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呼び起された「SMAP」という記憶 -氣志團万博2019で起こった奇跡

2016年、多くの人がSMAPを論じ、複数の評論本も発行された。
その中でも最もしっくりきたのは、乗田綾子さんが自分の人生越しに彼らを綴った『SMAPと、とあるファンの物語  ーあの頃の未来に私たちは立ってはいないけど ...』だった。
彼女がSMAPファンだから、他の人よりも的確に彼らを語ることができた、
ということではない。
そうではなくて、SMAPを語るとは、結局彼らと生きた自分を語ることなんだなと思った。

それは、SMAPである彼らにとってでさえそうだった。
SMAPは、彼らの人生の同伴者でもあった。

2018年の年末、紅白歌合戦の歴史を振り返るNHKの番組で、過去の紅白でのSMAPの存在がごっそり消された時、Twitter上には多くの怒りの声があった。
みんなが怒ったのは、彼らを無かったことにされたからだけじゃない。
彼らの音楽と一緒にあった、自分自身のかけがえのない歴史を蔑ろにされたからだ。

あれから、彼らの人生も私たちの人生も続いてはいるけれど、
ただSMAP がいない。
それを語るための媒介であるSMAP を失ったままで、人生を語ることはできない。

彼らも私たちもSMAPを失うことで大切な過去を、
そして、SMAPと共に歩むはずだった未来を失っている。

(「人生は続く ただSMAPがいない」より)

2019年9月15日、千葉・袖ケ浦海浜公園で行われた氣志團主催のロックフェス「氣志團万博」に、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾が初出演した。
長いキャリアの中でも初のフェス参加となる3人の出演は、他のアーティストを目当てに集まったオーディエンスからも注目を集め、彼らが登場するやいなや、会場は今回のフェスで一番とも言える熱気に包まれたという。

ライブ直後からTwitter上には「3人のファン」以外のアカウントのツイートが並び、その興奮と感動を伝えていた。
その中でも印象的なのは、記憶の中に知らず知らずに刻み込まれていた「SMAP」との再会への感慨と喜びだった。

30年近くにわたって、たくさんの人たちの人生に寄り添ってきたテレビの申し子。
2017年を境にその姿を目にする機会は著しく減り、それまであたりまえだった、テレビをつければいつでも「彼らがいる世界」は、それらの人たちのもとから静かに去っていた。おそらく失くしたということすら気づくこともないままに。

しかしこの日、懐かしい彼らの輪郭が目の前に現れた時、
それぞれの人生に知らず知らず刻まれていた「記憶」は呼び起された。
「彼らがいる世界」が、また時を刻みはじめ、大切な人生の1ページを語る言葉が取り戻され、新たに彼らを求める思いは強められた。

たとえそこにSMAPの名前も曲もなくても、自分の人生と共にいた彼らの物語は今なお続いているのだと実感して、こんなにも喜んでいる人たちがいる。

紛れもなくここにもまた、SMAPを失うことで大切な過去を、
そして、SMAPと共に歩むはずだった未来を失っていた多くの人たちがいたのだ。

粉々にされた記憶の欠片は、それでも少しずつ集められ、いよいよ大きな光を放ち始めている。

失われている未来を諦める理由など何もない。


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