稼ぐことへの執着とロールモデルについて
シンガポールできらきらしない生活を送るけりーです。
キャリアの振り返りの記事を書き始めたのですが、まずその前提である私の考え方のコアを振り返ってみました。私は自他ともに認めるくらい働くこと、もっというと稼ぐことに執着しています。
今回は、キャリアを考える上でのコアであるこの稼ぐことへの執着について書きます。
稼ぐこととは生きる上で欠かせない、という考え
稼ぐことに関する自分の記憶の中で一番古いものだと、小学5年生の時にロンドンの補習校に通っていた際に書いた作文があります。
確かサバンナかなにか動物がテーマだったのですが、サバンナにいる野生のライオンだって自分の食べるえさを狩りをして取ってきて生きている。なので人間も自分の食い扶持は自分で稼ぐべき、という趣旨の作文を書きました。なぜそのような内容を書いたのかは覚えていないのですが、教室で読み上げたのでとてもよく覚えています。
その頃から生きるためには稼がないといけないという強迫観念にも近いものを抱えていたことが分かります。
それはどこから来たのかを考えると小学生時代専業主婦だった母の姿からのように思えます。
身近な大人としての専業主婦の母の姿が原風景
私は、小学生時代は2年生の二学期から中学2年生の一学期終わるまでちょうど5年間父親の転勤でイギリスにて過ごしました。
銀行勤めだった父と母は社内結婚だったため、どちらかが退職をしなくてはならず、今でいう理系女子でプログラマーに近い職種であった母ですが、結婚を機に退職し専業主婦に。
母は日本に帰国してからは、数学の教職免許を引っ張り出し私立の中高一貫校で数学を教えはじめ定年まで講師として勤め上げたのですが、イギリス時代の専業主婦の姿が私の原風景にあります。
専業主婦だった頃の両親のパワーバランスを見て、もし母が働いていて経済力があったなら関係性が違ったのではないか。経済力がないことで自由がなくて窮屈そう、もっというとかわいそうだと幼心に思っていました。
その後も、結婚してから女性側の経済力が低いために我慢をしている、選択肢が狭まっていると感じることが多々あり、絶対に経済力をつけたいという思いは強くなるばかり。
ロールモデルは母と叔母のハイブリッド
親戚があまりおらず、海外にいて比較的狭いコミュニティーの中で生活していたこともあり、身近にいる大人、特に女性はとても少ない状態。
その結果、小さい頃の女性としてのロールモデルは限定され、専業主婦であった母、そして独身で子供もおらず外資系企業でバリバリと働く叔母という対照的な二人になりました。
それくらいしか大人の女性との接触がなかったので当然の結果ですね。
この二人を見て、なんとなく両方のいいところ取りをしたいと思い、中学生の時から「華の30代送ること」が自分の目標となりました。
「華の30代」とはなにか
こけし代表みたいな顔をして幼い頃からかわいくない自分だが30代になれば見た目のかわいさではなくそれまでの経験が外見にもにじみ出るだろう。
その頃には自分も人間として成熟しているだろうしそれが見た目に反映されているはず。
そして、30代であれば、結婚して子供もある程度大きくなり、仕事でも結果が出ているのではないか。
きっと、その頃が自分の人生の華であるだろうと思っていました。だから、そんな「華の30代」を目指して頑張ろうと思っていたのです。
言ってみれば母と叔母のハイブリッドがロールモデルであり、それを体現している状態が「華の30代」。
大人びているのかひねているのか・・・。おそらく両方でしょう。
小さい頃からだいぶひねた子
ちなみに、私はかなり早い段階からひねていた子供で、目が大きく見た目もかわいらしく、ひらひらのワンピースを好むような女の子が小動物や花を見てかわいい(はーと)と言っている様子を大人が「子供らしくてかわいいわね」と言うのを見て、これは自分は無理だなと早々に思っていました。
かわいらしいものも好きではない上に、かわいくもないという自覚が当時からあったので。
大人びたというかだいぶひねて醒めた子だったんだろうなと思います。正直こんな幼稚園児、自分は嫌です。
そんなひねた幼稚園児だった私は、卒園アルバムの将来のなりたい職業として、「お花屋さん」と書き、ピンクのリボンとエプロンをつけたお花屋さんの自分の絵を描いています。
かわいいの象徴であるピンクは嫌いな色で絶対に着なく、幼稚園のスモックも水色のギンガムをチェック選ぶくらい。今でこそ花は好きですが、当時は一ミリも興味なかったのですが、お花屋さんを選びそんな絵を描いたのは、完全に大人受けです。ひねすぎてやばいですね。
原風景に影響されたキャリア観
話が少し逸れたのですが、私の働くことへの執着は、経済的な自由がないと女性は我慢をしたり、不幸せになると感じた幼少期の原風景から来ています。
少し大きくなった高校生の時も「結婚しても働きたい、離婚などなにがあるか分からないから」というような事を当時両想いだった男子に言って「離婚することなんて考えて結婚するもんじゃない」と憤慨されたのを覚えています。
それでも、いつだって働いていないと何かの時に身を守れないという思いを持ったまま大人になりました。
でも、ある意味それを胸に働くことに執着し、どんな時も働くことをあきらめなかったからこそ、その後の色々を乗り越えられたと思っています。
稼ぐことは大事だし、他人になんと言われようとその執着を手放さなくてよかったです。この稼ぐことへ執着が私のキャリアの根底にある考えです。
キャリア形成の影響を与える大人の存在は大事
改めてキャリアについて振り返ると本当に子どもの頃の体験や身近な大人の影響は大きいと感じます。
昨日も書いたのですが、私は親を含めて周りの大人に会社員しかおらず、それしか知らなかったためずっと起業や自営業が自分とは遠く別世界のものだと思っていました。これは、明らかに接していた大人の種類が偏っていたことが原因です。
自分は非常に限定的な人種しか知らず視野が狭いまま育ってしまったので、子供たちには色々な大人がいること、色々な形の稼ぎ方を見せたいと思っています。そして願わくは、自分以外のロールモデルとなるような大人とたくさん出会ってほしい。
今回のベトナムの出張は、私の仕事関連の人に会うためだったのですが、18歳の次女にそのようなロールモデルになる大人と会ってもらうことも目的でした。
私は下の子たちをベビーシッターに預けているので、最短の2泊3日で今日シンガポールに戻るのですが、次女は少しベトナムに残り私のビジネスパートナーの元でお世話になります。なにか少しでも感じるものがあればいいなと思い彼女を託します。
昨日の夜は、べトナム人を含めたメンバーと食事に行き、二次会のカラオケから三次会やら夜中までご一緒させてもらいました。母はお酒を飲まないので、早々に失礼して一人時間を満喫したのですが、川のほとりでパソコンをしていると、バイクの後ろに乗せてもらって楽しそうにしている写真が送られてきました。とてもよい!
子供たちには若い頃から色々な世界を見て、たくさんの大人と出会い、その中で自分なりの稼ぎ方を見つけ、楽しく自信をもって生きてほしいものです。
キャリアの振り返りと今までの事はこちらを読んでみてください。
働くことやキャリアについていつかきちんと書きたいと思っていたので、少しずつ書いています。
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