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「何者かになりたい私」を成仏させる

1年前に書いた記事を読み返していた。
なんだか固く、よそよそしい書き方でもぞもぞする。
でも書き残していて本当に良かった。今読むと「こういう悩み、みんな通る道だよね」くらいに思える自分がいる。


「何者かになりたい」と検索すると、「症候群」とか「病」なんて出てきた。うわあ、ちょっと嫌だ。それくらい、悩んでいる人が多いってことなのかもしれない。

うわあ


下に書いた3つの記事は、30歳になる前となって直後の、キャリアもやもや三部作と呼んでいる(いま決めた)。

「仕事どうする?なんでもアリだ!楽しみ〜」期
「現実と向き合って冷めたわ余裕ないムリ」期
「できることいっぱいあるじゃん、いけいけ」期

三部作の概要(伝われ)

「はて、私はいったい何者なんだ」
と急に思ったわけではないけれど、きっとそういう症候群だったんだろう。


答えのない問いや悩みを、私は忘れては思い出し延々と考えてしまうタイプだけれど、今回の悩みはもう解決したと言ってもいい。
解決したというより、吹っ切れたというべきか。

今年に入って私はやたらポジティブだ。もちろん波はあるけれど、平均するとポジ寄りな感じ。
それはいつも「前向きです!良い未来しか見えません!」とメラメラ燃えているわけじゃない。ただ、今が楽しければとりあえずいいかもなって。楽しい、やりたい方に進もう。そんな風に思えている。


将来のことを考えるのが苦手なのだ。夢とか目標とか、小さい頃からずっとわからない。
だってたいていの目標は、周りから与えられるものだったよね?
少なくとも私はそうだった。

だからあのとき、改めて自分の将来に向き合うのがめちゃくちゃしんどかった。わからないんだもの。
わからないなりに、「○○になる」「○○ではたらく」というわかりやすい肩書きのようなもの……つまり「何者かになる」を目標にしようとした。
そしてちょっと挫折した。
というか結局、よくわからないままだ。


今年はそれがふと、吹っ切れたのだ。

将来何になりたいか。ではなくて、どんな生活がしたいか。
夢や目標から「将来」という言葉を取っ払い、「いま身の回り」を基準にするようになって、私はだいぶ考えやすくなったと思う。

いつもご機嫌でありたい。つねに自分の思う方へフッ軽で行ける状態でありたい。自分と家族のことをずっと好きでいたいし、周りには好きな人しかいない世界で、好きなものでお金をまわしたい。

こんな生活を続けていけたら万々歳だなあと思っている。
仕事とか子どもとか、もし気持ちが変わればその時考えればいいな、くらいのスタンスに、最近ようやくなれたのだ。


もっと将来を考えたほうがいい、と言われることもあるだろう。

そう言われたって関係ない、私は私だから!と思う勇気も、まだない。
否定されるのがこわい。親に将来を心配されるのは嫌だ。今まさに仕事や子どもに一生懸命な友人たちに、こんなスタンスの私を堂々と見せる自信がない。
自信がないのが悔しくて、ずーんとなることもある。

でも今、周りを見ても私を否定する人はだれもいない。
すごいことだ。
こんな環境に身を置けているのは奇跡なんじゃないかってたまに思う。
思うけど、選んだのは自分じゃん!と気がついて、ほっとする。

この1年、働き方を選んだのも、辞めたのも自分。キャリアスクールに入ったのも、Xを始めたのも、noteで繋がりをつくったのも、自分だ。


あのとき何者かになりたかった私、ありがとう。
あなたが選んで決めたおかげで、今の私、けっこう楽しめてるよ。


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