭を駆け巡る。

なんでそんな馬鹿げた話を僕はあんなに信じ込んでいたんだろうと、大人になった今でも不思議でならない。
6歳だとしてもその時点で嘘だと気付いていてもおかしくないのに、それを中3まで信じているとは。
小5でサンタさんなんかいないと気付いた僕からすると考えられないことだ。

自分で言うのもなんだが、僕は子どもの中では大人びた方で、マセガキと言っても過言ではなかった。
だって、ファミレスに行ってまわりの同級生はハンバーグ定食を頼むなか、僕は塩サバ定食を嗜んでいたのだから。

お姉ちゃんはただの思いつきで何の気無しに変な嘘をついただけだと思う。
だが、本人は適当に言ったことでも、言われた方はずっと覚えていて、その言葉が自分の人生を支配することもあるのだ。
だって、今でも色濃くそのシーンとその言葉が僕の頭に残っているのだから。

この僕とお姉ちゃんと河童の話は、僕にとっては良い思い出で、思い出すたびにほっこりするが、これは逆も然りで悪い思い出として刻まれるようなこともある。
本人はそんな気ないというか何気なく言った一言でも、言われた方は胸に突き刺さり運命が変わるほどの言葉として刻まれることもあるのだ。

もれなく全員、経験したことはあると思うが、僕も無神経でデリカシーに欠ける言葉をたくさん言われてきた。
本人は覚えていないだろうし半ば冗談で言ってきた人もいるかもしれないが、言われた方は忘れないしことあるごとに思い出してしまう。

その言葉で強くなる人もいれば、立ち直れなくなるぐらい病む人もいるだろう。

人間は大人になるにつれてデリカシーさがどんどんなくなっていき、むやみやたらに人を傷つけてしまう生き物だ。
受け手の気持ちになって、自分主体ではなく相手主体で全員生きていければなと、ここ最近特に思う。


9年前付き合っていた元カノに言われたことがある。

「慶士ってブス界のイケメンよね」

これはまじで絶対に忘れない。

なにブス界のイケメンって。
こんなこと言われたら忘れるわけないやん。
ブス界にイケメンもクソもないんよ、よく真っ直ぐした目で彼氏にそんなこと言えるな。

本人はこのことを絶対に覚えていないと思うけど、流石にこっちは永遠忘れることはないだろう。

だが、その彼女の顔面は引くほど可愛かったので、僕は何も言い返すことができず「たしかにね〜」と苦笑いで返してしまった。

そんな苦い思い出ではなく、もっと楽しくてほっこりするような、僕とお姉ちゃんと河童のような、意味のない話を思い出したいものだ。

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